転変の夜

***

 なんて生ぬるい尋問だろう。榊 麻耶はせせら笑った。異人部隊の男が憎い女を殴ろうとする己の腕を抑えようと机の隅を握る。血管が浮き上がり、それでも抑えきれずに机を投げた。当たらなかったのは、男が自己抑制を成功させたからだ。彼は我慢しきれず部屋を出て行く。これで十五人目だった。

 この連中は麻耶を拷問しない。拷問どころか殴りさえしない。憎い仇だと言っているくせに。その理由になど興味はなかった。

 連中が繰り返し聞くのは「なぜあんなことをしたのか」だ。連中の指す「あんなこと」がどれなのかは知ったことではない。ただなにであれ、理由などない。ただ勝手に巻き添えをくっただけのこと。仮に理由があるとすれば、死んだ奴が人並み外れて不運だったからだろう。そんなことを知りたいだなんて、馬鹿な連中だ。あの女はとうとうこんな連中を焚きつけるまで落ちぶれたのか。あの女には似合いだ。

 十六人目は若い女だった。甘ったれた十代に見えるが、他の隊員からして二十歳は超えているのだろう。女はカレンと名乗った。知らない名前だ。そもそも連中の名前は一つとして知ったものがない。このまま同じように十六人目を追い返すのにも飽きてきて、ひとつ楽しむことにする。

「カレン、良いことを教えてあげる」

 猫なで声で見上げる。

カレンは眉根を寄せた。もの言いたげに唇が歪む。不快が隠しきれていないぞ。

「白伊颯って女は危険よ」

 白伊? 彼女が聞き返す。自分達が追っている組織の名前も知らない。この不運なだけの連中は、あの女の素性までも知らされていないとは。

「あの女の本名。白伊颯。あなた達を騙してる。名前を偽るのはなぜだと思う?」

「異人は仕事を制限されるから」

「あの女があなた達の大切な人を巻き込んで死なせたからよ。それを隠すため」

「それなら聞いた。だからあなたをおびき寄せる囮を自ら志願してくれた」

 カレンは入ってきたまま、座ることもなくこちらを見下ろす。

「ならあの女が他人を巻き込んだ原因は? 身勝手な家出だってことは?」

 話して。彼女が先を促す。信じるつもりはないらしい。一歩、近づいてくる。見上げなければ顔が見えない。麻耶はカレンを見上げた。彼女の腰には古ぼったい小銃がある。

「高名な家だから、親族とそりが合わなくて飛び出したのよ。私達が連れ戻すのに手段を選べなくなったのはあの女が周りの迷惑を顧みないから。たとえ無関係の人間が死んでも、自分が可愛いのよ」

 カレンの身体が動揺に揺れる。麻耶は小銃めがけて体当たりした。手錠はとうに外してある。しかし銃は奪えなかった。なぜだかわからないが、顎の下から押し上げられる硬い感触がある。銃口。ゆっくり撃鉄の動く振動がある。カレンは引き金に指を這わせて、左手が麻耶の頬を撫でた。怖気が走った。うなじが粟立つ。彼女の手つきは慈しむように、優しい。

 あとは? 耳元で囁かれる。ゆっくり、子供にするように。

 嫌な汗が噴き出る。それが出たはしから冷えていくのか、身体がやけに寒い。

「あの女は、巻き込まれた不運なあなた達を使って実家に復讐するつもりなのよ」

 もう一歩。カレンが囁き銃口が更に押し込まれる。

「男はどう。それが嫌で家出をしたのに、あいつは女をして手当たり次第に男を利用する。私の大切な人だって、」

「私のものよ」

 顎に銃口の感触がなくなったと思いきや、銃声がした。胸に二発。カレンは麻耶の身体を支え、抱き寄せる。

「ありがとう、麻耶。これまでの功績を忘れない」

 おやすみ。囁く声の優しさとは裏腹に、麻耶が最期に見たカレンの顔はいびつに歪んでいた。



***

 街がざわついている。夜になってから降り始めた雨がその雨音を少し強めたせいかもしれない。どうにも落ち着けなかった。

榊 麻耶の尋問はどうなっただろう。娘はまだ無事だろうか、颯は間に合うだろうか。彼女は、娘と無事に帰ってくるだろうか。

 流風は一人きりの部屋の中を行ったり来たりする。

 こんなはずじゃなかった。娘を昇進させてやりたかった。それだけだったのに、娘は才能を軍に利用されて、止めようとしたときには手遅れだ。カレンと一緒なら自分だってまともな人間になれると思っていたのに、逆戻りしている。

 ドアが乱暴に叩かれた。異人部隊かと思い開けた先にいたのはずぶ濡れのカレンだった。腹に血の染みがある。

「カレン、血が」

「逃げて!」

 まっすぐ胸に飛び込んできたカレンを受け止める。こちらを見上げる彼女の顔は濡れて、髪が貼り付き、眼は血走っている。

「榊 麻耶が、みんなが巻き込まれた原因は大尉の身勝手だって」

 あの女の言いそうなことだ。異人部隊に颯をリンチにさせるつもりだろう。

「メイズは信じたのか」

「いなかったの。でもみんなは信じたみたい」

 部隊の尋問室には一通りの設備がある。録画もしていたはずだ。カレンの聞いたことはその場にいた全員が聞いたとみて間違いない。

「みんな彼女を探してる。あなたも」

 作戦から戻っても建前上は自宅謹慎を続けているのは、メイズに従っていると仲間内に知らしめるためだった。顔を立てるよう頼まれたわけでもないが、そうするのがいい。麻耶から正しく――聞く限り失敗しているが――情報を引き出せれば信頼関係は修復できる。そう思っていたのに。随分甘ったれたものだ。

「落ち着け。逃げたら弁明の余地がない。カレン、その血は? どうした?」

 染みはさほど大きくない。カレンの血ではなさそうだが、戦闘員でもない彼女に血が付く状況はただごとではない。

「どうして中に入れてくれないの?」

 カレンは急に突き飛ばした。一歩二歩、よろけて下がる。なにを急に言い出したのか。

「おかしいじゃない! 恋人が血を付けて雨の中ずぶ濡れで危険を知らせに来たのに、玄関先に突っ立ってるなんて!」

 カレン。なだめすかすものの、彼女は耳を貸さない。こういう所のある子だが、辛抱強く言って聞かせれば落ち着く。しかし彼女はきいきいまくし立てた。

「私、殺したの! 榊 麻耶を殺した! 銃を忘れてきちゃったの、あなたにもらった銃なのに!」

 血の気が引いた。そんな、よりにもよって。しかもこの子が。

「だから一緒に逃げてよ! 一人じゃ無理!」

「待て、待て! 逃げるのはまずい」

 なんで! カレンは顔を涙でぐちゃぐちゃにして叫んだ。

 メイズなら彼女の話を信じただろう。一度逃げて、裏切り者かもしれない男に泣きついた後でなければ。そもそもこのアパートは部隊に監視されている。今や彼らはカレンの共犯を確実視しているはずだ。

「僕にやれと言われたと言えばいい。逃げるのは僕一人だ」

「私も行く」

「駄目だ。万が一捕まったら二人とも殺される」

「構わない。あなたと一緒なら」

 カレンの眼には迷いがない。流風は迷っていた。その迷いこそが答えだ。

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