星の落ちる町-2

「嘘をついたからでしょ」

 先の角に、白い帽子を頭に載せた少女が立っている。青いスカート、襟の大きな白いシャツ。桜花と同じ、後ろ頭の高い位置でひとつにまとめた髪。あおい髪。環。

 待って。口を開いて足を早めるけれど、環は唇の前で人差し指を立てて、ぱっと身体を翻した。角を曲がっていく後ろ姿。

「待って」

 唇を動かして、声に出してみて、違うと思う。言いたいことはこれじゃない。これじゃない。追いつくことではなくて、嘘のこと。環は、あなたは、知っているの、わかっているの。どうして、この町に来たことなんてないと言ったのか、流風と環と出会ったとき知らん顔をしたのか。その理由が自分でもわからないのに。

 足を、膝を、前へ。前へ。腕を振って、走る。速く。一秒でも速く、一歩でも多く。いつもより足を前に動かせるのが、ふわふわした心地がして怖い。やっぱりこの格好は嫌いだ。

 街灯の灯る角を曲がる。環は見える範囲にいた。ボート二隻分はある幅広の階段の一番下。建物の間に口を開けた海が小さなうねりを繰り返している。

「前もここだったね」

 階段の下から、環の声が飛んでくる。一段目を降りようとしていた足が止まった。

 ここは、何年も前に環を追ったとき、彼女を見失ってたどり着いた場所だ。あのとき、環は桜花をまいた。

「ここに、おびき寄せた?」

 あのときのことか、今のことか。どちらなのかは言った桜花にもわからない。だってここに、環がどんな意味を持っているのか知らない。

「桜花はどう思うの?」

 階段の下から環がこちらを見上げる。にたり、弧を描く唇。海みたいなくろい眼。

 どうって。どうってそんなこと。

「わからない」

 わからない。だって自分は環ではないから。環の気持ちなんか、考えていることなんか、わかりっこないから。それを言うだけのことで、鼻が詰まって視界がにじんだ。

 そうだよね。環の声が、ぽちゃん、ぼちゃん、波音の合間に聞こえる。息が苦しい。胸がつかえて、せりあがってくるものがある。吐いてしまいそうだ。ここで吐いたら嫌われてしまう。

「あそこにね、住んでたんだ。一週間くらいで出て行かなくちゃいけなかったけど」

 見つかっちゃったからね。呟く環のしろくて細長い腕が上がって、左側の建物を指す。街灯がぼんやりと届く黒焦げの建物。火を点けたのは、当時桜花に指示を出していたうちの一人だったはずだ。

「火を点けたのは桜花だった?」

 問いに、首を振って答えた。横に思い切り。髪が背中で揺れて跳ねてむずがゆい。環の顔を見れない。後ろめたい。この手が火を点けたわけではないのに。でも見ていた。だから? 見ていただけだったから?

 環はこうして責めるつもりでかくれんぼなんて言い出したのか。メイズに知られたくないことを、嘘をついたから、わかってしまって。

 メイズに知られたくなかったから。きっとそうだ。嘘をついたことに対するこの理由は、ぴったり胸の中で当てはまった。知られたくない。自分と変わらない年の少女を、殺そうとしていたことなんて。そういう人間だなんて。

「桜花が、そんな顔しなくていいんだよ」

 責めるつもりじゃないよ。環が、びっくりして階段を駆け上がってくる。吐きそうなのに。腹からつっかえつっかえせり上がってくるもので肩まで震えてきた。両手で口を抑えて、桜花は一歩二歩退く。

 首を振るけれど、きょとんとして覗き込んできた環はむしろにやりとして、手を伸ばしてきた。手首を掴まれる。

 た、た、た、階段を駆け下りる環に引かれて、転びそうになりながらされるまま走る。下りて二、三歩、大股に駆けて、踏ん張り、跳ぶ。そこまでは追い切れず、環が跳んだときに桜花はつまづいた。掴まれていないほうの腕を伸ばすが、先は海だ。

「ひっく」

 喉がひきつれて間の抜けた声が出た。意に反して。ぼちゃん。耳がごうとした音に包まれる。視界が真っ黒になった。苦しい。息だ。ぽこ、ぼこ、音は聞こえるがなにも見えない。重い。手も足も重たい。うまく動かせない。早く。早く、上に。上も下も分からない。とにかく上に行きたい。なにか、なにか眼に映るものが見たい。

 鼻がつんとして痛い。変な音が聞こえる。くぐもった音の中に、ごぼごぼ、じーんとする音。

 視界に線が走った。細く短い。もう一本、二本。長さも細さもばらばらだ。すぐに消えてしまう。線はばらばらに現れるけれど、だんだん増えている。ちかちか、暗闇の中で小さく光る点が見えた。蛍に似ている。でも蛍より小刻みにちかちかして眩しい。点は、すうっと、線が走ってきた元の方へ向かった。

 点はいつの間にか視界中に現れていた。すい、鼻先を通り過ぎる点を眼で追う。点の向かう先はぼうと明るく、線とすれ違った。なにかが頬に当たった。じりじりとして熱い。跳ねた油のような、飛んできた火花が当たったような感触だ。

 明るい方へ向かった。線の来る方を辿ると、空気に触れた。海面。光る点が、目の前にあった。じゅっ、頬に当たる。さっきより痛い。ぽっ、ぽっ、ぽぽぽぽぽぽ。雹が落ちて当たる音だ。それが、海上に響いている。

 星。

 雹ではない。ちいさい、雨粒ほどの大きさの、光る点、粒。落ちる星で泡立つ海面もぼうっと光っている。海面に向かっていた、あの光る点だ。

 別の世界へと繋がる海、一年に一度だけ境界の開く夜。〝落ち星祭り〟の宣伝文句が頭をよぎる。こんなことが、現実に。前回来たときはこんなもの見ていない。

「秘密にしよう。ふたりだけの秘密」

 環の声も降ってきた。シヌーグも〝落ち星祭り〟も同じ二度目でも、環のほうは慣れているらしい。落ち着いた声を辿って顔を上げた。

 煌めく星と空を後ろにした環の顔が、ぼんやり照らされている。笑顔だけれど泣きそうな顔。泣かないで。言いたかった桜花の唇に、環の人差し指が触れた。

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