281~290

281

 私は海辺で、遠くまで行く宇宙船の群れを見上げた。明日には自分もあそこに加わるのが信じがたい。

 これから向かう惑星に、私が大好きな海はない。自然はそこに在るだけと分かっていても、潮騒しおさいも鳥も木々のざわめきも、別離を惜しんでくれているように聞こえた。

 私は砂浜に誓いを書き残す。また来る、と。

―誓いの砂浜



282

 奇蹟を己の目で見たいと旅に出た男がいた。都市から都市を巡り、道なき原野げんやを、山を、谷を越え、男はひたすらに歩く。歩く。歩く。

 そのうちに彼は自身の年齢を忘れ、年月の方も彼に歳を取らせることを忘れた。人々は彼を指して神の奇蹟だと口々に尊んだ。

 奇蹟そのものとなった男の旅は、それでも続く。

―聖者の行進



283

 私たちは待ち続けている。原稿用紙の右側で。大学ノートの片隅で。端末のアプリケーションの一角で。メモ帳の切れ端の上で。

 作者によって序章だけが記された物語。それが私たちだ。続きの文章を夢想し、それらが綴られる日を夢見ながら、ひそかに息づく数多あまたの物語の欠片だ。

 私たちは、待ち続けている。

―待ち続ける私たち



284

 人類亡き後、犬界初の物語作家が華々しくデビューすると、先に創作活動を始めていた類人猿と鳥類は概ね好意的に、頭足類らは冷ややかに受け入れた。

 猫は一切の興味を示さなかった。猫はとうの昔から物語を創作してきたが、それらを誰かに伝えずとも満足していたからだ。

 物語を乗せ、今日も地球は回る。

―物語は誰のもの



285

 孤高の芸術家は「弟子にしてくれ」と工房に通う少年に辟易していた。かぐや姫の試練のごとく、あれこれと難題を出すものの、少年は男の求める架空のはずの物をなぜか見事に見つけてくる。芸術家は渋々少年を弟子にした。

 男は知らなかった。道を極めた己が、想像を具現化する創造力を有していることを。

―芸術の求道者



286

 女の独白は千日に及んだ。昼夜問わずのべつまくなしに取りとめのない話を続ける女に対し、会話を試みる者は一週間で、諌めようとする者は一月で、冷やかす者は一年で立ち去った。

 不意に女が口をつぐんだその時、世界中の街が一斉に燃え上がるのを、人々は今際の際に見た。

 女の独白は、滅びの呪文だった。

―長すぎる独白



287

 僕のパパは嘘つきだ。休日はもうすぐ起きると言って一時間も寝る。旅行や遊園地に行く約束も延期ばかり。

 今日だって山頂にはいつ着くの、と尋ねる僕にもうすぐと繰り返すだけ。やがて道が開け、パノラマが広がった。一歩一歩が僕をここへ連れてきたんだ。

 パパの口癖は嫌いだけど、今だけは許そうかな。

―一歩ずつ



288

 愛する相手との結婚の承諾を得るため、僕は家を出た。電車を乗り継ぎ、徒歩で山野さんやを越え、急流を渡り、前人未踏の洞窟へ。

「娘さんと結婚させて下さい!」

 深く頭を下げると、彼女の両親は僕に向かって高温の息を吐いた。それが竜の最後の試練と聞いていた僕は、盾を下ろして隣の彼女と笑みを交わした。

―最後の試練



289

 恋人の「結婚しよう」という言葉を、私は拒絶し続けている。彼が未来を真剣に考えていることは、もちろん素直に嬉しい。でも私には本来、恋人でいる資格すらないのだ。

 なぜなら――私は風を纏って変化へんげし、部屋一杯を埋める大きさの本来の姿になる――竜である私を、彼が受け入れてくれるはずないから。

―拒絶の理由



290

 まばゆい光を放つ黄金郷を夢見、決死の航海の後に冒険者たちが見たものは、打ち捨てられた遺跡に群がるおびただしい金色の蝶だった。夢は幻と悟った彼らは、失意のうちに海へ没したという。

 私には冒険者の気持ちが全然分からない。ここは美しく貴重な黄金蝶を保護するための研究所。私にとって最高の天国エルドラドだ。

―エルドラド

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