第35話

星系イルド。その恒星近傍に出現したのは二隻の航宙艦。

一隻は"鋼鉄のあぎと"号。

そしてもう一隻は"魚泥棒"号であった。

位置的には魚泥棒号の方が遥かに先行している。

レースは、まさしくクライマックスを迎えていた。


  ◇


「―――親分!!」

ナビゲータのネズミ男。彼の報告は悲鳴に近かった。想定外の事態が発生していたからである。

「わかってる……くそ!ふざけやがって!!」

コンソールを叩くキャプテン・シャーク。彼が先ほどまで従事していた作業は、魚泥棒のメインコンピュータに細工する事だった。つまり最後の慣性系同調航法をしくじらせ、レースを脱落させる。

しかし実際の所、"魚泥棒"号はこちらより圧倒的に優位なポイントを占位しているように見える。妨害ももう不可能だ。往来も多い可住星系で攻撃などもってのほか。間違いなく逮捕されてしまう。亜光速航行の速度自体はほぼ等しい。つまり追いつくチャンスはもうない。

結論は出た。この宇宙レースの勝者は、ハヤアシ―――"疾き脚"だ。

「……くそ!ぶっ殺してやる!見てやがれよ……っ!!」

"鋼鉄のあぎと"号は、この後、順位2位でゴールした。


  ◇


「―――ヴァ=イオンが撃沈された。ポ=テト氏が攻撃されてる!うちのばあやもだ!!」

1位でゴールして早々、ハヤアシは全周波数の無線で叫んだ。もはや外部との交信に制限はない。まだ生きているものを救わねば!

勝利の感慨など、ハヤアシにはなかった。もはや彼を勝利させたものは、残してきた者達への義務感。そして男の矜持だった。

あれほど焦がれていたレースの勝利。なのにどうしてこうもむなしい。

―――決まっている。払う必要のない犠牲を幾つも払ったから。

"魚泥棒"のコクピットで、ハヤアシは奇妙な虚脱感に襲われていた。


  ◇


それから、しばらくたって。

星系の中心付近に、ボロボロの船が出現した。

それはすすけ、傷つき、エンジン7本が脱落していた。慣性系同調航法で出現できたのが奇跡のような状態だった。

それは、名前の由来である観測帆を展開し、そして無慣性状態へシフト。

駆動しないエンジンの代わりに、恒星が発する光子の圧力を観測帆で一杯に受け、前進した。

歓楽惑星イルド。宇宙レースのゴールへと。

援助の手をすべて断り、その船は、無事にゴールへと到着。救助班の機械生命体に柔らかく受け止められ、そして機能を停止した。

こじ開けられたコクピットから堂々と降りて来た打ち身と打撲だらけな上に放射線焼けした男は、己が三位になったことを知ると微笑んだ。芋のような武骨で男らしい笑み。

ポ=テトだった。

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