実家

 おごると豪語していた大輔は酔いつぶれてしまい、けっきょく割り勘することになった。寝てしまった大輔を隼人が担ぎ、琴菜が彼の財布を抜き取って勘定をすませる。


 居酒屋の前でタクシーを待っていると、琴菜がつぶやいた。


丹羽にわくん、むこうで何の仕事してるの?」


 そう言われて、そういえば大輔の話ばかりでお互いの近況すら聞けていなかったなと思いあたる。


「塾講師やってるんだ」

「そういえば小学校のときから頭よかったもんね。丹羽くんのことだから、賢い子たちがいく進学塾なんでしょ」


 期待に満ちた目で隼人を見つめてくる。同郷の知り合いが使う標準語に違和感を抱きながら、「うんまあ」と生返事をする。難関私立や中高一貫校を目指す進学塾には間違いないが、隼人が担当しているのは最下層のクラスだ。


 幼い頃から英才教育をしこまれた難関クラスの生徒より、底辺で必死に這い上がろうとしている子供たちに、隼人は幼い頃の自分の姿を重ねてしまう。この古臭くて地元の人間だけが結託している土地からとび出したくて、必死に問題集にかじりついてきた。塾に通う子供たちを見ながら、少しでも羽ばたける力があるなら手を貸してやりたい――その思いだけで、何年も勤めてきた。


 しかし経営陣にとって、彼らは金づるにすぎない。一般家庭の親なら目玉が飛び出るほどの講習代を要求し、受講すれば合格できると希望をちらつかせる。受験する学校の数が増えるほど講習代はかさんで塾はもうかる。いくらつぎ込んでも、毎年決まった割合の子供たちは合格できずに公立に通うことになる。その構図を見続けてきた隼人は、ある程度のあきらめとやるせなさを感じずにはいられなかった。


 合格したってその先に輝かしい人生があるとはかぎらない。栄光を手にするのはごくわずかな人間だけ――そのことは身をもって知っている。


 真夜中になっても人の往来が絶えない夜道に、タクシーがすべりこんでくる。

 琴菜はいびきをかいている大輔を後部座席に押しこむと、隼人を見て言った。


「また会ってくれる?」


 化粧がくずれてどこか疲れたその顔に、首を横にはふれなかった。


「週末まで実家にいるから」


 そう返すと、琴菜は微笑んでタクシーに乗りこんだ。

 二人の乗ったタクシーがヘッドライトの波の中へ溶けこんでいく。オレンジ色のブレーキランプが無機質な道路をどこまでも彩っている。隣に立った綾女が小さく手をふっている。


「おまえ、あいつらと仲いいのか?」


 何気なく隼人がそう聞くと、綾女は苦笑いをした。


「そうでもないよ。お互い実家が近いからよう会うけど、それだけのことや」


 そう言って隼人の腕を引く。酔いが回っているのか自分の足取りも怪しい。ふらついているとうしろから猛スピードで自転車が突っ込んできて、思わず綾女と体を重ねてしまった。


「……ごめん」


 あわてて体を離すと、綾女は相好を崩して腕をからめてきた。


「うちが送ったるから安心しいや」


 周囲の目も気にせず、ぴったりと寄り添ったまま帰路につく。


 綾女は隼人を玄関先まで送り届けると、女ひとりの夜道を心配する隼人をよそにぴしゃりと扉を閉めてしまった。家の前には自転車が止めてあった。地元だし心配無用なのかと考えながら、居間の掃き出し窓を開ける。


 すぐ前に綾女の実家がある。何度かのぞいてみたが、物干し竿には男性用の衣服しかつるされていない。やはり綾女は別のところに住んでいるのだろう。


 散らかし放題になった和室を見てため息をつく。書類は手続きが済み次第、仕分けして処分すればよかったが、箪笥の中につめこまれた母の洋服と思い出の品の類は、どこから手をつければいいのか途方にくれるばかりだった。

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