第六話 笑って殺して歌って燃やせ




 ―え、―え、―え、―え、―え、―え。

 笑え、―え、―を切れ。

 ―え、歌え、――を断て。

 笑え、―え、―を落とせ。

 ―え、歌え、―を絶やせ。

 笑え、―え、笑いながら……



 どこからか、途切れ途切れに歌が聞こえます。

 軍歌のように勇ましい旋律ですが、声はひばりのように高く、女性のものであるような……。

 時折、呻吟しんぎんするようにか細くなり、また大きく高くなって……。

 これは誰が歌っているのでしょうか。

 ここは一体どこなのでしょう。

 見渡すばかりに真っ暗です。何も見えない深い闇です。

 歌声だけが聞こえます。美しくも悲しい声が――。


「面を上げよ」

 不意に降ってきた声にハッと顔を上げれば、そこは見たことのない大広間でした。

 天井は高く、絨毯を敷いた床も柱も血のように真っ赤でした。

 目の前には、朱塗りの玉座がありました。

 檀上の玉座に傲然と座しているのは、真紅と金の着物をまとった貴人の女性でした。

 その顔を見た瞬間、私は息が止まりました。

 見間違えるはずもありません。それは艶夜様でした。

 艶夜様が気だるげに肘をつき、床に転がった私を冷たく見下ろしているのです。

 ……いいえ、よくよく見ればこの高貴な御方は艶夜様ではないような……。

 艶夜様よりもお背が高いようですし、お顔も大人びていますし、額にある花鈿の紋様も違います。

 艶夜様は琉斌の雫でしたが、この方は二本の蔓が絡みあった紋様を刻んでいます。

「……主上おかみ

 私は喘ぐように、玉座の女人に向かって呼びかけました。

 違います。呼んだのは私ではありません。

 目の前の御方の素性を知るはずはないのです。

 私が発したようですが、私の声ではありません。

「主上、何を……何をなさろうと? 私に一体何のとががあって、このような。誤解です。何かの間違いです。早く、早くお放しください。あの子の元へ行かせてください。主上も早くお逃げにならねば……」

 私ならざる私は、尚も懸命に呼びかけます。

 言葉を発するたびに、全身にぎりぎりと鈍い痛みが走ります。

 それでも、必死に身の潔白を訴えます。

 じゃらりじゃらりと重苦しい音がして、そこで気がつきました。

 私のからだは太い鎖で何重にも縛られていました。

 両手は後ろで括られ、身動きが取れないのです。

 からだからは八本の鎖が円状に広がっていて、先端は全て二階の手摺りに括りつけられていました。

 鎖は何か液体のようなものが塗られ、てらてらと光っています。

 鎖の先の二階には、槍と松明を持った屈強な兵士が整然と並んでいます。

 兵士はすぐ傍にもいました。

 私の肩を掴み、無理矢理引き起こしました。

 背中の鎖を引っ張ると、大きなかぎのようなものを取りつけました。

 それを見届けると、主上と呼ばれた女性が、玉座から立ち上がりました。

 漆黒の瞳を見ただけで、背筋をざわっと冷たいものが駆けぬけました。

「愛しき者よ。其方だけは蛮族の蹂躙にかけぬ。最高の礼を尽くし、最も無残に散らして大霊樹おおたまきかえしてやろう」

 そう言うと、一度手を振りました。

 途端、ガタガラと車輪が回るような音が広間に響きました。

 私のからだは上に引っ張られ、ふわりと浮かび上がりました。

 見上げると、天井に設置された大きな滑車が鎖を乗せて回っています。

 階下の兵士たちが戒めの鎖を引く程に、私のからだはするすると空中へ昇っていきます。

 高く高く吊り上げてゆきます。

「主上、主上――っ!」

 一際高い絶叫が響き渡りました。

 私ならざる者が、声も枯れんとばかりに叫んだのです。

 何が起こっているのかわかりません。

 ただただ『彼女』は混乱と恐怖と絶望の極地にいます。

 私は同じからだにありながら、どこか冷静なまま宙吊りを見つめています。ぶらぶらと頼りなく揺れる自分の足を見つめています。

 地上の人がたおやかに微笑みました。

 彼女は今こそ、明らかに、朗らかに笑っていました。

 吊られた私を見上げながら、声を出さずに笑い続けていました。

 ゾッとするほど妖艶で、残酷な笑みでした。

 それでいて愛する者への愛を惜しみなく与える笑みでした。

「ああ、ああ……。どうして……」

 か細い呻吟ばかりが漏れました。

 闇の中で聞いたあの歌は、私ならざる者の悲鳴だったのもしれません。

 眼からしきりに熱いものが溢れ出しました。

 視界が滲んでよく見えません。

 涙が滴って、ぽつぽつと床に落ちていきます。

 目を閉じることはできません。

 私ならざる者が、刮目かつもくし続けているからです。

 恐怖に怯えながらも、自分を滅ぼそうとする者をしかと見つめています。

「大地を離れるのは辛いか。辛いであろうなぁ……。其方の本能、我が根幹。寄る辺なくそらに晒されるほどの恐怖はない。根を断たれて苦しまぬ花はない。だが、それもいっときのこと。さあ、たむけの歌を聞け」

 そして、地上の美しき人は花のような唇を開いたのです。


 歌え、歌え、歌え、歌え、歌え、歌え。

 笑え、歌え、舌を切れ。

 笑え、歌え、四肢を断て。

 笑え、歌え、頭を落とせ。

 笑え、歌え、根を絶やせ。

 笑え、歌え、笑いながら殺せ!


 燃やせ、燃やせ、燃やせ、燃やせ、燃やせ。

 愛せ、愛せ、愛せ、愛せ、心の限りに愛せ。

 燃やせ、燃やせ、燃やせ、燃やせ、燃やせ。

 業火の赤、血脈の赤、燃ゆる生命いのちの赤。

 愛せ、愛せ、愛せ、愛せ、からだの限りに愛せ。

 死力を尽くして愛し、死して尚滅ぼせ!


 歌に合わせるように、兵士たちが動き始めました。

 二階のいる兵士たちが、八つの鎖の先端に松明を近づけました。

「燃やせ!」

 高く叫ぶと同時に、彼らは鎖に火をつけました。

 瞬間、ボッと青い炎が上がりました。鎖に塗られた液体は油だったのです。

 火が、火が、火が、油を伝って、鎖を伝って私に向かってきます。

 東から、南から、西から一直線に走ってきます。

 そして、目の前には両手を広げ、恍惚として歌い続けるあの御方!

「あああああああああああ――っ!」

 火が、火が、火が、私のからだにつきました。

 着物に、背中に、腕に、腰につきました。

 あっという間に炎を上げ、煙を上げ、肌を焦してゆきます。

 燃料を得て烈火は勢いを増し、肉をじりじりと焼いてゆきます。

 私は地上を離れ、宙ぶらりんのまま、八本の鎖に繋がれて燃やされているのです。生きながら火炙りにされているのです。

「あああ……ああっ、どうして、どうして。主上、どうして! ああ、嫌です、嫌です。熱い。熱い。熱い! お許しを。主上。お許しを。姉様あねさま……姉様ああああああ!」

 絶叫、絶叫、はたまた絶叫。

 地獄、地獄、燃え狂う地獄。

 私は頭を、足をばたつかせ、熱さに悶え、もうもうと上がる煙に窒息しながら泣き叫びます。声にならぬ声をあげます。

 嫌です、嫌です、嫌です、嫌です。

 熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。

 お願い、助けて、助けて、助けて、助けて……。

 かの方は無数の火の粉を浴びつつも、身じろぎせず、笑いながら私の死を見届けようとしています。

 肉が燃えます。脂が滴ります。骨が熱に軋みます。内臓がどろどろに溶けてゆきます。

 私は燃えます。私を形づくっていたものが崩れ落ち、不様にまき散らしながら、段々と意識が遠のいていきます。

 ああ、喉がひりつく。声が出ない。

 水が飲みたい……水が。思う存分水を……。

 水、水……水はどこ?

 死、死……そう、これが死?

 そうです、私は死ぬのです……。死ぬのです。

 徹頭徹尾、殺されて、燃やされて、死ぬのです。

 死、それは終わりです。ありとあらゆる苦しみからの解放です。

 私は燃えて、燃え尽きて、やっと楽になれるのです。

 深い安堵。闇の安寧。終わりへの帰還。

 地上のありとあらゆる苦しみから逃れた先。

 今こそ、今こそ、そこへ導かれ……。

 最期の刹那、私の安堵を見透かしたように、下から艶やかな哄笑が聞こえました。


「哀れな……。無知蒙昧むちもうまいなる妹よ。知らぬは幸福、知っては地獄。





 ――目覚めると、それは東のお屋敷の狭い自室でした。

 私は掛布代わりの薄い着物をかぶって床の上に横になっており、暗闇の中ハアハアと荒い息を吐いていました。

 全身がぐっしょりと汗に濡れています。喉が渇いてひりつくようです。

 恐る恐るからだのあちこちを触りましたが、どこも熱くなく、燃えてもいません。

 手足も欠けていません。

 今し方見たものは夢だったのです。


 ………………。

 夢と知り、大きく息を吐きました。

 ひどい悪夢でしたが、うつつのことでないなら、もう怖くはありません。

 私は生きています。だから、こうしてからだが動く。

 そろそろと寝床を這い出して、廊下に出ました。

 外はまだ夜明け前で真っ暗ですが、灯りがなくても大抵のところへ行けます。見えるというより、手足が建物の位置や柱、段差を覚えています。

 夜が明けたら氷雨様を起こしに行かねばなりませんが、その前に自分のことを済ませてしまおうと思いました。

 炊屋へ入ると、まずは柄杓ひしゃくを探し当て、水瓶から水を思う存分すくって飲みました。何回も何回も時間をかけて飲み下しました。

 冷たい水がからだの芯までゆき渡ると、他の人たちが起きて来る前に食事を済ませます。

 納屋から藁を一抱え持って来て、火打ち石で火をつけ、かまどに火を起こしました。

 鍋をのぞくと、昨晩の余りなのかひえの粥が少し残っています。

 里芋の煮つけたものも見つけました。

 水を足し、かまどの火で鍋の粥を温めると木の碗に盛りました。

 里芋は木べらですり潰して、粥の中に入れました。

 さらに碗に水を加え、かまどの前にしゃがみこんで、さらさらと芋粥を流し込みます。食事はいつも夜明け前か、皆が寝静まった後に一人で取ります。

 王宮でも、粥を分けてもらうと外へ出て一人で食べます。それが一番落ち着くのです。

 お腹が空くので食べますが、食べ物を美味しいと思ったことはありません。

 ただ、死なないために食べています。からだを動かすために食べています。


 食事を終えて、炊屋を出ると空が白んできていました。

 無数の星さえ飛ばした漆黒の下、深い紺色、淡い水色、そして夕焼けより鮮やかな緋色が塀の向こうに滲んできています。

 美しい空です。一日で一番美しい時間です。

 呆けたように春暁の空を見上げていると、門の方から「頼もう」と大きな声が聞こえてきました。

 一体、どなたでしょうか。こんな朝から客人とは珍しいことです。

 東のお屋敷は、出入りの者以外は滅多に客人は訪れないのですが。

「なにやつ」

 寝ずの当番である門番が寝ぼけた声を出しつつ、ばらばらと駆け寄っていくのが見えます。

 気になってそっと近づいてみると、門の前に堂々たる体躯が見えました。

 暗くて顔は見えないものの、その巨体には見覚えがあります。

 あのからだとあの声は、おそらく八尋やつひろ様。

 氷雨様の唯一のご友人である八尋様かもしれません。


  

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