301~310

301

「谷中くん! 練習また集中してなかったでしょ」

 クラスの合唱練習を終え、指揮者兼学級長の私が不真面目な態度を注意すると、彼はあからさまに顔をしかめた。だってあんたを見たくないし、と憎まれ口を叩かれ、何それ!と立腹する。

 怒った顔も可愛いな。きびすを返した彼の低い呟きは、私には届かなかった。

天邪鬼あまのじゃく



302

 わざと怒らせて気を引いていた学級長に、校内コンクールが終わったら告白する。そう決心していた、今朝までは。

 合唱曲の伴奏を担う大人しい男子と彼女が、仲睦まじく指先を絡めているところを見てしまったのだ。自分の態度は悪手だったのだろう。

 放心しながらも、滲む指揮者をしかと見て、俺は歌った。

―悪手



303

 理想に必要なパーツをひとつずつ獲得し、確実に積み上げ、自分という人生の形を作り上げる。人間味がないと言われても、それが私の生き方だった。

 あなたが現れ、声と視線ひとつで、私の総てを完膚なきまでに破壊した。

 どんなに手を尽くしても振り向かないあなたが嫌いで、手に入らないあなたが好きだ。

―手は届かない



304

 一人で歩みを進める時、僕は決して独りではない。

 愛犬との散歩、四季の移ろいを見ながらの遊歩、日課のジョギング、いつも靴が一緒にいてくれる。移動の跡を身に刻んだ靴たちと共に、大地を踏みしめてきたのだ。

 僕より少しだけ先を行き、少しだけ早く新しい景色を見る靴に続き、今日も一歩を蹴り出す。

―一人だけど独りじゃない



305

 交響曲が最高潮に高まった瞬間、音が消えてオケも指揮の私も身動きが止まった。

「素晴らしい音だ。永遠にとどめたいほどに」

 深く頭に響く声。この〝ホール〟のものだと直観する。更に良い音楽を今後も奏でます。念じると音の奔流が戻る。

 今では夢かとも思うが、より良い音を求めて私は指揮を続けている。

―頭に響くは誰の声



306

 私は政略結婚相手の声を知らない。夫は会食中も終始無言、顔を合わす機会も殆どなく、帰りは毎日遅い。

 屋敷での時間を持て余していると、部屋を執事が訪れた。夕べに庭へ来るよう、との言伝ことづてに従うと、そこには見事な薔薇が咲き誇っていて。花の中心で手を振る夫。

 なんて不器用で愛しいのだ、私の夫は。

―声も知らないあの人



307

 耳に障るひずんだ音が僕を苛み、同時に興奮もしていた。ついに発見した終末音アポカリプティック・サウンドの出所。動画を投稿すれば即超有名人だ。接近しすぎは危険かもしれないが、死後に名が残るなら命も懸けよう。

 それから幾星霜経ったのか。秘密に触れた僕は閉じ込め状態に陥った。誰かとどめを刺してくれ。今の願いはそれだけだ。

―再生数のためなら



308

「間もなく身体の利用期限です。期間内に換体下さい」

 頭の中で響く平坦な声。数年ぶりにこの時期が来た。ヒトの人格を別の体に入れ換える技術が確立されて以降、健常身体を一人格が独占するのは問題だ、との声が高まった。

 今では定期的に体を交換する必要がある。私はもう、元の自分を忘れてしまった。

―人格換体技術



309

 ゆらゆらと暗がりに揺らめく、不定形の人影。それを見た人々はそれぞれ好き勝手に知人を投影するらしく、笑ったり泣いたり怖がったり、様々な反応をする。同じものを見ても、怪物だとか御来迎だとか、呼び名が異なるように。

 名無しの人影という現象として世に生じた私も、名を得る日が来るのだろうか。

―名無しの人影



310

 また、私の完璧な推理が崩壊していく。今回の犯人も、我が論理を完璧に覆してみせた。

 絶望に浸る私は、三日前の洋館の一室に戻されていた。何度目かのやり直し。この館ではロジックが通じないようだ。論理が通らないなら、はなから犯罪が起きなければいい。

 既に幾人も殺めている凶器を、私は手に取った。

―探偵はもう要らない

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る