睦月「しそ」


***


 弟からレタスが大量に送られてきた。

 半結球レタスである。半結球とは、よく店頭で見るレタスのように丸くなるわけでもリーフレタスのようなわけでもなく、まあ要は足して二で割ったようなものだ。

 そういえば去年も大量に送られてきたか、と記憶を手繰り寄せながら、裏に戻って日誌を開く。毎日つけている日誌は、その日その日のメニューを控えたノート。同じ頃に何を作っていたかと去年の六月のページを開くと、いくつか出て来たレシピに送られてきた野菜を思い起こした。

 大量のレタス、少し時期の外れてきた新玉ねぎにキャベツ、しそ、茗荷、漸く採れはじめた夏野菜などなど。レタスと新玉ねぎでツナサラダ、しそは梅干しとフライでもいいだろう。キャベツは今までと同じように味噌炒めにしてもいいし、オクラは揚げ浸しにもできる。

 よし、とざっと頭の中で作る料理を決めて、大量の野菜を冷蔵庫に保管する。冬場、五月も半ば頃までは涼しかったから常温保存も効いたが、そろそろ冷蔵庫保管に切り替えた方がいい時期だ。この頃暑い日が増えてきた。

 冷蔵庫に仕舞いながら、それぞれの野菜の量を確認していく。弟のことだから十分送ってくれてはいるが、逆に使い切れるのかどうか。まあ、使い切るのが腕の見せ所でもあるのだが。

 明日の主菜は鶏つくね、鯖の味噌煮。副菜は味噌煮に合わせてオクラの揚げ浸しにしよう。それからキュウリを輪切りにして塩でもんだもの。わかめと酢で和えるとさっぱりしていておいしい。

 買い出しがまだ済んでいなかったため、必要なものをメモして車の鍵を持つ。明日は月曜日だから私一人だ。明後日は和子ちゃんもいるし、少し手間はかかるが梅しそフライができるだろうか。レタスと新玉ねぎのツナサラダを作るとしたら、魚料理は何がいいだろう。

 と。

「なごみさん!」

「ん? あれ、和子ちゃん」

 肉を選んでいた手を止めて顔を上げると、買い物中らしい和子ちゃんがいた。

 いつの間にか、気付いたら呼び名が変わっている。どうやらゴールデンウィークにみやびと関わったのが関係しているらしい。段々慣れてきてくれる和子ちゃんが嬉しくて、あの日声を掛けてよかったなあと実感する。

「明日の買い出しですか?」

「うん、そうだよ。そういえば買い出しの時会うの初めてかもね」

「そうですね、私あまりこの時間に買い物来ないから」

「おばあちゃん、大丈夫なの?」

「なごみさん、今日は日曜日ですよ」

 嗚呼そうか、と頷くと、楽しそうに笑って頷いた和子ちゃんが私の隣に並んだ。私のかごの中を覗き込んで、首を傾げている。何を作るのか推測しているらしい。

「明日は鶏つくねと鯖味噌だよ。是非いらしてください?」

「うーん、たまには買ってもいいかなあ……おばあちゃん、外に連れ出してもいいかなって思うんですよね」

「あ、そうだねえ。おばあちゃん、徘徊とかはないの?」

「微妙ではありますね……でも今のところは。運動した方がいいって聞いたので、散歩できたらいいのかなってちょっと思って。今までは、私が無理だったんですけど、近所くらいならいけるかな、って……うん」

 そっか、と悩む少女の頭を優しく撫でると、和子ちゃんがなごみさんのお陰です、と小さく笑った。

「まあ、和子ちゃんのペースでやって行けばいいと思うよ」

「はい。大丈夫です。ちゃんと、分かってきたから」

 得意げに笑った彼女の頭を今度はぐしゃぐしゃとかき混ぜると、わーと小さく悲鳴を上げながら和子ちゃんが私の手から逃れる。くつくつと笑いながら肉のコーナーから離れると、和子ちゃんも隣を突いて歩いてきた。

 嗚呼そうだ、梅しそフライなら、別に鶏肉だけではなくて魚でもいいだろうか。でもメニューが被ると梅干しが食べられないひとが可哀想だから、やっぱり梅しそはやめよう。ただ、フライ系にすれば揚げ物で統一できるから楽かもしれない。

「そういえば和子ちゃんはひとりで来たの?」

「そうです。お母さんが留守番してます」

「じゃあ送っていくよ。買い物もう終わり?」

「え、でも……終わりではありますけど」

「じゃあ決まりね。お母さんにも挨拶したいし」

 分かりました、と素直に頷いた和子ちゃんと並んで会計を済ませると、自分の荷物は後部座席に積み込み、和子ちゃんには助手席に乗るように促す。段ボールに入れた荷物が滑り落ちないように気を付けながら車を走らせると、私は和子ちゃんの自宅へと向かった。


***


 体育祭の季節らしい。

 水曜日、買い出し帰りに珍しく道を変えて帰っていると、途中にあった中学校の校庭で中学生たちが一生懸命応援練習をしていた。

 もう十年以上前だ。高校のときも体育祭はあったが、中学までとは比べ物にならない。そもそも平日の開催だったから親が見に来るなんてことはなかったし、どちらかというと球技大会の方が楽しかった思い出がある。それに高校というのはどこも文化祭がメインになっているから、余計に体育祭の記憶なんて薄いだろう。

 私としては、高校時代の体育祭の方が印象的なのだけれど。何せ三年あって最後までできたのは二年生の時の一回だけ、三年の時は午後の部が始まる前に雷雨で中止になり、それより酷いのは一年生の時のドクターヘリが出動してしまった案件である。リレーで転倒した挙句頭を蹴られてしまったため、救急車だけではなくドクターヘリまで出動する事態となってしまった。びっくりして大号泣する友達を宥めすかしていたのがいい思い出だ。

 ちなみにその生徒は大事には至ることなく、翌年同じクラスとなったがネタとして使うくらいには強かな子だった。

 懐かしい記憶を思い返しながら、家に着くと買い込んだ材料を分別しながら冷蔵庫へ仕舞っていく。明日の献立は、ハンバーグとサバの味噌煮。副菜はレタスときゅうりの中華和え、いんげんの胡麻和えだ。

 さて寝るか、と伸びをして、畳んであった布団を引っ張り出す。体育祭があると大抵はお母さんが頑張るので、あまりお弁当は売れないかもしれない。作る個数を考えた方がいいか、と思案しながらうとうとし始めた、そのときだった。お店の電話が鳴ったことに気付いて身体を起こすと、私は慌てて電話を取った。

「はい、弁当屋『結』です」

『もしもし、なぁちゃん? 島村です』

「嗚呼、島村のおばちゃん。どうしたんですか」

『なぁちゃん、土曜日お弁当予約できたりする? 数はね、まあざっと五十くらいかしら』

「五十ですか? 何時まで、ってあります?」

 予約は受け付けてはいるが、あまり利用する人はいなかったりする。水曜日の土曜日だと少し急ではあるが、申し訳なさそうな様子からしてあちらもイレギュラーなのだろうと察する。

『お昼に間に合えばいいそうよ。取りには行くから、って』

「分かりました。ちなみに、何用ですか?」

『体育祭の先生方とPTAの分らしいわ』

 体育祭か。

 そういえば島村のおばちゃんにはお孫さんがいたな、と思い出した。その繋がりか何かで頼まれたのだろう。

「おかずのリクエストとかありますか?」

『特にはないって。急になっちゃったからそっちのやりやすいようにお願いします、だそうよー。時間と個数だけ確実に用意してほしい以外はお任せします、って』

「承りました。窓口は島村のおばちゃんでいいんですか?」

『あとで窓口の人から連絡させるから、とりあえずあたしでいいわよぉ。あ、ちなみに学校は南中ね』

「ありがとうございます。一応島村のおばちゃんの電話番号訊いといてもいいですか」

 ああそうね、という言葉のあとに十桁の番号。ありがとうございます、ともう一度繰り返すと、こちらこそありがとねえ、と電話越しにのんびりとした声が聞こえてくる。失礼します、と電話を切ると、私はメモに土曜日五十個、体育祭用と書いて冷蔵庫に貼った。

 おかずはあとで考えよう。とりあえず、寝る。今日中におかずは決めて弟に連絡すれば、野菜は確実に確保できるだろう。送られてきてから考えてもいいが、不安要素はなるべく減らしておきたい。

 流石にそこまで大きい予約は初めてだ。ぽつぽつ、ひと月に数件ずつ少量の予約はあったりするが、そもそも直接買いに来る人が多い。が、逆に店の名を広めるいい機会ではあるだろう。

 人手は……足りる、かな。

 五十個でメニューはこちら任せなら大丈夫だろう。お弁当に合わせておかずを決めればいいわけだし。

「とりあえず寝るか……」

 ひとり呟いて、布団の中へ戻る。窓口の方から連絡が来るかもしれないが、流石に電話の音で起きられるはずだ。明日は和子ちゃんがいるから少しは楽できるとはいえ、寝ておくに越したことはない。

 目を閉じると、すぐに眠気に襲われる。抗うことなく身を任せると、私はすうっと眠りに誘われていった。


「え、土曜日、予約入ったんですか?」

「うん、体育祭だって」

「ああー……もうそんな時期なんですね」

 そうだよ、と会話をしながら、曇り空の外へと視線を向けた。

 このところ、少し天気が悪い。だが体育祭当日の土曜日は晴れると言っていたし、まあ心配はいらないだろう。雨が降っているとお客さんは少なくはなるが、雨が降らないと野菜が育たないのでどっちもどっちである。

「おかず、何にするんです?」

 それね、と作業をしながら冷蔵庫のメモへ視線を向ける。私の視線を辿った和子ちゃんが手元のいんげんの肉巻きを気にしながら身を乗り出した。

「合法ハーブ、shiso……?」

「そうそう、まあ要はしそね」

 『合法ハーブshiso』。

 少し前からネット上で話題になっている、しそ。別称大葉である。

 これをごま油、醤油、ニンニクで一晩漬けこんだものが癖になるほどうまいとSNSで話題になっていた。試しに先週少し送られてきたしそで作ってみたのだが、確かにこれはハマる。

 私は単純に白いご飯と食べてみただけではあったが、これは何にでも合うだろう。悩みはしたが、体育祭。いくら教師や親と言っても、体力勝負なことには違いない。

 しそは、平安時代から栽培されていたといわれているほど日本人には馴染みのある野菜である。野菜、というにはそのものを食べないため、少し違和感は残るだろう。しかしこのしそ、葉は勿論のこと芽や花も食べることができる。

 そして、しそといえばあの香りだろう。芳香の成分はぺリアルデヒドというもので、防腐・殺菌作用を持っている。刺身に大根のつまと共に入っているのは、この効果があるからだ。また、この香りは胃液分泌促進するため、食欲増進の効果がある。加えて大根の葉と花を刻んで熱湯を注いだしそ茶は、下痢や腹痛の改善にもなるらしい。流石にやったことがないので分からないが。

 これはもう体育祭のおかずにはぴったりだろう。ということで、おかずはこの合法ハーブshisoを使ったもので決定である。

「しその肉巻き、ですか? このいんげんみたいな?」

「そうそう、豚肉で漬け込んだしそをくるくる巻いて、ひと手間かけて片栗粉をまぶして、焼くだけ。梅しそでもいいかあ、とは思ったんだけど、にんにくにも食欲増進効果あるってよく言うし、本当にこれ美味しいからちょっと広めたいっていう下心も入ってる」

「ふふっ。そんなにおいしいんですか?」

「え、いやほんと美味しいから。ちょっと土曜日買いに来てよ。というか寧ろお分けするから」

「うーん……」

 何かに悩んだ和子ちゃんが、はっとした様子でいんげんの肉巻きをフライパンからバットに移していく。店頭の方から声を掛けられて、私も店の方に出ると会話が途切れてしまった。

 何人かまとまってきたお客さんを捌いて、奥に戻る。お互い作業に入ってしまったため、会話は復活しない。まああとでいいか、と切り替えて仕事を熟しきると、和子ちゃんに遠慮がちに声を掛けられた。

「あの、なごみさん」

「んー? どした?」

「もしよかったら、土曜日手伝いに来てもいいですか……?」

 和子ちゃんの思いもよらぬ発言に驚いて、私は目を見開く。ダメだったらいいんです、と勢いよく付け足した彼女に、いやそうじゃなくて、と間髪入れずにフォローを入れた。

「だって土曜日、大丈夫なの?」

「大丈夫です! 今週お父さんが来るっていうので。もしよかったら、ですけど……ついでに、そのしその醤油漬け? いただけたらなって……」

「本当? それは大分助かる!」

 一人でやるつもりではあったが、手がある分にはありがたいことだ。

 本当にいいの、と念を押すと、大丈夫ですと和子ちゃんがしっかりと頷く。じゃあお願いします、と返すと、彼女は笑顔で頷いた。その笑顔に、和子ちゃんも少しずつ変わってきているなあと改めて実感する。

「しそは明日漬けるから、明後日には食べごろになってると思うよ。お父さんとお母さんにも持って帰ってもらったら? 気に入ってくれたらだけど」

「え、でもいいんですか?」

「うん、大目に頼んであるから大丈夫。本当にありがとうね、和子ちゃん。頼りにしてる」

「いえ! こっちこそ、いつもありがとうございます」

 二人で顔を見合わせて、笑う。その頭をそっと撫でて、私は彼女に今日の分のお弁当を手渡した。

「気を付けて帰ってね」

「はい! また明後日来ます」

 和子ちゃんに手を振って別れると、片付けとお昼を終わらせて買い出し。明日のメニューは鶏肉の甘酢あんかけとアジの唐揚げ。甘酢あんかけの方は野菜も一緒に使うので、副菜は魚メインといつものの二つ分。

 きゅうりと人参があるから、マカロニサラダでも作ろうか。ということはハムが必要だ。あとひと品はなすの揚げ浸しにしよう。

 ハムだけ買って家に帰る。仮眠を取ろうとしたところに、電話が。そういえば昨日のうちに窓口の人から連絡が来なかったなと今更ながらに思い出すと、私は知らない番号からの電話を取った。

「はい、弁当屋『結』です」

『あの、お電話遅くなってしまってすみません。南中の相沢と申します。昨日、島村さんからお電話入れていただいていると思うのですが……』

「嗚呼、承っていますよ。お弁当、五十個ですよね」

『はい、そうです! 急なお話だったのに受けてくださってありがとうございます。実は、元々頼んでいたところの店主さんが骨折をして入院していまして……代わりを探していたら、島村さんが紹介してくださったんです』

「そうだったんですね。こちらこそ、うちを選んでくださってありがとうございます。そういえば、メニューの確認をしておきたいんですが、今お時間大丈夫でしょうか?」

『嗚呼すみません! 大丈夫です』

「そういえば、アレルギーは皆さんありませんか?」

 すっかり忘れていた、卵を使う予定はないからまだ大丈夫だとは思うが、アレルギーがあってはいけない。

『それは大丈夫だそうです』

「よかったです。それで、メニューの方なんですが、主菜がしその肉巻き、副菜に水菜と人参のツナサラダ、オクラの煮浸し。お漬物もつけておきますね」

『ありがとうございます、十分です。当日、十一時頃に取りに伺っても大丈夫でしょうか?』

「十一時ですね、了解しました。では、当日、よろしくお願いします」

 金額を伝えて、電話を切る。大変ではあるが、楽しみでもある。結局のところ、料理をするのが私は大好きなのだ。

 あとは当日作るだけ。その前に、明日のお店があるわけだけれど。

 メモに時間を付け足して、明日買うものを確認して。大丈夫だな、と納得した私は、漸く布団に入った。


***


 土曜日である。

「和子ちゃーん、こっち任せてもいい?」

「はい、大丈夫です! なごみさんが大丈夫って判断するなら!」

「あはは、それは大丈夫だから大丈夫だね」

 和子ちゃんに店頭用のお弁当を頼むと、私は予約された中学校分の弁当を作り始めた。

 朝のうちに、オクラの煮浸しは作ってある。着ける時間が長い方がおいしいから。まずは水菜と人参のツナ和え。しっかり洗って泥を落とした水菜をざく切り、人参は細く千切りにして、それぞれ塩を振って置いておく。

 その間に、合法ハーブshisoの出番である。

 薄い豚ばら肉に漬けこんでおいたしそを乗せ、くるくると巻いていく。朝のうちに浸かり具合を確認したが、ばっちりだった。やはり合法ハーブの名は伊達ではないらしい。巻いた豚ばら肉に片栗粉をまぶし、少し多めに引いた油の中に巻き終わりを下にして並べていく。あまり火を通し過ぎると固くなるので、ほどほどに。気を付けながら焼いて、焼きあがったものはいったんバットの中へ。

 そうして焼き終わると、またサラダの仕込みに戻る。水菜と人参を和え、そこにお酢と胡椒を入れて味を整える。サラダはこれでおしまい。あとは買ってきておいたお新香をちょっとずつご飯の隣に置いて、完成である。

 あとは取りに来るのを待つだけ。もう既に季節は夏に入りかけている、食中毒も怖くなってくる時期だから、衛生にはきちんと気を付けている。店頭に買いに来る人にはやっていないが、流石に五十も持って帰ってもらうのだ、確かあったはずと記憶を辿りながら押し入れの中を捜索したら見つかった発泡スチロールの箱に弁当と保冷剤を入れて、すぐに渡せるように準備をしておいた。渡すときになるべく早く食べてもらうように伝えなければならない。行事の進行状況にもよってしまうだろうが。

「ごめん、和子ちゃんありがとうね!」

「えっと、多分お客さん来てるので、なごみさんそっち頼んでもいいですか……」

「嗚呼うん、ごめんね行ってくる!」

 和子ちゃんにはまだ接客は頼んでいない。出来ないこともないとは思うが、本人的にはまだ不安がどうしても残るらしい。

 確かに、普段のバイトは平日の午前中、学校のある時間帯だ。下手に勘ぐられて噂を流されて住みにくくなって、困るのは和子ちゃんだ。それを考えると私も無理にとは言えないし、私で手が足りているからわざわざ和子ちゃんに頼む理由もない。

 もし今後学校に行けるようになったり、和子ちゃん自身の気持ちが変わって来たりすれば別だけれど。この間、おばあちゃんと散歩してみようかなとも言っていたし、それができるようになってからでも十分遅くはないのかなとも思ったりする。

 一番大切なのは、和子ちゃん自身の気持ち。まだ私たちだって出逢ってから約二ヶ月しか経っていない。

 私が焦っても仕方ないな、と思いながら客の対応をして、和子ちゃんが作っていったおかずを詰めていく。私が予約用で肉メインに作っていたから、和子ちゃんには魚を主に頼んでいた。少なくなってきたしその肉巻きを作りながら、和子ちゃんの手元を覗き込む。もう大分慣れてきた手つきに私は小さく笑った。

「和子ちゃん、本当に慣れて来たね。家でどう?」

「えっ? 唐突ですね? ありがとうございます……?」

「ふはっ、そんなに構えないで? お節介ななごみさんの素直な気持ち」

「なんですかそれ」

 視線は手元に向けたまま、和子ちゃんが小さく吹き出す。声を上げて笑った私に視線を移してから、和子ちゃんは大丈夫ですよ、と笑った。

「おばあちゃんも、ちゃんと食べてくれますし。となりのおばちゃんも気にかけてくれるから、たまにおかずいただいたりするんです。私も、こうして色々教わってるから色んな料理作れるようになったし、楽しいです」

「それはよかった」

 隣で私もフライパンから肉を取り出しながら笑い返した。

 そんなことをしていると、店頭からすみません、と呼び出しがかかる。急いで手を洗って店頭に出ると、予約した相沢ですけど、と声を掛けられて、私は嗚呼、と手を打った。

「できてますよ! 今持ってきますね」

「ありがとうございます!」

 奥に戻って、用意してあった発泡スチロールの箱ごと彼女に手渡す。流石に一箱には収まらなかったので数箱に分けられたそれらを手伝って車の中に積み込むと、代金を受け取って思いついた私はチラシを数枚彼女に渡した。

「よかったら宣伝してください。一応保冷してはありますけど、すぐに食べないなら冷蔵庫に入れておいてくださいね」

「わかりました。本当にありがとうございます……!」

「いえいえ。今日、天気も良くてよかったですね」

 外に視線を送りながらそう笑いかけると、そうですね、と弾んだ声で相沢さんも相槌を打った。

「進行状況はどうですか?」

「スムーズに進んでますよ。特に怪我人とかも出てないので、よかったです」

「お子さんのチーム、勝ってます?」

「それが、負けちゃってるんですよー。午後から団体競技なので、それでまきかえしてくれることを祈ってますね」

「じゃあ早く帰らないとですね。引き止めてしまってすみませんでした。熱中症には気を付けてくださいね」

「はい、ありがとうございます。また来ます!」

 いってらっしゃい、と相沢さんを見送って、入れ替わりに入ってきた数人のお客さんの相手をする。その後も暫く動いていると、あっという間に閉店の時間になって店先の板を『close』にひっくり返した。

「和子ちゃんお疲れ様。今日はありがとうね。お弁当持って帰る?」

「今日はお父さんが何か作るって言ってたので、大丈夫です。私は好きにしなさいって言われたので、しその肉巻き持って帰りたいです」

「りょーかい、……どうする、一緒に食べて行く? そしたら肉巻きにしてない合法ハーブも出すよ」

「なごみさん合法ハーブって言い方気に入ってませんか?」

「あれ、ばれた?」

 だってなんだか違法っぽいくせに違法じゃない言い方がツボなのである。

 くすくすと笑う和子ちゃんが、じゃあお邪魔してもいいですか、と問いかけてくる。是非、と返すと使ったものを流しに入れて水に浸けておき、私は和子ちゃんと裏の自宅へ上がった。

「でもそんなになごみさんが合法ハーブっていうから私も気になって仕方ないんです……」

「それはいいことだ。本当にはまるとやばいから、心して食べてね」

「どういう意味ですか」

 ご飯茶碗にご飯を盛りつけて、少し残っていたおかずを拝借。皿に盛りつけて、鍋に沸かしておいたお湯の中にざくざく切った水菜を放り込む。塩胡椒、コンソメで味付けをすると、軽く味見をして汁椀によそった。

 久しぶりにうちでお昼を食べて行く和子ちゃんが、少しそわそわしながら台所に立っている。箸そこね、と指示を出してあげるとほっとしたように二人分の箸を持ってテーブルについた。

 食卓に皿を並べて、二人でいただきます。冷蔵庫から出しておいた自宅分のしその醤油漬けも忘れない。まずはご飯と食べてみて、と容器を押し出すと、箸で一枚摘んだ和子ちゃんがご飯を包んで一口。

「……美味しい、というか、確かにこれハマりそうですね」

「でしょ? 多分お酒にも合うから、和子ちゃんにはまだ早いけどお父さん喜ぶと思うよ」

「お豆腐、とか……? 油揚げ、とか?」

「どっちにしろ豆腐だけどね? 合うと思う。豆腐はそのまま載せていいし、油揚げにやるなら油揚げトースターで焼くといいよ。おつまみではあるけど、そうじゃなくても美味しいからやってみて?」

「やってみます。本当にもらっちゃっていいんですか?」

「いいよいいよ! 折角土曜日来てくれたし、私が布教したいだけだから持っていって!」

 じゃあいただきます、と言う和子ちゃんにうんうんと頷いて、自分もご飯と共に口の中に放り込む。本当にこれはハマる。意外とネットの情報も侮れないなと思うのは、こういう時である。それに案外ネットの方がいい情報が転がっていたりもするので、時々時間ができた時にチェックするようにはしている。

 しそくらいならプランターでも育てられるかなあ、と頭の中で企みながら、今度弟に訊いてみようと思った。季節の時にしか食べられないけれど、それでいい。季節感を大事にしたいから、うちの弁当も弟から仕入れている旬の野菜をほとんど使っているわけだし。

 今はハウス栽培で年がら年中色々な野菜が食べられるようにはなっているけれど、やっぱり一番おいしいのはその野菜の旬だ。それを、せめてうちに買いに来てくれるお客さんには分かってほしい。そう思って、開店当初からなるべく季節の野菜を使うようにしている。

 どうしても、自然相手の職業だからなかなか難しいときはあるし、彩りを考えて買ってしまう場合もあるけれど。それに、地域によって育ちやすい野菜というものは違うもので、弟の、つまりは私の実家では土から上になる野菜が育ちやすく、いとこの方では土から下になる野菜が育ちやすい。そういうのも考えると完全に、と行かないのが少し悲しいところだ。

「なごみさん、何考えてるんですか?」

「んー? 季節の野菜知ってる人って今ちゃんといるのかなあって」

「嗚呼……私、ちゃんと知らないかも」

「農家してると、自然と身につくものなんだけどね。一般の人はなかなか意識してないだろうなって。今季節じゃなくても野菜なんて簡単に手に入るし」

 そっかあ、と呟いた和子ちゃんが箸を進める。難しいですね、と言った彼女にそうだねえと溜め息を吐くと、食べ終わった食器を流しの中に置いた。

「ねえ、なごみさん」

「うん?」

「なんか、旬の野菜カレンダーみたいなの作ったらどうですか?」

 旬の野菜カレンダー、か。

「和子ちゃん面白いこと思いつくね」

「え!?」

 それはいいかもしれない。カレンダーじゃなくても、ホワイトボードとかに旬の野菜掲示したり……写真撮って貼ってもいいし。嗚呼、ついでにおかずもレシピ配布とか需要あるだろうか。

「ねえ、旬の野菜のレシピとか需要あると思う?」

「私だったら欲しいかも、しれないです。そもそも何度かなごみさんからもらってるし……お試しで少しやってみたらどうでしょう」

「うん、ちょっと考えてみる。折角だから弟とかにも手伝ってもらおうかなあ。収穫される前の写真とか面白そうじゃない? 思い付きだけど」

「あ、それ面白そう……! 先月の筍掘り、楽しかったし、ああいう写真あると興味も出るかもしれないです」

「よし決まりかな。あー楽しみだな。そういうの考えるの大好きなんだよね」

 基本的に、誰かに教える、というのが好きなのだ。それが好きなことになれば尚更。折角の思いつき、やらない手はない。

「というか、なごみさんって商売のことあまり考えてませんよね」

「え? そうかな?」

「だって、お弁当結構安いです。ちゃんと量とか入ってるし、コンビニのよりも野菜も多いし、バランスもちゃんとしてるし。なのにそうやってレシピ公開しようとしたり」

「……それが……?」

「なごみさんのそういうところ、好きですけど。普通レシピ公開したらお客さん来なくなるとか考えませんか? 家で作れるんだもん」

「あ、そっか」

 そういうことを考えたことはなかった。

 素で納得した私に、和子ちゃんが呆れたように笑う。流しに立って洗い物を始めた彼女に、素直にありがとうと伝えると恥ずかしそうにしながらスポンジで食器をこすっていた。

 でも、具体的にどうしようか。弟に協力を申し込むにせよ、それなりに案を立ててからでないと困るだろうし。みやびにでも頼むかなあ、と考えながら二人分のお茶を淹れると、洗い物の終わった和子ちゃんがテーブルに戻ってきた。淹れたばかりのお茶を手渡す。

「ありがとうございます。……今度は何を悩んでるんですか?」

「いやあ、弟に頼むにせよもう少し案詰めないとなあって。和子ちゃん時間ある? あったら少し手伝ってくれると嬉しいかもしれない」

「私でいいなら! お父さんに連絡しておきますね」

「貴重な時間をごめんね。私じゃ一般人の考え分からないから一般目線が欲しくて……」

 常識からずれている自覚はちゃんとあるのだ。兄弟の仲でも常識はある方ではあるものの、野菜に関してはそうでもなかったりする。あまりにも野菜が身近すぎて、一般の感覚がよく分からないのだ。なんせ、食事のバランスがよくないから爪に線が出ると言われて、肉が多いのではなく野菜が多いからだと友達に言われたほどである。

 和子ちゃんが父親に連絡を入れている間に、私はしまってあったノートと筆記用具を引っ張り出してきた。メモしておかないと、考えが散らばって収拾がつかなくなりそうな予感がした。そもそもノリと勢いで生きているような人種である、きちんとメモを取っておくに越したことはない。

 冷蔵庫を漁り、何かおやつになりそうなものがないか思案する。折角手伝ってもらうのだから、何か出せるといいのだけれど。

「なごみさん、遅くなりました! お父さん、ゆっくりして来いって」

「そっか。ありがとうね、和子ちゃん」

「いえ! ……それよりなごみさん、何してたんですか?」

 冷蔵庫漁って、と付け足された言葉に笑いながら一度冷蔵庫を閉める。そういえば、さくらんぼがあったような。山形出身の友達から箱で送られてきて、まだまだ残っていた。

「和子ちゃん、たまにはご飯だけじゃなくてお菓子作りでもしようか」

「へ?」

「大丈夫、難しいのは私も作れないから。さくらんぼいっぱいあるし、ゼリー作ろう」

「え?」

 よし、そうと決まれば下拵えである。

 頭にはてなマークを飛ばした和子ちゃんにざるを持たせ、冷蔵庫の中からさくらんぼを取り出すと一掴み、二掴み……で、いいか。と思いつつ気持ちで三掴み。

 小さい果物ナイフを二つ、抽斗から出してくると一つを和子ちゃんに手渡す。テーブルに持って行っておいて、と頼むと、私は私で実を入れるボウルとへたと種を入れる豆腐パックを持ってテーブルに着いた。

「丸くぐるっと切れ込み入れて、半分に割ったら実はボウル、へたと種は豆腐パックね。これを砂糖で甘く煮詰めて、お湯でシロップ嵩増ししたらゼラチン入れて固めるだけ。ほら簡単」

「簡単なのは分かったんですけど、どうしたらこうなったんですか……?」

「え、折角手伝ってくれるんだったら何か出せないかな、と思った結果?」

「……まだ時々なごみさんの思考回路って分かりません」

 そう呟いた和子ちゃんが諦めたようにさくらんぼを一つ手に取った。ごめんごめん、と笑いつつも謝ってみせると、いいんですけど、と言葉が返ってくる。

「まあ、やりながら話しようか、……和子ちゃんできそう?」

 和子ちゃんの手元をちょこちょこと盗み見ながら、自分もさくらんぼにくるりと切れ込みを入れて、種を取り出す作業を繰り返す。真剣にやっている和子ちゃんから返事が返ってこなかったので、話はやめておこうと判断。下手に声を掛けてけがをされても大変だ。中学生の頃、ドラマを見ながら栗の皮むきをしていたら親指を誤って刺した記憶がよみがえった。

 とはいえ、そんなに大量のさくらんぼがあるわけでもない。私もそこまで慣れているわけでないとはいえ、これくらいは難なく熟すことはできる。ということで、さくっと作業を終わらせた私は取り出した鍋をコンロにかけて、和子ちゃんにさくらんぼを突っ込むように指示した。

「全部入れちゃっていいからね。あ、水はこれね。あと砂糖はそこ。大体さくらんぼと同じくらいの量かなあ」

「そんなに入れるんですか」

「まあ、味見してみて濃いくらい。甘いの苦手だったら少なくしてもいいよ」

「わかりました」

 そこそこの量になったさくらんぼ。鍋に水と砂糖を投入して、あくを取りながら煮詰める。今回はジャムを作るわけではないので、水分を飛ばすほど煮詰めることはしないけれど。ある程度に詰まったなと思ったらラム酒を少量入れ、アルコールを飛ばす。最後にレモン汁を入れて少し煮詰めると、完成だ。ここにふやかしておいたゼラチンを溶かし入れ、カップに分け入れる。カップは一度水で濡らしておいた方がくっつかないらしい。さくらんぼが等分になるようにシロップを分け切ってカップをバットに並べると、冷蔵庫に開けておいた隙間にバットを押し込んだ。

「仕込みは完了、あとは冷やすだけだから、その間に話詰めようか」

「はい。というか、なごみさん頭の中にレシピ入ってるんですね」

「え? 嗚呼、ゼリーくらいなら……というか、ジャム、シロップくらいならね。大体果物と同量の砂糖入れて煮詰めるだけだし。お好みで今回はラム酒使ったけど、ラムだったり、他にもリキュール入れてみたり。あとはレモン汁か、アレンジってほとんどないから、簡単なだけだよ」

 流石に私もケーキ類と言われたら少なくとも分量は見なければ作れない。特に最近はめっきりお菓子作りをしないため、作り方も見ないと不安なことこの上ない。なんせ、高校卒業前にホットケーキを作った際、妹に「卵っていれるっけ」と訊いた姉である。

 洗い物を簡単に済ませて、二人でテーブルに戻る。思いついて麦茶を冷蔵庫から出してくると、コップに注いで和子ちゃんに手渡した。ありがとうございます、というお礼を素直に受け取って自分の分も用意してから、私は漸く席に着いた。

「思い付きで付きあわせちゃってごめんね、和子ちゃん」

「いえ! 楽しかったです。あんまりこういうことしないから」

「まあそもそもジャムとか作れるほど果物がないよね、普通は。それくらいは知ってる」

 実家でいちごは作ってたしブルーベリーも作ってたし八朔やぶどう、無花果などもよく採れたから意識したことはなかったが、普通はないということはちゃんと知っている。仕込んでくれた高校の友人に感謝である。

 よし始めようか、と持ってきたノートを開いて跡をつける。シャーペンを持って、ノートの欄外に『旬の野菜を知ろう!』と書き込む。くすり、と笑い声を漏らした和子ちゃんになにー、と絡めば、何でもないですと答えた彼女は麦茶を一口口に含んだ。

「カレンダーの方がやっぱりわかりやすいかな」

「だとは、思います。一目で分かるし……でも、場所、ですか?」

「そこなんだよね。カレンダーとなると大分大きくなっちゃうだろうし……となると、ホワイトボードに名前を入れた写真を貼る、とかかな」

「うーん……それがいいんですかね。今月の野菜、みたいな感じで」

「そうそう。で、なるべく収穫前の野菜の写真で」

「そこは譲れないんですね」

 さっきも言ってた、と和子ちゃんが笑う。そこは譲れないなあ、とのんびり肯定した私も、つられて一緒に笑う。

 収穫前の野菜を、普通の人は知らない。想像できるものはあるかもしれないけれど、例えば胡麻だったり、里芋だったり、ちゃんと知っているひとはどれくらいいるのだろう。

 それに、知れば食物の大切さも伝わるのかなと、そんなことも期待して。知るということは決して悪いことではないから、せめてこのお店に来る人にだけでもいいから分かっていてほしいのだ。

「とりあえず、で今月だけでもやってみたらどうですか?」

「そうだねえ。お試しで作ってみるか。今月の野菜ねえ……とりあえずしそね」

「なごみさん絶対言うと思いました」

 バレたか。そりゃああれだけ言ってたら分かるか。

「大丈夫、他にもちゃんとあるよ。いんげん豆とか、キュウリ、ナス、おくら、ピーマン……夏野菜はそろそろ始まる頃だね」

「嗚呼、夏野菜。そっか、もう暦上は夏ですもんね」

 そうだねえ、と返しながら、ノートに旬の野菜、と書き込んでいく。全てというわけにもいかないし、うちで使っている野菜くらいでいいだろう。それでもそれなりに種類はある。

 しそ、いんげん、絹さや、キュウリ、ナス、おくら、ピーマン、とうもろこし、アスパラガス、茗荷。まあざっとこんなものだろう。

「これはあとで弟に連絡しておくとして、あとはレシピかー」

「本当にやるんですか……?」

「え? やるやる! 和子ちゃん何がいいと思う?」

 商売繁盛は二の次くらいなものなので、そこは気にしない。正直作るのが好きで、それを伝えるのが好きで、教えるのが好きなお節介なのだ。配布しない選択肢なんて、私の中にはないに等しかった。

「……とりあえず、作りやすいものですかね? その方が、作ってみようって持って帰りやすいかもしれないし」

「あー、確かに。あとは年齢層かな。うちのお店、結構幅広いところはあるけど、どちらかというとおばちゃん方が多い……と思うんだよね」

 朝の時間帯は、若い子も多い。高校生、大学生、社会人。学校や会社に行く前の人たちが、駅にほど近い場所にあるうちでお弁当を買って行ってくれるからだ。

 だが、そういう人たちは朝忙しいことが多く、あまり話せる機会もないし家でご飯を作る時間もないだろう。だったらお昼の時間に来る年配の方をターゲットにしてみるのもいいかな、と思ったのだが。

「でも、時間がないからこそぱぱっと作れるものって需要ありませんか?」

 その発想はなかった。

「確かに! ってことは、狙いは若い人たちかな」

「です、かね……? 一人暮らしの人とか?」

「女性もだけど、男性も作れるようなお手軽レシピだといいのかもしれない。あとは、親と一緒に住んでる高校生大学生でも試に作ってみよっかなあ、ってなってくれると嬉しいけど……それはまた別かな。とりあえず一人暮らし層をターゲットにしよう」

 簡単に、手間をかけずに作れるレシピ。お弁当にはなかなかないものかもしれないけれど……それこそ、合法ハーブshisoのような。

 うーん、と唸りながら、献立ノートを引っ張り出す。ぱらぱらと去年の献立も振り返りながら、よさげなものを探してみる。和子ちゃんも一緒になって覗き込んできたので身体をずらしてスペースを開けると、ありがとうございますと言いながら少し身体を寄せた和子ちゃんと二人で目を走らせた。

「あ、これどうですか?」

「これ?」

「あ、でも揚げ物だ……」

「嗚呼、揚げ浸し?」

 問いかけると、こくり、と和子ちゃんが頷く。確かに、難しくはないのだけれど、揚げ物はそれだけで敬遠されがちだ。それに、揚げ油をどうするのかを考えなければ揚げ物にはなかなか手を出せない。

「んー、ころころきゅうりとかだとめっちゃ簡単だけど……」

「ころころきゅうり?」

「名前がないから便宜上そう呼んでるだけで、本当に簡単な料理と言っていいのかすら分からないレベルのきゅうり使ったひと品なんだけど。ただ乱切りにしたきゅうりに適量の塩まぶして終わり。以上」

「そういうのお手軽っていうんじゃないんですかね……?」

「あ、そっか」

 そういうものでいいのか。

 だとしたら、と献立ノートは和子ちゃんに託して、ころころきゅうり、とノートに書き込む。少し悩んで、『合法ハーブshiso』と付け足した。それを見た和子ちゃんに笑われるが、開き直ってしまえばこちらの勝ちである。

「千切りはちょっと手間って思っちゃうよね」

「うーん、そうかもしれないですね」

「じゃあ……茹でるのは? でもつる取りがめんどくさいのかなあ」

「いんげんとか絹さやですか?」

「うん。どうなんだろう、テレビの片手間にやればそんなに面倒とか思うこともないんだけど……」

 たまにつると実を入れる入れ物を間違えていたりはするけれど。

「それも教えればいいのでは……?」

「あそっか。そうだよね! うーん……そしたらいんげんは茹でて胡麻和え、とか。今は便利なものがあるから味付いてる胡麻使えば簡単だしねえ。絹さやはケチャップ炒めかな。玉ねぎなら年中流通してるし。新玉はそろそろ季節おしまいだけど」

「あ、ケチャップ炒め書いてありますね。……ひと品ずつレシピ出すんですか?」

「何にも考えてなかったけどそうしようかな」

「流石なごみさん」

 慣れて来たらしい和子ちゃんは突っ込むのをやめたらしい。

 思いついたものは忘れないように付け足して、ペンをノートの上に放り出した。

「写真、レシピのもあるといいですね」

「ああー確かに。あったかな……わざわざ撮ってないしなあ」

「準備できたやつからでいいんじゃないですか? コピーしなきゃいけないし」

「あ、そうだ、コピー機ないんだよねえ……」

 家で刷った方が楽だろうけれど、生憎うちにコピー機はない。小さいのでいいから、この際買ってしまおうか。

「今度コピー機買って来よう。……明日行くか」

「なごみさんフットワーク軽い」

「まあ学生時代はよく金土日で旅行行ったりしてたよ」

 当時、同級生によくやるなと感心されたものだ。でも色々なところに出かけるのは好きだったから、全然苦ではなかった。疲れはするけれど、それ以上に楽しいが勝っていたから。

 今考えると本当にフットワーク軽かったんだな、と実感する。今は流石に二連休が中々ないので、難しかったりするが。たまにはお店閉めてどこかに行ってもいいな、と考えつつ、思考を元に戻す。

「あとはおくら、ナス、ピーマン?」

「アスパラガスととうもろこしもですね」

「あ、茗荷もだ。……とうもろこしは、茹でるのだけで手間になるし、これはやめておこう」

 なかなかおかずに、というのも難しい。レシピは諦めることにする。とうもろこしは時間のあるおばちゃん方をターゲットにする時が来るまでとっておこう。

「なすは焼いてめんつゆで浸けるのが一番いいかな。出来れば梅干しがあると尚いい。おくらも同じのでもいいけど……ひと品くらい汁ものがあってもいいよね」

「おくらは汁ものですか?」

「うん。弁当じゃ無理だから和子ちゃんには教えてないけど。単純におくらを輪切りにして、沸騰したお湯に顆粒だしとおくらを入れて煮て、醤油と塩で味整えたら完成。ま、なすの方におくらでもできますって書いておけばいいか」

「ですね。それで大丈夫だと思います」

「で、あとは茗荷? アスパラガスもあった……茗荷って難しいかもしれない……お手軽レシピかあ。薬味くらいにしか思われてないだろうしな」

 茗荷でよくやるのは肉巻きではあるが、簡単、とは言えないかもしれない。アスパラガスもどうよう、ベーコンアスパラは割とよく聞くものの、巻く手間を惜しいと思う人は少なくないのではないだろうか。

 特に、料理をし慣れていない人にとっては。アスパラガスの場合、一度茹でなければならないし……なかなか難しいものである。

「アスパラガスはやっぱりベーコン巻きですかね?」

「うぅん、そうだよねえ、やっぱり馴染みもありそうだし」

「一歩進んでステップアップ、みたいな感じにしたらどうでしょうか?」

「あ、それいいかも。そうしよう、ってことは茗荷かあ……茗荷ねえ……」

 肉巻き以外で使うのは、炒めない素麺チャンプルーを作るときだ。あとは混ぜご飯。茗荷と梅干の組み合わせは美味しい。

 炒めない素麺チャンプルーは、夏バテ時にはよく食べる。あまり夏バテはしない方だが、夏の暑い時期、そして素麺を食べ飽きた頃にこれを作ると割とハマる。作り方はそう難しくはないが、刻まなければいけないのは面倒になるのかどうなのか。だが、刻まなければ大抵のものは食べられないわけで。

「刻むの手間っていう人までは考えなくていいかな」

「いいと思います」

「じゃあ素麺チャンプルーにしよう」

 私の問いに即答で答えた和子ちゃんに、私は茗荷のメニューを決定した。

「素麺チャンプルー?」

「うん、今回は炒めないバージョン。どっかの漫画で出てたらしいけど、私が知ったのは小説だったな。素麺に醤油、ごま油、鰹節を混ぜて、その時あるやつでお好みだけど茗荷、長ねぎ、しそ、かいわれ大根、わかめとかを盛って完成。あ、これに合法ハーブ使っても美味しいかもしれない……」

「素麺にそんな食べ方あったんですね……普通の食べ方しか知らなかった」

「お盆の時期とか過ぎて素麺に飽きてきたらやってみるといいよ。ごま油最強だから、美味しい」

「今度やってみます。……これで全部決定ですかね?」

「あ、待って、ピーマン忘れてる……けどこれは思いついたからピーマンのお浸しにする」

 ピーマンのお浸し、と和子ちゃんが私の言葉を復唱する。それに頷いて、簡単だよ、と私は人差し指を立てた。

「捕捉千切りにしたピーマンを軽く湯がいて、ほんだしと和えたら完成。苦味も抜けるから子供も食べやすいし、これはお手軽っていえるかな」

「へえ……ピーマンは肉詰めくらいしか知らなかったからこれも今度やってみようと思います」

「うん、是非是非! 美味しいよ!」

「ってことは、今度こそ決定ですかね」

 そうだね、と私はノートに書き込んだおかずを四角で囲っていく。レシピがあるおかずはないので、パソコンで打ち出すことにした。最終的に写真を貼るならその方が都合もいい。

 時計を確認すると、時刻は三時少し前。丁度おやつ時だ。

「んじゃ、ゼリー食べますかあ」

 ノートを片付けて、冷蔵庫から作ったゼリーを出す。しっかり固まっているのを確認してから、二人分のスプーンを和子ちゃんに渡した。麦茶でいい、と確認してからコップに麦茶を注ぎ足し、私も席に着く。若干目をきらきらさせてゼリーを見る彼女に、内心プラスチックカップで作ってよかったな、と思いながらどうぞと声を掛けた。

「いただきます」

 きちんと手を合わせた和子ちゃんが一口。沈んでいるさくらんぼもちゃんと掬えたらしい。美味しい、と笑顔になったのを見届けてから、私もゼリーに手を付けた。

 ちゃんと分量も量らなかった上久し振りに作ったにしては美味しい。和子ちゃんがちゃんと様子を見ながら味の調整をしていたおかげだろう。私一人だったらここまでちゃんとはやっていなかっただろうし、まだ勉強中の彼女はそういうところはしっかりしている。慣れてくると大雑把になる。

「折角作ったんだし、プラカップだし、しその醤油漬けと一緒に持って帰りなよ。保冷バッグ貸してあげるから」

「え、でも……」

「私一人だからね。寧ろ持って帰ってくれた方がありがたいかなあ」

「……折角なので、お父さんに持って帰ります」

 うん、そうして、と笑うと、安心したように和子ちゃんも笑う。保冷バッグはどこに仕舞ってあったかな、と頭の中を検索しながら、私は最後のひと口をスプーンですくった。


***


「あ、この間の」

「そうです! お弁当美味しかったので買いに来ちゃいました!」

 体育祭から数日。ひょっこりと店内を覗き込んできたのは、窓口になってくれていた相沢さんだった。

 その後ろから、何人か女性が入ってくる。会話を聞いているところ、どうやら同じ中学のお母さん仲間らしい。いらっしゃいませ、と声を掛けると、お弁当美味しかったですと笑顔を貰って、私はありがとうございますと素直に笑った。

「今日はなんですか?」

「アジの梅しそフライと、鶏肉の照り焼きと、唐揚げと卵焼きのお弁当の三種類です。うち、基本的に魚料理、肉料理、唐揚げ卵焼き、の三種類なので。副菜はその日によって変わります」

「お一人で?」

「ええ、基本的には。でも時々妹が手伝いに来てくれたり、一応バイトちゃんもいるので、二人の時もありますよ」

 今日がその和子ちゃんが来ていない日でよかった、と内心で安心しながら答える。バイトが平日の昼間な上に高校生だとばれては疑問に思われるだろう。しかも、中学生の母親たちだ、これから進学する高校だとしたら問題が大きくなりかねない。

 狭い店内が更に狭くなる。と、一人のお母さんが「あ」と声を上げた先を辿ると、『旬の野菜を知ろう!』と題したホワイトボードが見えた。

「あれ、作ったんですか?」

「はい。実家の弟から写真を送ってもらって。ここに来る方だけでもいいからちゃんと知ってほしかったので」

「レシピ配布中、っていうのは」

「嗚呼、それはこっちです。旬の野菜掲示するついでにお手軽レシピも配布出来たら興味持って作る人も増えるんじゃないかと思いまして。一人暮らしの方向けなので、本当にお手軽に作れるものしか置いてないんですけど」

「すごいですね」

 レシピを置いてあるコーナーを見ながら、相沢さんが呟く。他のお母さん方も同意して頷いているのを見ながら、私はそうでしょうか、と首を傾げた。

「ただ、知ってほしいだけなんですけどね。作るのって楽しいし、それに、いまどき旬なんて関係なく野菜も売ってますから……ただ、農家育ちとしては知ってほしいなあという個人的な願望を形にしてみただけなので」

 いつでも手に入るものは、価値が下がる。と、私は思う。でもそんなことはない、ちゃんと大切さを知ってほしい。だからこういうことを思いついたし、やろうと思ったし、実際にまだお試しだとしても作ってみたのだ。

 気になるものがあったらご自由に持っていってください、と声を掛ける。お弁当どうしますかと控えめに声を掛けると、すみませんとケースに収められたお弁当を見ながら、お母さん方が悩み始めた。

「私、梅しそフライで。一つお願いします」

「あ、私も! 二つでお願いします」

 承りました、と注文された分ずつ袋に入れ、代金と引き換えに渡す。大分捌けた弁当に、お母さん方が帰ったらパックに詰めなければ、と思いながら、私は彼女たちを見送った。

 来てくれたら、宣伝になれば、とは思っていたが、本当に来てくれると嬉しいものである。それに、ホワイトボードに気付いてくれたことは嬉しかった。こうして子供たちにも広まって言ってくれたらなあ、と少しだけ期待する。

 今月で需要がありそうだな、と思ったら、来月以降もきちんと続けていくつもりだ。

 まだ始めたばかりだからたくさん、という程ではないものの、朝の会社員の女性や一人暮らし風の大学生たちはちらほら気にしてくれている様子を見る。声を掛けると、ぱっと持っていってくれる人もそこまで少ないわけではない。作ったよ、と声を掛けてくれると更に嬉しいのだが、報告義務まではないからなあというのが最近の悩みである。レターボックスでも作ればいいのだろうか。リクエストでも感想でもいっそクレームでもいいから、お客さんの声を聞ける何か。

 とりあえず、それは後回しにしてまずは旬の野菜の方を確立するのが先だけれど。

 早めに七月の野菜もピックアップして、弟に写真を送ってもらうように頼まなければ。それに、レシピも何を使うか考えないと。流石にお手軽に作れるものはノートには控えていないし、控えていたとしてもパソコンで打ち直さなければならないので、時間のある日曜日になるべくやっておきたい。

 ぐうっと伸びをして、店じまいの支度をする。今日の営業は終了だ。さて、明日は何を作ろうか。

 ふとレシピの在庫を確認すると、一番少なくなっていたしその醤油漬けに思わず笑って。やっぱりあれは合法ハーブだな、と思いながら、私は追加で刷らないと、とひとり呟いた。

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むすんでひらいて 絢瀬桜華 @ouka-1014

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