第3話 愚者の取引

「ルンルンルン、やあおはよう、おはよう」


 某テレビ局の通路で、少し時代遅れのキノコ頭のプロデューサーがスキップをしながらすれ違うスタッフたちにご機嫌に挨拶を交わす。ひとしきりの笑顔を振りまいた後、会議室の前で立ち止まり「んんー」と咳払いをして呼吸を整え、真剣な面持ちを貼り付けるとドアをゆっくりと引いた。


「大変お待たせいたしました。チャンピオン」


 会議室には金髪リーゼントの男とそのマネージャー、それに番組スタッフの計三人が構えていた。


「おう、待ちかねたぜ」


 金髪のリーゼントの男――チャンピオンが苛立つ様子もなく朗らかに答えた。


「さてと。始めましょうか」

 プロデューサーはニコニコしながら着席し、隣のスタッフから資料を受け取る。


「まずね、今週の『シャークファイト』、視聴率なんですけど32%と好調でした」

「よっ!」

「やったね!」


 チャンピオンや番組スタッフが合いの手を入れ四人全員で拍手をする。


「それもこれも一重にチャンピオンのおかげです」

 プロデューサーはゴマをする様に目配せをした。


「またまたあ、こうなってんのは柘植ちゃんの腕だろ」

 チャンピオンは満更でも無い様子で謙遜をしてみせる。


「いやー、とんでもありません。チャンピオンが居ないと我々やってけませんから。それでね、実はチャンピオンご相談が有るのですが」

「ん? 何だ?」


 チャンピオンは目をくりくりとさせてプロデューサーの表情を見る。称えながらも含みのあるような笑顔をしていた。


「実は今度の収録の事なんですけどね。そのお、非常に申しあげにくいんですがそろそろサメの匹数を増やそうと思ってまして」


 突然の申し出にチャンピオンの顔色が一気に赤く変貌した。


「ぁあ? この間3匹に増やしたばっかだろが」

 温厚に構えていたチャンピオンが激変して怒りに声を荒げた。しかし、対峙するプロデューサーは構わず続ける。


「それがですね、一般公募した人の中に今度3匹でチャレンジしたいって人が出てきましてね。チャンピオンと一般人とが同一のチャレンジ内容となるとちょっと」


 申し訳なさそうな顔で自身の望みを告げるプロデューサーにチャンピオンは湧いてくる感情を叩きつける。


「何言ってんだ、そいつを採用しなきゃ良いだけの話だろ!」

「うーん、テコ入れのために始めた一般公募なんで出来る限り尊重していきたいのですよね」


「テコ入れの仕様なんていくらでもあるだろ。アトラクション設けるなりバーの形変形させるなり」

「チャレンジもずいぶんやりましたけど、数字上がらずで効果なかったですしね。ここはやっぱりチャンピオンに未知への限界にチャレンジしてもらって」


 遠慮がちな声と手揉みがさらに怒りを増長させた。


「言ってるだろ! チャレンジはしない。今まで通り3匹だ。それでダメならこの仕事を降りる!」

 会議室は水を打ったように静まり返り、チャンピオンの主張だけが余韻を残す。


 気まずい沈黙の後、プロデューサーは手をパンと打った。


「わ、か、り、ました、じゃあ次回は3匹で行きましょう。でもまあ、今後は増やしていく、その方向性でご考慮ください」


 プロデューサーは先ほどまでの明るい声のトーンを一気に下げて手短に述べると、手元の資料をささっと片づけた。おさまらない怒りの感情を浮かべたチャンピオンはマネージャーと共に会議室を後にした。


 二人が会議室を出るや否や、プロデューサーは大きく吐息した。


「『この仕事降りる』かあ、半年前じゃ聞けなかったセリフだ」

「もう少し押しても良かったんじゃないですか」


 沈黙を貫いていたスタッフが問いかける。


「無理無理無理、これ以上嫌がらせて本当に断られたらうちの番組潰れちゃうもん。はあ、もうそろそろこの番組も限界かなあ」

「限界? 視聴率30%超えてるのに限界ですか」


 腑に落ちないスタッフが問い返す。


「ほらもう、チャンピオンがチャレンジしないとか先見えてるでしょ」

「はあ」


 未来の展望までは見えない様子のスタッフはあいまいに返事をした。


「視聴者が求めてるのはスリルなんだよ、スリル。いつまでも同じ匹数じゃ芸が無いってのに。そこんとこ全然分かってないんだよなあ」


 プロデューサーは愚痴をこぼしながら唇をかんで天井を見た。


「も、し、く、は。本気で別の出たいって芸人さん探す?」

「えっ、無理ですよ。『あの噂』広まっちゃたから皆嫌がって断られますもん」


「噂は噂だってのに、ねえ」

 じろりと目を向けられたスタッフは息を飲む。


「……はい」


 蛇に睨まれた蛙のごとく縮こまり、その様子を見たプロデューサーは彼からすっと目を外すと、指でトントンと机を叩きながらぼやいた。


「こっちはそろそろ新しい風吹き込みたいんだよね。ピューっと、ピューっとね」

「新しい風、ですか。」


 プロデューサーはどこかから吹いてくる風を探していた。こういうことは時にタイミングと運が味方するのだ。

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