第六話 カワエヤ会戦~圧倒

 ヌイは内心で舌打ちしていた。

ここが鬼門だ。

 敵がこちらに対抗するため、六頭の戦象チャサークを投入したのだ。


 ──最小限犠牲で最大限の戦果を得る、そのためには……


「中央部隊後方に伝えよ、弓矢を持て、と」


 伝令兵は一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐに「はっ!」との返事で走り去った。

 そしてヌイは中央部隊の指揮に入った。


「戦象部隊、前へ!」


 それを小隊長らが復唱し、八頭の戦象たちは前へ歩み始めた。


「歩兵部隊、後退せよ!」


 それも小隊長たちが復唱するが、勢いは味方にあるためなかなか後退しない。


 ──やはり統率が足りないか……


 ヌイは苦悩する。

敵の戦象が現れてからでは遅い。

ゆえに彼らに後退を意識させる衝撃が必要だ。


「お辞めなさい!

諸君たちの運命は敵の象などに踏みつぶされるものでは無いはずです!」


 そう叫んだのはスリーヤだった。

その声は氷のように冷たく、怒号や悲鳴の中で確かに聞き取れた。

それは、確かな衝撃となる。


 そして周りの兵らが、自分らの姫に命令されていることに驚きと使命感を持ち、後退を始める。

それを起点とし前線の両端まで後退の動きが伝播した。


 敵も後退していたがために中央戦線に空洞ができる。


 そして前進した戦象らはユッタヤー軍の最前線で止まり、歩兵たちをかばっているようにも見える

 前進していたウグー軍の戦象部隊は、今度は歩兵たちに合わせ後退を始める。


 中央戦線に、静けさが生まれた。

それが不気味さを演出している。


 ヌイが一人の伝令兵を捕まえ、「最優先事項だ。中央後方部隊に前方部隊に混ざるように伝えよ」と告げた。

その意味を理解しかねた伝令兵は「それはどういうことでしょうか……」と躊躇い気味に聞いた。


「前方部隊の戦列の狭間に、一列ずつ入り込め、それで良いか」


 伝令兵は別の意味での困惑を見せた。

それにヌイは「一刻を争っているんだ」と促した。

そうすると伝令兵は後方へ走った。


「ヌイさん、それはどういう……」


 ヌイの真意を想像できないスリーヤがヌイに聞いた。


「後方にいるのはロクな訓練を受けていない新兵たちです。

弓矢など射させると味方を殺すことになるでしょう。

 故に彼らに弓矢を運ばせ前方の常備兵部隊に渡すのです」


 スリーヤは驚きの顔を見せた。

そんな上手いことできるのか、と思っているのだろう。


「ええ、できますよ……そのための右翼部隊です……」


 ヌイは目を閉じながら答えた。


 彼が耳を済ましているのは足音に対してだ。

後方からでなく、右方からの。

それは大きくなり、ヌイのところまで辿り着いた。


「閣下! 右翼部隊のマーヒン将軍より報告!

敵左翼部隊を粉砕し、敵の中央部隊に攻撃しているとのことです!」


 ──うまくいったか。


 その影響か、ウグー軍の後退が止められた。

 その時、後方の中央部隊が前進を終え、前方と混ざった。


彼らに向かってヌイは叫ぶ。


「前方部隊は後退を辞めよ!

 後方部隊! 左に並ぶ者に弓矢を渡したら、後退し元の位置へ戻れ!

 受け取った者は弓矢をつがえよ!」


 中央部隊がヌイに指示に従い、前方部隊が天へ向けた矢先が、太陽の光を返す。

その鋭い光がウグー軍を反射的に盾を構えさせた。


 そんな中で、敵の指揮官がウグー軍の突撃を命じた。

ヌイには彼らの言語は分からなかったが、そう叫んでいるだろうことは分かった。

それに反射的にヌイは兵たちに後退を命じる。


 だが、ウグー軍は動こうとせず、盾を天へ向けて構えたままだ。

上官の命令よりも、自己の身を優先していた。


 そして、一方的に矢を降り注がれるのを想像したのか、ついにウグー軍の隊列の中から一人が逃げ出した。

そこから、何人か、更に何十人かが逃げ出した。


 ──怖気おじけついたか……


 実はヌイにとってはこの心理戦は意外であったりする。

彼の真意は──


「後退やめ!

 そして弓を構えよ! 敵の戦象を狙え!

撃ち方始め!」


 そのヌイの号令で、あちこちから弦の響く音が鳴った。


しばらくしてから、それが肉を貫く音に変化していた。

矢が盾を貫く音、ウグー軍の悲鳴が重なって聞こえて来る。

矢に直撃した戦象は暴れる予兆を見せたが、乗り手がそれをなんとか鎮めた。


 それを見ながらも、ヌイは冷徹に続ける。


「第二射、構えよ!」


 それを見て敗走する兵だけで、敵の中央部隊は戦線を崩壊させたように見えた。


「射よ!」


 ウグー軍に降り注ぐ第二の雨は敗走する兵、渋とく盾を構え続ける兵を関係無しに貫いていく。

 それに耐え切れない戦象はやがて暴れ出したが、やがて力尽きて倒れる。


 矢の雨が降り止み、ユッタヤー軍の目前には敗走する敵の中央部隊があった。


 ヌイは剣を前に掲げ、壮大に命令した。


「勝機は我々に舞い降りてきた! 総員、突撃せよ!」


 それに兵たちが獰猛な喊声を上げ、弓矢を投げ捨て突撃を始めた。



「何だと……? 中央がやられた!?」


 ダンマヤサは明らかに焦燥を顔に示していた。


 敵に何の損害を与えず、しかもこちらが貴重な戦象を六頭も失ったと聞くと、まずダンマヤサはその伝令兵に虚偽を伝えたとして罰しようとした。

だが次々と現れた壊滅の報告に、ダンマヤサはようやく現実に直面した。


「閣下! ここは退却を!」


「帰って体制を立て直すべきです!」


 側近たちがダンマヤサに進言する。

その中でダンマヤサは黙って地図を見つめていた。


 ──馬鹿な……敵は何を持っておる……!?


 自らの目で確認するべきだ。

ダンマヤサはそう決心した。


「私が出よう。総指揮は任せた」


 その言葉に側近たちが驚き、次に止めようとした。


「閣下! 理性を保ってください!」


 それらを振り切り、ダンマヤサは自分の愛馬で中央部隊の中を通っていた。


 ──酷い……


 ダンマヤサはその言葉しか出なかった。

味方は左方からの積極的な攻勢に呑まれている。


 そして前方へ進むにつれ、兵たちの顔に示される恐怖の色が濃くなっていることに気がつく。

更には前線から逃げ出す兵も見かけた。


 ──何を……敵は何を持っている……!?


 やがて、ダンマヤサの視界に紅の甲冑を纏う軍勢が入る。

 そして第一にダンマヤサは戦慄した。

彼はユッタヤーの兵があれだけ果敢に戦っていることに驚いたのだ。


 ──何だ……あの陣形は……


 手前に歩兵隊、その後ろに戦象、更に後ろには騎兵が配置されている。

 ダンマヤサはその怪奇な采配に、戦慄を通り越して恐怖を感じた。


 それを見ているうちに敵の前線が自らに近づいていることに感づいた。

彼は拍子抜けに馬頭を返し、後方へ向かった。


 ──待て……もう少しだけ……


 そうしてユッタヤー軍を眺めているうちに、ダンマヤサは一人の青年に目を止まらせた。

彼は戦象の列から歩兵隊に向けて指示を出し、伝令兵が頻繁に彼に連絡していた。

彼が乗っている馬を、一人の女性が操縦している。


 ダンマヤサは、その青年こそが総指揮官であると見抜いた。


 ──名前だ、せめて名前だけでも聞き出すのだ!


 そう思い立った彼は、ウグー軍から翻訳係を探す。


「この中に、セーン語を分かる者はおらぬか!」


 間もなく一人の兵が寄ってきた。

ダンマヤサは彼を馬に乗らせ、次に二つの小隊を自身の護衛に任命した。


 そして彼はウグー軍の最前線より一歩手前まで来た。

 そして高らかに名乗る。


「我が名は、総指揮官のラガン・ダンマヤサである!」


 その翻訳が叫ばれた瞬間に、ユッタヤーの兵が彼を目掛けて突撃した。手柄が欲しいのだろう。

それを護衛がなんとか食い止めた。


 ダンマヤサは剣を抜き、その剣先をユッタヤーの青年へ向けた。


「貴様に問う!

 貴様こそがユッタヤーの総指揮官であると見抜いた!

 その名を聞かせて頂こう」


 急に剣を向けられた青年は驚いたが、その翻訳を聞いてその顔に冷静さを取り戻す。

そして何やら馬を操る女性と相談しているようだった。


 女性に何か言われた青年は頷き、ダンマヤサに自らの名を叫んだ。

 翻訳を聞くと「チュイ・チェンマット』という。


 それにダンマヤサは満足し、再び馬頭を返し幕営へ向かった。

 だが、そこには幕営などなかった。そこにあるのは、ユッタヤー軍の部隊──


「閣下!」


 一人の側近が馬上からダンマヤサを呼んだ。


「申し上げます!

我が軍の右翼部隊が壊滅、敵の左翼部隊が中央部隊の側面を攻撃を開始しています!

 そして後方からユッタヤー軍が襲来!

 我々は……包囲されています……!」


 ダンマヤサは絶句した。


 ──チュイ……恐ろしい男だ……!


 ダンマヤサはあの配置を思い出していた。歩兵に、戦象に、騎兵……


「閣下! 退避を!」


 そう言われたダンマヤサは反発した。


「敵は所詮セーンだ! 決して我々が負ける敵では──」


 その時、ダンマヤサの頬に衝撃が走った。


「閣下!」


その側近が、ダンマヤサの頬に手を閃かせたのである。

普通なら罪と問われるが、それを主張した者はいない。


 それでようやくダンマヤサは冷静になれた。


「すまない、後は任せたぞ……」


 ダンマヤサは苦しくも側近にそう告げた。


「ええ、必ず、彼らにふさわしい最期を、演じさせてみせます……!」


 側近はダンマヤサにそう言い残した。


 そしてダンマヤサは戦場を抜け出した。

ユッタヤーの戦術を見たという翻訳係を連れたままで──



 その報告を聞いたヌイは声高く、ユッタヤーの兵たちに告げた。


「敵の両翼は粉砕され、中央部隊の四方を我々が完全に掌握した!

勝ち申したぞ!」


 それを聞いた兵たちは大きく歓声を上げた。

 ヌイは次に、敵兵達に告げる。


「貴様らは完全に包囲された!

武器を捨て地面を舐めながら命を乞え!

さすれば奴隷としての生存を認めよう!」


 そのヌイの勧告は、ワンター語に換えられてウグー軍に伝わると、彼らは次々と伏せ始めた。



 その後、ワンター軍の勢力は急速に衰えていった。

 報告によれば、兵たちが地を伏せる中、とある上官は最後まで抗ったという。


 戦場となった平野には特に名前もなかったので、カンチャーのすぐ西を流れる川の名前にちなんで、この戦いは「カワエヤ会戦」と呼ばれた。

また「稲妻の英雄を生んだ戦」とも代名された。

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