独歩-3
ちゅん、背後でいくつかの銃声がした。流風はうまくやってくれる。どうしよう。演説は明日の朝で、行かなければ本当に異人全体の今後の立場に関わる。当選する必要はない。だが出なければ、色々とまずいことは桜花も知っていた。それほど事は大がかりなのだ。
手当できる知り合いを、桜花はひとりしか知らない。ケイの家に押しかけた。
「あらあら。明日が晴れ舞台だったんじゃないの?」
「うるさい」
ケイに言われるまま部屋の中をあちこち行ったり来たりしている間も、メイズとケイは憎まれ口をたたき合っていた。血が出ていて息が荒くても、重傷と決まったわけではないのかもしれない。桜花はけが人など世話したことがない。けがはただ殺し損ねて、死にぞこなった証で、血は死を意味するとばかり思っていた。
撃たれてなくてついてたわね。くすくす、笑うケイの横顔が知っているよりもずっと細い。ひとまわり小さく見える。
「ちゃんと食べているのか」
ぽつり、メイズが呟く。訊いたのだろうが、呟いたようにしか聞こえなかった。ケイの手が止まる。彼はそっぽを向いていて、ケイと眼は合わなかった。
「食べてるわよ。今はちゃんと働かなきゃならないから、それでね」
ケイは照れ隠しに、横になっているメイズの胸を叩いた。
「そんなに深くないから、縫合すれば大丈夫よ」
桜花はさっきからしばらく傷を押さえていて、血のにじんでくるのが見えてはらはらしていた。見上げればケイの頼もしい顔がある。
さっさと済ませてくれ。鎮痛剤を飲んでいるメイズは、今度はどこか眠たそうで、声も途切れ途切れだ。だがケイはぴしゃりと、でも輸血が必要だから無理だと言った。
「応急処置だけしてあげるから、病院に行って」
「そんな時間はない。朝一で演壇に立たなければ」
もう夜が明けそうだった。これから病院に行って治療を受けていたら間に合わない。
「じゃあ諦めなさい。グラウが死んだらしいから、もう何をしても無駄でしょう」
メイズは勢いよく起き上がった。桜花の押さえていた傷は腹にあったから、勢いに負けて一、二歩後ずさるだけのはずがなにかを踏んで尻餅をついてしまった。
ベッドサイドランプに照らされたメイズの顔は皺が寄って、ケイを鋭く睨み付けている。彼女をなじる声に足がすくんだ。ケイはじっと立っている。自分より大きく逞しい男に詰め寄られ、なじられながら、正面から受け止めていた。
「せいぜい吠えることね」
そういえばケイは、桜花と一緒になってメイズが立候補することに反対してくれた。彼女だけはずっと桜花の言いたいことを言ってくれていたのだ。
それはあなたのやりたいことなの。あの女に復讐することが、仇を討つことが、目標なんじゃなかったの。
でも結局、最後には折れてしまった。この選挙で勝ち、異人議員としてこの世界で仲間の居場所をつくり守っていくことが、メイズの今のやりたいことなのだ。そう納得したらしかった。それに賛成はしなかったけれど。
そのせいか、ケイは今回説得をしなかった。メイズが聞く耳を持たないと思ってしまっているんだろう。そんなことはない。メイズはいつだって、ケイの言葉をじっと聞いてきた。彼女が反対していたときだって、本当はいつも悩んでいたのだ。近くで見ていたから知っている。
ケイはなにか言ってワンルームの部屋を出て行ってしまった。飛び出していったふうではない。なにか取りに行く風だった。追いかけなければ。立ち上がると、メイズの声が降ってきた。左手が招く動きをしている。近づくと、肩に重みがきた。ずっしり、肩を借りながら、彼は右手を上着に伸ばしている。
「行くのはだめ。殺される」
異人の政界入りは歓迎されていない。異人はろくな仕事に就けないし、どこに行ってもよそ者扱いを受ける。異人がこれを変えたいと思っても、実行に移すことはなかった。実行に移そうとしていることを、この世界の住人が、今回の立候補で知ってしまった。知らせてしまった。これまで虫だと思っていたものが、人間に楯突こうとしていると。
だからメイズはここのところ命を狙われている。死なないで来られたのは、軍から軍と癒着でべったりの議会へ糸を引いているグラウのお陰だった。そのグラウ亡き今、人前に出たらメイズはすぐさま殺されてしまうだろう。
「大丈夫だ。桜花がいるからな」
私が行かなければ、皆殺しだ。メイズはひどく静かに付け加えた。
メイズが死んだ報復を、きっとケイでさえ止められない。これを機に異人は一掃されてしまう。恐らくは死ななくても。
その事態を避けるには勝つしか手が残されていない。でも勝てるわけがないのだ。後ろ盾であるグラウが死んでしまったから。
「グラウ以外にも色々と企んでいる連中がいる。彼らが、私に利用価値があると分かれば勝たせるだろう」
メイズが上着を着るのに手を貸した。時間がかかったが、きつく包帯を巻き直して鎮痛剤をかみ砕き、立ち上がった。いつの間にか煙草に火を点けている。肩を借りていて片手が塞がっているはずなのに、こと煙草に関しては器用だった。煙で輪っかも作れる。
ケイは部屋を出たすぐのところに立っていて、出て行くのを止めなかった。メイズのくわえていた煙草を横取りして、にたりと笑っただけだ。なにか言うべきだった。誰も彼も言うべきだったのに、桜花には言葉を選びきれなかった。ケイはきっと強がっていて、メイズはわざわざ言う必要がないと思っているのだ。違う。それは、違うのに。
『先に掃除しておいてやったぞ』
恩着せがましい流風の声が、すっかり存在を忘れていたトランシーバーから聞こえていた。会場の広場に着いたときだ。流風の、目立つあおい頭は見えない。見回せば周りは二、三階建ての建物だ。どこかの屋上から見ているのだろう。まだ狙撃銃を持っているならだけれど。
あいつはどうしたの。訊くと、隠してある。流風の声が返ってくる。たっぷり楽しめ。声はどこか皮肉げだ。そういえば、流風にはなにを聞き出すのか伝えていなかった。なんだ、拗ねているんだ。分かると返事をする必要がなく思えて、通信を切った。まあ後で楽しむとする。あの男は口が固そうだった。痛めつけ甲斐がある。
演説会場の広場は演壇がひとつ、端に設置されているだけだ。人で埋め尽くされている。こちらの世界の人間が大多数だが、明らかに違う毛色、顔立ちの多さが目立つ。ケイが、一瞬見えたような気がした。流風に訊こうとしてトランシーバーを電源を入れると、メイズの声が響いてきた。始まった。所々咳をしながら、それでも確かに届いている。
「我々は、立たねばならない。戦わなければ、勝ち取らなければ」
血に濡れた手が掴んだ演壇。この画は歴史に刻まれた。
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