消失
翌々日、実家に来ると言っていた大輔が、時間になっても姿を見せなかった。
高そうな時計をちらつかせながら「弁護士は時間厳守するもんや」と言っていたのに、結局は酔っ払いのたわごとだったのかと考える。
連絡先を聞いていなかったので、綾女の携帯電話にかけることにした。
何度かかけてようやく通話に切りかわったが、外にいるのか人の話し声が聞こえる。
「ごめん、仕事やってん。今やっと休憩なんよ。どないしたん?」
「悪い、仕事中に。今日、大輔が来るって言ってたのに、いつまでたっても来ないんだよ。あいつの連絡先教えてくれないか?」
「大輔って、誰?」
綾女が電話越しにそう言う。通話状態が悪いのか、もしくは自分のイントネーションがおかしくて通じなかったのかと思い、隼人は声を上げた。
「大輔だよ。こないだ一緒に飲んだ、桐生大輔」
「誰それ? うちの知ってる人?」
頭の中で綾女の声がこだまする。思わず携帯電話を耳から話して画面を見つめる。綾女の声が遠いところで鳴っている。
脳に響く鼓動を感じながら、隼人は深呼吸して携帯電話を耳につけた。
「だから桐生大輔だよ。俺たちと小学校が同じだった。おととい会ったところじゃないか」
「何言うてんの? 名前、間違ごうてない? そんな人知らんし。あー主任が呼んでるわ。ほなまた、あとでね」
唖然とする隼人を取り残して通話は切れてしまった。通話終了の音がむなしく響いている。
隼人は頭を抱え、テーブルの上に携帯電話を置いた。手に嫌な汗をかいている。
――誰それ?
嫌な響きが、心臓を蝕んでいく。なぜ彼女はそんなことを言ったのか――いつもの冗談の延長なのか、大輔の存在を無視したいという主張なのか。
考えても答えがでるはずがない。綾女は夕方に来ることになっている。その時に大輔のことを聞こう――そう考えながら、古いアルバムに手を伸ばす。段ボール箱につめられた何冊もの巨大なアルバムが隼人の手にのしかかる。
隼人が生まれた頃の写真には丁寧なコメントがよせられているが、二冊目からは写真を張りつけただけになっている。大雑把な母らしいと苦笑していると、河原で撮った写真が出てきた。
リボンのついた帽子をかぶっている幼い綾女を見ながら、そういえばこの帽子は彼女の母親が死ぬ直前に買ったものだと思い出す。
虫取り網を手に決めポーズを取っている隼人のうしろに、ヒーローもののお面を被った男児が映っている。玩具の剣のようなものも見える。隼人より頭ひとつ大きいこの男児は、たしか大輔だった気がする。ヒーロー気取りで屋根によじ登って、近所の大人にしこたま怒られた記憶がある。
ふと電話帳の存在を思い出して、廊下にかけ出す。自宅の電話台の下にはいつも電話帳が入っていた。書類を捨てられない母親なら、今でも残しているかもしれない。
電話台の引き出しを開けると、またしても領収書やチラシがつめこまれていた。全て外にかきだして、古い電話帳を引っぱり出す。
「か行」をめくってみたが「桐生」の名がどこにもない。小学生の頃、たしかにこの電話帳を見ながら彼の家に電話をかけた記憶があるのに、名前だけがすっぽりと抜け落ちている。
釈然としないまま、隼人は電話帳を引き出しに放り込んだ。
物が山積する和室に寝転がって写真を見上げる。無垢な笑顔が太陽に照らされている。未来に何の不安もなく、いつか必ずこのお面のヒーローのようにかっこいい大人になって世界を救うのだと信じていた。
あれこれと自慢話をしていた大輔はどうやら弁護士になったようだから、ある意味、夢は遂げたのかもしれない。ただむかいに座った綾女が落ち着きなく彼の動向をうかがっていたのが気にかかった。それに「誰それ?」と言い放つ、あの態度――
疲労に負けた体がだらしなく畳に沈んでいく。写真を持った手が下がっていく。蛍光灯にまとわりつく虫の羽音を聞きながら、隼人は闇の中に落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます