251~260

251

 雨の夜の交差点に、黒い傘がひとつ落ちていた。不吉な予兆のように。

 歩道で立ち尽くす私の目の前で、傘を避けた車が対向車と衝突し、胸の内で何かがぜて。それ以来、わざと傘を交差点に置くのをやめられない。

 私はきっともう駄目だから、君は気をつけるといい。雨と傘と交差点には、妙な引力がある。

―雨と傘と交差点



252

 人の悪意は透明で見えない。色が着いていたら傷つく前に対策できるのに。

 そんな信念から僕は悪意を着色する研究に邁進した。完成した試作品を顔に装着し鏡を見ると、僕はどす黒い靄を纏っていた。信じられない。僕のどこに悪意があると?

 その装置が広まった世界で起こる悲劇を、僕はまだ知らなかった。

―透明な悪意



253

 「少し弱っているね。体を温めて、目を離さないで」

 家の文鳥の調子が良くなくて、と相談を持ちかけた私に、自身も文鳥を飼っている彼は言った。お礼を口にしつつ羽織の袖を握れば、初心うぶな頬が朱に染まる。小さい命にも優しい彼は近所に住む医大生。

 安いものだ。将来の安泰が少しの毒餌で手に入るなら。

―命をダシにして



254

 「博物館に『展示品に手を触れて下さい』って表示があったら気になるだろ? それで土偶?的なのに触ったら光に包まれてさ、この近未来ぽい世界にいたわけ! 異世界転移って本当にあるんだな」

 捕獲した地球人が延々と喚く。洗脳波が甘かったか、早く故郷の記憶を消そう、と土偶似の異星人は密かに考えた。

―異世界転移を博物館から



255

 私たちは蛍に似ていた。熱のない冷光を、暗闇の中でまたたかせて互いを見つける。我々の愛情はそれだけで良かった。

「先輩、どこにも行かないで」

 彼は不安に駆られた時、決まって私を先輩と呼ぶ。ここにいると私はこたえる。

 全てを照らし暖める太陽に私はなれない。けれど私たちには、ちっぽけな光で充分だ。

―太陽にはなれない



256

 「アバターって分身というより、自分の本当の姿って気がしない?」

 VR世界の友人と会話する。本当の姿か。自分の美少女アバターを見ながら、すごく分かると俺は返事をする。

「だから僕は依頼してリアルの方を消しちゃった。君もどう?ナイフで一思いにさ」

 ……ん?

 ピンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴る。

―本当の自分



257

 七夕に相合い傘すると両想いになれるって噂、知ってる?

 雨具を忘れたらしい先輩が、隣で一つの傘に収まりながら言う。心臓が跳ねた。当然知りつつ入るかと尋ねたから。

 同性同士でもそれ有効なんですかね、なんて訊けないでいると。噂を流したの自分なんだ、と先輩が告げる。

 時間が止まった、気がした。

―わざと忘れたって言ったらどうする?



258

 木漏れ日要りませんか。太陽が失われて久しい世界で、そんなメモを前にうずくまっている少年と出会う。

 隣に座るとどういうわけか、確かにちらちらと瞬く光や日差しの暖かさを肌に感じた。彼となら、できるかもしれない。

 これから私は向こう見ずな共闘の誘いを口にする。この灰色の世界に風穴かざあなを空けるための。

―木漏れ日の少年



259

 空は私を全肯定してくれる。少し会わなかっただけで再会の喜びを全力で表現してくれるし、落ち込んだ時には無言で寄り添ってくれる。

 私は海を全肯定してあげる。愛用の鞄を玩具おもちゃ同然にボロボロにされても、吐瀉物でソファを汚されても、可愛いという一点で全部許してしまう。

 空は愛犬で海は愛猫である。

―空と海



260

 ぽたぽたと頬に雫が当たって目が覚める。涙を流す女がいた。異様な状況なのにどうしたんだい、と訊いていた。

「嬉しくて、悲しいのです。私を殺した人間を喰うとながく人の姿でいられますが、私は貴方を憎んではいませんから」

 昨日轢いた蛇か、と思い至る。彼女の命になれるなら悪くないと最期に思った。

―嬉しくて悲しい

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