第十話 追走

国境のむこう-1

 東側の国境がはっきりと決まったのはこの一年のことだ。東側、というより、陸地側の東端と言ったほうがメイズにはしっくりきた。長いこといた移民管理局支部もイーゼ王国の東側だ。東の果て。陸地の国境よりずっと南だった。

 争う国境が陸地にしかないから、その左右を西東で言い表すらしい。真ん中は北と呼ぶらしいから、言い出した人間は相当馬鹿だったのだろう。

 大陸の北半分を支配する隣国との国境争いにおいて、東側の国境は激戦地となった。その終わりを招いたのがかの颯・ローレンツだという。メイズを出し抜き、軍にいいこと入ったと思えば大戦果を上げていた。

 国境は戦争が始まるまでもっと北にあり、国立の魔術学校もここにあった。戦線の南下に伴い学校は閉鎖、学生は繰り上げで卒業させられた。環もこの中の一人だ。

 メイズは今、その元魔術学校の地下で、じっと息を殺していた。

 掲げる松明のみが灯りの、暗闇の地下道はどこまで続いているのかわからない。振り返れば桜花がいるが、これまで歩いてきた道もどれだけの距離だったかわからなくなる。真っ直ぐなだけの地下道は、今や東の国境に最も近くなった町と繋がる抜け道だった。元が国の施設であるし、学校だったのだから当然あるものだろう。

 火に浮かび上がる道幅は狭い。すれ違いは困難だが、人ひとりが通るにはじゅうぶんな幅だ。この巨体には狭い。

 学校だった建物は今、国境を挟む緩衝地帯にある。無論隣国側だ。長いこと手引きしてきた不法入国だった。国は違うが。調べた結果、ここに颯がいるというのだから仕方が無い。わざわざ国境間際で魔術実験を行っている環と、おそらくは警備にかこつけて娘についてきた颯が、なぜ国境を越えているのかは把握しきれなかった。環はエイローテに帰ったという話しもあったが、確信がない。どんな事情があるにせよ、颯を確保できればそれでいい。

 榊 麻耶は死んでしまった。人生をかけて探し求めてきた仇はあっけなく、小娘の手によって死体にされて転がっていた。次は颯と流風を恨み憎んで、探せばいい。颯の、あの女のために麻耶は人を殺してきて、我々はそれに巻き込まれた。そしてまた、颯のために、流風がカレンを使って麻耶を殺した。裏切りの証拠を消すため、颯を我々から守るため。

 手段が変わっただけだ。目的は変わらない。家族の仇討ち。そのためならば仲間だった男を手に掛けても仕方あるまい。そうしたらきっと、やっと自分は過去を清算できる。

 暗闇に舞っていた火花、火だるまになった家。ぬらぬら、うねっていた火。

 松明のにおいと姿が、あの夜をまざまざと見せつけている。手放すことはできない。これだけが道しるべなのだから。

 突き当たった。ドアだ。鉄製だが、傾いている。蝶番が外れかけて、辛うじて閉まっているドアだ。その隙間から、灯りの筋が伸びている。覗き込むと、明るい地下道が見えた。人の姿もある。見慣れない軍服。隣国の兵士だ。少し先に一人立っている。壁に背を向けた立ち姿は見張りだろう。地下だ。牢のつもりか。

 先の戦争で大戦果を上げたイーゼの兵士颯・ローレンツ。彼女が国境を侵したとなれば、隣国の兵士はただでは済まさない。あそこにいる。

 静かに息を吐き、壁に背をついた。松明の灯りが漏れて見えないよう隠す。手振りで桜花へ、ドアの隙間を覗くよう伝えた。

 少女はそっと向こう側を見て、身体を引っ込める。どうする。見てくる眼へ答えに迷う。見た限り見張りは一人だ。走れば応援を呼ばれる前に黙らせられるだろう。桜花なら朝飯前だ。だが問題は、中に何人いるかだった。彼らにとっても颯は仇だ。元が何人いるのかもわからないが、寄ってたかって痛めつけているだろう。嫌なものを見そうだ。

 様子を見るべきか。敵が増えるかもしれない。減るかもしれない。移送されてしまうこともあり得る。どうするべきか、いや、考えるのは性に合わない。

 桜花に手振りする。みっつ数えた後だ。いち、に、

 銃声が響いた。

 狭い空間をぐわんぐわん、銃声が揺さぶる。一発ではないからだ。数発、数十発かもしれない銃撃の音が重なり合って響いている。これだけの弾薬。ドアの隙間を覗くと、あおい髪が部屋に入っていったところだった。流風。カレンと一緒ではなかったのか。銃声が続く。これまでよりはくぐもった音だ。部屋の中にも大分いたらしい。流風の後をついて、歩いてきた人影がある。女だ。小さな竜が一匹。女はおずおずとして、竜に続いて部屋へ消えた。

 また新しい女だ。だがあの金髪の女は、見覚えがある。最近見た顔だった。魔導師の助手。環の師匠の、助手だ。『釣り』の翌朝会議に来ていた女。繋がりはわからなくはない。颯の根城は環の師匠である魔導師ピア・スノウの事務所だった。そこには当然助手もいただろう。

 二対二だ。颯も入れればこちらが不利になる。流風相手では心許ない。まして向こうには魔術師までいる。一手遅かった。

 流風が出てきた。血がべったりだ。彼は奥へ走って行き、曲がったらしい。姿が消えた。

 ドアをゆっくり引く。静かに、素早く部屋の前へ。桜花が先に立った。先陣は自分のつもりだったのに、少女は頑として譲らない。時間もなく、合図通りみっつ数え、ドアを押した。桜花が床を蹴って躍り込む。

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