第六話 星の落ちる町
星の落ちる町-1
新しい服は足がすうすうして気に入らなかった。
青いスカートの下に短パン、白いシャツの襟も青くて大きくて、背中にたれるほどだ。白く平べったい帽子を頭に載せられて、髪の毛もいつもと違うように変えられて、自分が自分でないみたいで、自分でなくならされているみたいで、身体中がすうすうする。
こんな格好は嫌だって、すぐに言うつもりだった。だけど、環が、はしゃぐふりをしているのかいないのか分からない父親に合わせてはしゃぐ『ふり』をしていた環が、しーっ、って、人差し指を立てたから。こっそり見せたそれがいったいなんなのか気になって、嫌だと言うのを止めてしまった。
このシヌーグという港町はお祭りの最中で、それも今日で終わる。一週間続く〝落ち星祭り〟の最終日。海に沈む太陽が海と空をあかくあかく染めても、なんでもぎゅうぎゅう詰めの町は小さな灯りを点々と灯して飲み騒いでいる。
この服は〝落ち星祭り〟のお決まりの、子ども用衣装なのだそうだ。流風が一目見るなりかわいいと騒いで着せられた服でも、メイズは小さな眼をちょっと大きくしただけだった。メイズは無口だから。流風と同じ反応でも気味が悪いけれど、でももう少しなにかが欲しかったように思う。
なにをだろう。そんなことを考えていたことに気がついて、桜花は首を振った。いつもと違って、頭の高い所で一本に纏めた髪がぐるんぐるん揺れる感覚がして、思わず髪の先を後ろ手に掴んだ。背中の中程で捕まえられてほっとする。やっぱりこの格好は気に入らない。
ずれた帽子を直すと、町行く人が皆こちらを見て見下ろして通り過ぎていくのが見えて、俯いた。手を振られてもどういった意味なのかわからない。なんとなく、悪意は感じられなかった。
そんな通りの中へ、一歩踏み出す。こぢんまりとした宿の一階、食事処のがやがやに背を向けて、人波に紛れる。ひとりで人混みの中に入るのは久しぶりだ。ほんの少し前まで、こんなことは全然なんとも思わなかったのに。
いつも抱えている長刀は置いてきた。この格好では目立ちすぎるから。環を、子どもをこの人混みの中から探すには、不便だから。
人混みの中は影になって、点々と灯る街灯もあまり届かない。暗いと前が見えづらくて、人にぶつかる。空はまだあおくて、あかい夕陽に照らされているのに。
切り離されていくみたいだ。このまま、暗い人波の中に紛れたまま、この世から切り落とされてしまいそうだ。
どん、どん、どんどん人にぶつかって、目の前の隙間を押し広げて押しやって進んだ。
ぱっ、視界が開ける。朱と橙いろに染まる海と空の境目。みかんのような太陽。鼻につくべたべたとした空気がひんやりとして気持ちいい。息が上がっていた。走っていたなんて。
夕陽を臨む海にはいくつかのボートが浮かんでいるが、みな町へ向かっている。〝落ち星祭り〟の最終日は、星の出ている間船を出してはいけない習わしなのだという。だから、こんなところで足止めを食っているのだ。
シヌーグに来た理由はひとつ。この海を越えるため。この海の向こうにあるという、別の世界に行くため。船はシヌーグとの間にある往復便のみ、それも年に一度、〝落ち星祭り〟の明けた朝。
榊 麻耶の尻尾が掴めないまま、追われるままの中で、逃亡生活を終わらせたい流風との約束の期限が来てしまった。餌になってやるから、期限が来たら安全な場所へ行く。
父娘の追手は絶えることがないけれど、どれも麻耶へ繋がりはしない。そういう手口なんだ、流風が言っていた。あいつらは尻尾を出さない。
この海の向こうに別の世界などあるだろうか。シヌーグは地図に載っていない町だ。あるかもしれない。ないかもしれない。安全だろうか。そうではないかもしれない。
ぐるぐると不安が渦を巻くのは、未練だろうか。それだから環は、かくれんぼなんて言い出して姿を消してしまったのだろうか。
振り返って見上げる。小さな建物がぎゅうぎゅう詰めになった、坂道ばかりの町。海に向かって滑り落ちてきそうだ。あおかった空はもうほとんどが朱い。だけど遠くは黒くなり始めていて、町の隙間は真っ黒い。
――桜花は、ここ来たことあるの?
環のひそひそ声が頭に響く。ここに来たときの話。桜花は首を振った。横に、環にしたのと同じように。
――へえ、そうなんだ。
あの時、環の、なんでもなく聞こえる答えにぞわぞわした。知っている。環は、知っているんだ。桜花がここで、環を探し追いかけ殺そうとしたことを、殺し損ねたことを。もうずっと何年も前のことなのに。
だから、大人には知られちゃいけない。環がいなくなったことを。桜花は朱から黒へ染め変わっていく町の中に踏み出して、進む。
海沿いを歩いた。海の先はまだ明るいが、いつの間にか太陽は姿を消している。ボートもそこかしこに留まっていて、海には誰もいない。海との間に建物が挟まっても、建物と建物の合間切れ間に波打つ黒い面がある。数軒おきにしか下がっていない街灯の明かりがちらちらと反射した。
思い出す。何年も前のこと。数ヶ月前のこと。
言われるがままに人間を叩き斬っていたころのこと。環に、流風に会ったときのこと。
あのときもこんな時間だった。あれはちょうど昼の列車に乗り過ごしたときだった。
いくら走っても追いつけなくて、角を曲がる後ろ姿は見えるのに、曲がった先にはいなくて。メイズとはぐれてしまって、流風と一緒に駅の中をぐるぐる歩き回って、探して。
そして結局、見つけられなかった。メイズを見つけられた、環と一緒に。
どうしてこんなことを思い出すんだろう。環を追って、取り逃がしたときのことならまだしも、流風と環と出会ったときのことまで。
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