分岐点
昨晩、メイズを探しに行かせた隊員は、すぐに彼とばったり会ったらしい。桜花と一緒だったというメイズは、状況を聞くなり怒ったそうだ。だがすぐに、事態が公にならないようもみ消しに走っていったという。
今朝の新聞にも、街の噂にも昨晩のことは話題に上っていない。彼は仕事をこなした。本人は認めないが、根回しやもみ消しは、メイズの得意技だった。
流風は榊 麻耶の尋問に立ち会えていない。メイズも桜花も、立ち会えていないのだろう。
自宅謹慎という名の調べ物に出た先で、桜花の姿を見た。声をかけようとして、少女の方から寄ってきた。
「環が危ない」
はっ? 聞き返すものの無視される。
「もう噂になってるのか」
「知ってるの」
桜花は肩を落とした。がっかりしたというより、ほっとした風だ。
「手を打ったところ」
だが、出来る限りでは足りなさそうだ。環は慎重な身の振りから一転、魔術実験を強行することにしたようだった。それも最近やっと決定した国境近くだ。明らかに勢力争いに利用されている。場所も場所だけに、身の危険が心配だった。
ちょうどその件で颯と別れたばかりだ。昨晩朱伊皐月の診療所から連れ出し、気の済むまで詰問したが彼女はこちらをせせらわらうばかりで腹が立つ。どうせおまえはそういうやつなんだよ。見上げる眼のくろさ、懇願するばかりだった声の記憶しかなかっただけに、上からの物言いが痛烈だ。
「わざわざ知らせに来てくれたのか。優しいじゃん」
「耳に入ったから」
桜花は眼を逸らす。だが立ち去りはしない。珍しいこともあるものだ。
「昨日の夜、メイズと一緒だったって? 今は?」
会議中。返事はぼそりとしている。なるほど、責任を感じているのか。
「誰のせいでもない。昨日のことは、運が悪かった」
流風はこれまで、逃亡の中で家族でもあった仲間を失ってきた。環もそれを目の当たりにしてきている。白伊によって死んでいく人間を惜しんだり悲しむ気持ちは抱くが、後ろめたさに背を向けることに慣れてしまった。運が悪かった。そんな言い訳と納得が常態化している心は非人道だろう。
「メイズに話した。全部」
桜花は俯いているが、小さな声は人混みの中でも聞き取れた。それだけの内容だった。
「ずるい。抜け駆けか」
そっか。勇気を出したな。よくやった。いくつか掛ける言葉が浮かび、いくつかリアクションも思い浮かんだが、口から出たのは、ずるいだ。
まさか桜花までメイズに嘘をついていたとは今の今まで思ってもみなかった。だが、どんな気持ちでいたのかは共感できる。それでいて昨日打ち明けたのは、こちらの嘘がばれたからだろう。その後ろめたさか、けじめか。自分の口で伝えられただけ上出来だ。
桜花は俯いたまま、しゅんとして見える。そのくせこの少女は、会議が終わるまでメイズを待っているのだ。女ってものは歳に関係なく身勝手なのか。
「後悔のないようによく考えろよ」
しょんぼりとした頭を撫でる。無抵抗でつまらない。ケイはいいときに抜けたかもな。口に出ていた独り言に、桜花が小さく頷くのが分かった。
***
メイズは朝から夜遅くまで一日じゅう会議詰めだった。もみ消しの代償だ。誰それに賛成したり反対したり、日和ったり。お互い様だと思えば耐えられないこともないが、これが政治の場だということにうんざりする。政治というものは、もっと信念のあるものではなかったか。
魔導師が調査依頼を土壇場で断ったとか、その言い訳を助手から聞かされるだけの会議だとか。議員というものの本分が分からない。分からなくても構わないのだが。私はただ、榊 麻耶に復讐できればそれでいいのだから。
異人部隊のアジトに来る頃には朝になっていた。陽は昇っているがまだ朝方。仲間はほとんど出払っていた。榊 麻耶の尋問を昨日から始めているはずだった。なんの連絡もないから、まだ続いているものだとばかり思っていたが。仮に終わったとして、彼らが仇を前にして帰宅するわけがなかった。
どうした、残っている隊員を手当たり次第に捕まえ聞くが、反応は要領を得ない。なんだ、どうした。頭が浮ついて叱り飛ばす気にもならない。夢見心地とはこういうものか。地面のふわつく感覚が、あの夜に似ている。膝に力が入らなくて走れど走れど転んだあの夜。あの時とは違う。逆だ。殺されるのはあの女の方。
尋問室に入った。榊 麻耶がいる。血だまりの中に倒れている。仰向けで、くろい髪がざんばらに広がっていた。まぶたも閉じられていない。浅く開いた口、あおくなり始めた唇、頬。
榊 麻耶だった。胸に血の染みがある。足下に古ぼけたリボルバーが転がっていた。流風の銃だ。彼が恋人へ、お守りとして贈った銃。カレンが肌身離さず身につけていた銃。弾倉は見事に二発だけ空だ。
カレンが撃った? 有り得ない。記録を探すが、映像が見当たらない。カメラは回していなかったようだ。やりそうなことでもある。数台の発電機のみで維持しているために、機器の使用をけちっていた。電源の入れ忘れは多い。それでなくても故意だろう。
残っているのは録音だけだった。
『あの女は、巻き込まれた不運なあなた達を使って実家に復讐するつもりなのよ。・・・・・・男はどう。それが嫌で家出をしたのに、あいつは女をして手当たり次第に男を利用する。私の大切な人だって』
『私のものよ』
カレンの声に次いで銃声。動機も完璧だ。間違いなく彼女が撃っている。
「みんなどこに行った。カレンはどうした」
「颯・ローレンツの捜索です。カレンは瑠璃隊長の自宅を訪ねたのを最後に行方が知れません。目下この二人も捜索を」
勝手なことを。誰も彼も頭に血が上って手がつけられなくなったというわけだ。その場に居合わせたなら加わっていただろう。すっかり冷たくなった麻耶を前にして、虚しくもならない。私の求めるものは、これではなかったらしい。
「仕切っているのは誰だ。態勢を立て直す。全員呼び戻せ」
よりによってカレンだとは。彼女だけはないだろうと思っていた。衝動に任せたにしろ、男に指示されたにしろ、人を殺すだなんて。しかも部隊全員に共通する仇を。
颯・ローレンツの行き先はすぐに判明した。東側の国境。彼女の出世の足がかりとなった場所だ。娘で王宮魔導師のイオレ・ローレンツがその近くで魔術実験を行うためのようだ。娘のことだから父親もぐるになってメイズを出し抜いたということだろう。
流風の行き先は掴めなかった。カレンと逃げたと考えるのが妥当だ。しかしそれが問題だった。行き先が絞れない。計画的なものか衝動的なものかで行き先は大きく変わる。
「部隊は二手に別れろ。近場と、三十キロ圏内で流風とカレンを探せ。私は東の国境に行く」
居場所が分かっているのだから人手は必要ない。桜花だけで十分だ。
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