331~340

331

 星影さやかな朔の夜、血にまみれて私は生まれた。秘密を身に宿した、少女の中に。

 所謂二重人格というやつだ。主人たる少女を守るため、私は襲撃者を返り討ちにした。この体は誰にも渡さない。少女を侵さんとする悪は私が全て飲み込んでみせる。

 我々は今夜生まれ直したのだ。欠けて満ちるあの月のように。

―朔の夜に生まれる



332

 岬に立つ灯台のような、孤高の人だった。常に明るく温かく、来る者を優しく導き、去る者を静かに見送る。

 そんな役割寂しくないの、と訊いたら驚いていた。まるで、物言わぬ灯台を案じる人がいるなんて、とばかりに。

 だから私は彼女に寄り添うと決めた。灯台が二本隣り合っていてもいい、と思ったから。

―灯台が君の役割なら



333

 窓越しの異郷の風景はどこか作り物めいていた。見慣れぬ彩度の景色はよそよそしく、それが今の私にとっては心地いい。

 信じられる? 貴方の顔色を窺ってばかりの私が、本当に地球の反対側まで来たって。貴方が贈った指輪を投げ捨てるためだけに!

 ほんの数グラム身軽になって帰るから、楽しみに待ってて。

―数グラムのおもり



334

 趣味でも始めようかと、種を蒔いて半年ほどで収穫できる野菜を鉢で世話していたのだが、それが際限なく成長して困っている。

 ベランダを埋め尽くしたもさもさは今や、ドアの隙間から侵入して部屋をジャングルに変えている。これが正常なのか僕には判断がつかない。

 まあ、収穫までは気長に待ってみるか。

―グリーンすぎるフィンガー



335

 いい人ができたら連れてきな、できれば夏に、という両親の言葉に従い彼氏を連れてお盆に帰省した。

 何これ! と着くなり叫ぶ彼に驚いて足元を見ると、縁側の蚊取り線香。困惑する私を置いて彼はなんと帰ってしまった。

 両親は「うちの線香は特別だから。悪い虫を追っ払うんよ」と笑う。試金石ってわけか。

―悪い虫



336

 無性に特定のものを食べたくなる時ってあるだろ?

 俺の場合は大抵トマトだ。なるべく大玉がいい。かぶりつくと弾ける感じと、どろっとした中身が生き物みたいで都合がいい。色も血と同じだし。本当に食いたいのは別のもので、トマトは代わりなんだがな。

 別のものが何かだって? さてね、当ててごらんよ。

―■■の代替物



337

 空突く摩天楼の群れの中、隣接するビルに焦がれる一基のタワーがあった。意中のビルは全面ピカピカと鏡のようで、タワーを輝きで魅了していた。

 意志疎通の手段を持たないタワーだったが、ある時、建造物の間を吹き抜ける風を操り感情を表現する手法を発明した。

 毎日吹くビル風は、彼らの恋の歌なのだ。

―摩天楼の恋の歌



338

 一年生の頃、自由研究で甲虫カブトムシの観察を始めた。二年生の夏休みの後、去年のさなぎがまだ成虫になりません、と発表したら、もう生きてないよ、と先生と同級生に笑われた。

 それが四年前だ。皆、何も分かってない。自宅の庭を少し掘れば、一mほどもある飴色の角が見えるのに。

 一体どこまで大きくなるんだろう?

―カブトムシは長い夢を見る



339

 実は私雨女なの、とマリが言い出して僕は驚愕した。

 殆ど外に出ない君が何を言う、女というか君はメスだろ、そも猫が喋るのが変だし第一声が雨女って、と反論を試みるがマリはつんと澄ますばかりだ。愛猫はそれきり沈黙した。

 時々マリは室内で濡れ鼠になってることがあるけどもしかして?いやまさかね。

―雨女の謎



340

 飛ばされてあるじを失った麦藁帽子はどうなると思う? 汚れて、ばらばらの藁になって、分解されて自然に還る?

 大部分はそう。でも人恋しさとか恨みで、俗に言う怪異に変化する個体がいるの。そう、私みたいに。

 ってもう聞こえないか。麦藁帽子にワンピース姿の君の理想の女の子、なんているわけないのにね?

―夏の理想の女の子

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