第8話 事故

 チャンピオンのチャレンジが始まって数分が経ち、会場の脇で備えていた涼太たちはスタッフたちの会話を小耳に挟んだ。


「えっ、サメが弱ってる? ちょっと勘弁してよ。まだ収録残ってるんだよ」


 どうやら涼太の番で追加投入される予定のサメが弱っているらしい。スタッフたちはひどく狼狽している。


「サメもサメでこんなところに連れてこられてかわいそうね」

 母の同情はすごくらしいと思った。涼太はそんな母に微笑み返す。


「まあ、元気なのよりはそっちの方がありがたいだろ」

 苦笑いを浮かべ父が言った。


 三人の中に安穏とした空気が流れ始めたその時だった。

 会場が騒然とする。


「やばい! 噛まれた噛まれた!」


 一人のスタッフが焦り声を上げた。会場に設けられた大きなモニターには腕から血を流しながら何とか逃げ延びようとするチャンピオンが映る。しかも数秒も立たないうちに数匹のサメに囲まれてしまう。涼太の周りのスタッフは皆慌てふためき予測していなかった事態に震えた。


「だめだ! 中止しろ、中止! 中止だ! 電気流せ」

「うわあ」


 実況を続ける司会者が、巨大モニターを見て悲鳴にも似た声を上げる。

 モニターには次々にサメに襲われるチャンピオンが映り込んでいる。


「大変な大変な事態が起きてしまいました。我々の目の前でチャンピオンが……」

 司会者が悲壮な声で実況を続けた。


「森野さん。司会もういい。中止中止」

 プロデューサーが手でバッテンを作りそのままチャレンジは打ち切られた。


 収録はいったん中止となり、その後、傍に控えていた救護要員によって血にまみれたチャンピオンがプールから拾い上げられた。拾い上げられたチャンピオンの周りには、衆目から真実を覆い隠すように番組スタッフが二重にも三重にもなって集った。


「どうすんだ、これ。もう無理じゃない」


 スタッフ同士がひそめき合うように話している。プールにはチャンピオンを襲ったサメたちが電気ショックを受けてぷかりと浮いている。


 エキストラも初めて遭遇した事態らしく明らかに同様していた。

しばらくして救急車が到着し、チャンピオンは病院に搬送された。




 チャンピオンの事故が起こってわずか半時間後、プロデューサーと若い番組スタッフ一人が涼太の元へやってきた。


「涼太君そろそろ出番だけどいけそう?」


「撮影するんですか?」

 驚いて涼太は問うた。事故の後なのだ。


「するよ、もちろん。撮らないとおじさん達仕事にならないからね」

「でも」


 安心させるように彼は明らかな作り笑いをしている。


「チャンピオンは今治療中だからね。大丈夫、救助が早かったから助かるって」


「……」


「なあに、サメも元気なくなってきてるから大丈夫だよ。それじゃあと10分したら始めるから」


 自身の要件をしっかりと告げるとプロデューサーは去って行った。後には涼太と番組スタッフが残される。


「君、嫌になったんだったら今からでも止めたほうがいいよ」

 静かな声で忠告しながらスタッフは涼太にマイクを付ける。


「こんなことは初めてじゃないんだ」

「さっきチャンピオンから聞きました」

 驚いたようにスタッフは手を止めて顔を見た。


「だったらなおさら。止めるんなら今のうちだよ」

「止めません」

「そんな」


「止められないんです。ほんとうに止められないんです。どうしてもお金が要るんです」

 涼太は握りこぶしを確かめながら自分に言い聞かせた。

 スタッフは悔しそうな顔をしていた。本心から止めてくれているのだ。


「それよりもチャンピオンが助かったてのは本当なんですか」

「……さあ」


 スタッフはそれ以上口を開くことは無かった。


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