第一話 異国の女
異国の女-1
***
その女を連れてきたのは父だった。知人の娘だと紹介されたその女は、名前を
メイズにはこの女が、一目見たとき何歳なのか分からなかった。ちんちくりんの子どもに見えるのに、表情だけがやけに色を放っていた。細い眼は挑戦的、うすべったい唇は弧を描いているのに、笑顔とはとても思えない。だが他にどんな表情というのか、言い表す言葉も持ち合わせていなかった。
ある朝食堂に入ったとき、麻耶は既に朝食を始めていた。短い春の朝だ。屋敷内は未だ寒いが、うすく白いカーテンを揺らす小風はあたたかい。かちり、かちり、小さな金属音が、使用人達の足音に紛れて響いている。父は朝が早く既に朝食を終えていて、兄は未だ遠い地で戦っている。母と、兄の妻、その幼い息子と娘は共に庭を散歩中らしい。唐突に戦地から帰ってきた次男坊に、この屋敷の人間はひどくやさしい。目の前に用意された朝食の、光るナイフとフォークが眼に痛かった。引き寄せたカップの持ち手が細く頼りなく、折ってしまいそうだ。
カップの腹を持つと、壊す不安は軽くなるが熱い。少し口をつけてカップを置いた。あの女が見ている。この家で生まれ育ってきたにもかかわらず不作法な振る舞いをする自分と違って、どこの誰の娘だかも知らされていない彼女のほうがずっと礼儀正しい。
後から聞いた話では、麻耶はとっくに成人しているのだという。父は彼女が、どういった類いの知人の娘なのかは話さなかった。だが気安く扱えるはずもない。
この家は名門なのだ。名門であり続けるべき家、一族。生まれながらに、地位と名誉を勝ち取り士官に就くことを使命づけられているのだ。己を律し規範となるべく生きてきて、任官しこのしばしの休息の後も、そうして生きていく。
そうやって生活してきたメイズには、うら若い女性が同じ屋敷に宿泊していてもどうとも思わなかった。
父の思惑を察しないことはない。己を律することに専念しすぎるためか、体を鍛えることだけが趣味だった。この筋肉ばかりが積み重なっていく息子にどこぞの娘を嫁にあてがって、世間体を保とうというのだ。
そうはいかない。体ばかり鍛えているといっても女性経験がないわけではなかったし、そもそも彼女は好みではなかった。肉付きが悪すぎるし身体が小さすぎる。そしてなにを考えているかわからない顔。のっぺりとした顔は表情がぼやけて見えた。その上言葉が通じない。
戦地から逃げ帰ってきた息子に、女をあてがって慰めてやろうと、そういった目算もあるだろう。母も、使用人達も、厳格な父までもが、生やさしい。甥と姪でさえ一歩引いて見てくるのだ。壊れるまで戦い国に尽くすこともできない、不良品であるこの兵士を。
耳なじみのない音がした。声だ。距離を空けて座った先の、女の声。榊 麻耶。
「日本の言葉は分からない」
日本という国さえ、父に彼女を紹介された時初めて知った。独自の言語を持っていることといい、随分閉鎖的な国の人間だと思ったものだ。それで存在してきたのだからなんと贅沢な国の人間だろう。土地を争って死に、殺すこともない。四方から侵略される不安におののくこともない。
麻耶は笑みを浮かべた。それにどういった意味が込められているのか、判別することはできない。
「お父君は、父とどういった知り合いなのだ?」
彼女の母親が日本人なのだろうか。それとも、この珍しい国の人間を父の知り合いの富豪が買い受けたのかもしれない。いや、そうであるなら、客人としてなど扱わないはずだ。
麻耶の声が単語をひとつ復唱する。なにごとか、ごにょごにょ言っているようだが日本語は分からない。
「父、だ。ああ、ええと」
同じ単語をメイズも繰り返す。言っても通じないようだ。手を振り身体を動かし、父、を表そうとするものの思うように伝わらない。使用人たちに手伝わせた――といっても家系上の位置関係を摸するのに並べただけだが――ところで、麻耶は手を打った。
「父」
彼女は続けて異国の音を放つ。日本の言葉だ。おそらくは、父を意味するところの。復唱するが聞こえる通りには発音ができない。たった一つの音を二度繰り返すだけなのに、イントネーションに違いができてしまう。難しい。だが投げ出してしまうのも悔しく、朝食のことなどすっかり忘れて、この異国からの客人を言葉の練習に付き合わせた。
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