独歩-2

***

 桜花がエイローテに来たのは、メイズの立候補演説の護衛をするためだった。演説は明日、今夜の作戦はついでだ。

 颯がメイズの紹介でグラウのところに行っていたことになっていると発覚したのは、あれから少しして届いた手紙による。それに気をよくしたグラウが、メイズを次の選挙で擁立するとも書いてあった。メイズは断った。だが仲間は彼が異人初の議員になることを、良いことだと捉えたみたいだった。グラウの駆け引きに利用されているに違いないし、仲間に説得されただけなのに、メイズはそれを受けた。

 桜花はずっと反対していたが、彼は「これで色々やりやすくなる」と言ったきりだ。色々ってなに。メイズは何のために今生きているの。

 胸がざわざわする。誰かのためではなくて、自分のしたいようにしてほしいのに。麻耶への復讐を阻んでいるような自分が言えたことではないけれど。

 流風からの伝言を届けると、メイズは小さな眼を見開いた。声なんか注文の類いでしか出さないから、聞こえなかったのかもしれない。念のため繰り返すと、

「いや、聞こえている」

 身振り付きで制されてしまった。伝言は今夜の通信コードだったから、口頭で伝えることは避けるべきだったか。でも、流風が子ども扱いして先回りなんかするから。

 考えが足りなかっただろうか。怒っただろうか。

 これ以上墓穴を掘りたくなくて無言でいると、行くぞ、声が降ってきて遠のいていく。

 怒ってない。歩幅の大きいメイズを小走りで追いかけながら、桜花はほっと息を吐いた。

 作戦はとても単純なものだ。グラウの、あの煙草の供給元である武器密売ルートの元締めに、出所を吐かせるだけのこと。煙草のことは流風も知らない。関わる人間を最小限にするために、決行を延ばしていた。

 昼間に下見をした路地は、夜になると印象が変わる。印象がどうだろうと、明るかろうと暗かろうと場所も物の位置も変わらない。隠しておいた武器の類いには眼を瞑っていてもたどり着ける。

 イヤホンがノイズで唸った。懐のトランシーバーから、コードを服の下に這わせている。昼間の流風の伝言は、暗号化されたこの通信にかませる解除キーの種別だった。暗号化なんかしているくせに、機器は貧相で通信範囲が狭くイヤホンは有線だ。邪魔でしかたない。

 ノイズは通信範囲に入った合図だ。もしくは密売組織に潜入していた流風がやっと配置についたか。イヤホンを耳に入れると、流風の声が流れてくる。変更なし。

 流風は路地を見渡せる場所に、メイズは路地の反対側――奥にいる。

 路地の中程、暗闇の中で音がする。ドアの開閉する音。足音は数人分、くぐもった声。

 来た。流風の手筈はいつも完璧だ。だが、

『雲がかかって見えない。当てにするな』

 手持ちの武器で一番高価な狙撃銃を持っているくせに、この役立たず。

 待ち伏せしている間に眼を慣らしてはいるけれど、桜花はあまり夜目がきかない。

見える必要はない。気配さえ感じられれば。この鼻さえきけば。

 大きく息を吸う。湿った、雨の予感がするにおい。ごみの生臭いにおい。汗、加齢臭、金属。ほんの微かな煙草のにおい。メイズがいる。大丈夫。

 路地の奥で声が上がる。物音が続く。桜花はナイフを抜いて駆け出した。

 向かってくる足音がある。硬くて重い金属の擦れる音。いつ撃たれてもおかしくないが、音へ向け飛び込む。撃たれる前に沈めればいい。

 ぬっ、目前に銃口が現れる。この近さでやっと見えた。銃身を押しのけ、持ち手にナイフを立てる。目がけたのは引き金を引く人差し指だ。

 当たりを引いた。手応えに満足して、ナイフを手放す。もう一本を引き抜き、突進する。痛みに銃を取り落とした男の顔がやっと見えた。みぞおちへ、逆手に持ったナイフの持ち手端を叩き込む。くの字に身体を折った男の太ももへはその刃を突き立てた。

 銃声が耳を貫く。倒れた男の後ろに、もう一人いたらしい。銃弾は肩に当たった。左。

 見えない。銃声の方向へ、ナイフを投げる。飛び込んで、引き倒し、とどめを振り上げたところで視界が晴れた。月灯り。かかっていた雲が過ぎたらしい。

 桜花は馬乗りになって振り上げた手を、男の頬すぐ横へ、突き立てた。運が良かった。お互いに。死人は口なし、だ。

 答えて。あの女はどこ。どこ。どこ。

 知らない。男はそう繰り返す。この役立たず。この、役立たず。

 メイズは仇の名前を知っている。流風は釣り餌になれる。だが、桜花には、なにもない。麻耶が、メイズと同じ煙草を吸っていたということだけ。あのにおいだけ。白伊に瑠璃。事情は知っている。でもそれは役に立たない。足を引っ張るだけ。知らないと言うこの男と、なにが違うのか。

 地面へ突いた手を振り上げる。振り上げて、止まった。止められている。掴まれている。あの煙草のにおい。

「まだだ」

 ぜえぜえと、苦しげな呼吸の合間にメイズの声がある。喉になにか絡まったような、大きな咳が続く。掴んでくる手は力強く、その手に全身から力が吸い取られていくみたいだ。

 メイズの顔を見てぎょっとする。額で汗が玉になっている。血だ。血に濡れている。彼は刃物を使わないから返り血ではない。

 イヤホンから流風の声が聞こえる。後は任せろ。

 桜花は下敷きにしていた男を足蹴にして飛び上がった。メイズの脇へ、肩を入れる。ずしり、重いが、立った。すり足で一歩踏み出す。

 ひとつ貸しだな。メイズは口角を上げる。桜花は涙が出そうだ。

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