第11話 契約と呪い
「あら、すがすがしい顔ね。一日で決意を固めるなんて、すごい勇敢なのか、愚か者なのか。どちらかしらね」
ベラドンナは、魅力的な微笑みを浮かべながらそう言う。
「さて、どうする?私の僕になる?人生をやりなおす?それとも消える?」
「答えを言う前に、確認したいことと一つ聞きたいことがあります」
「あら?何かしら?」
「私が元の世界に行く確率はどれくらいあるのでしょうか?」
「ないとは言えないくらいの確率ね。そんなに戻りたいの?」
「はい、まだ幼い娘と身重の妻を残しているものでして」
「あぁ、大事なことをいい忘れていたわ。貴方が違う世界に転生しても “貴方の家族の時間”は変わらないからね」
「?!どういうことでしょうか?」
「時間はすべて未来に向かっている。過去に戻ることはできないわよ。そんなことは、全能神さまでさえも無理。まぁ。時間の流れ方は全く違うから、転生先で80年生きても、貴方が最初にいた世界では、2年も経っていなかったりもする場合もあるけどね。それは逆も然り。貴方が過ごす2年が、家族にとっては20年だったりする世界もある」
「そんな…。なんとかなりませんか?」
「前も言ったとおり、命とは偶発的なもの。貴方に幸運があることを願うのね」
「…分かりました。そして、最後に確認したいことがあります。従者契約を結んだら、一つだけ願いを、何でもかなえてくれると言っていました」
「そうね。なにを願うの?」
「全てのことを“絶対に忘れない”ようにしてください」
俺の願いに、ベラドンナは眉を顰める。
「この忘却と死の神、ベラドンナにとんでもないことを願うのね。私は貴方から死を取り上げる。その中で、忘却は唯一の癒しということは分からないのかしら?どういうことか、詳しく説明してくれる?」
「昨日貴女の僕の話を聞いて、恐ろしくなりました。両親の顔すらも思い出せないって、どれだけその人はつらかったんだろうと。でも、昨日、自分の妻と娘の顔と声を思い返したら、若干おぼろげになっているようだったんです。私は貴女の従者になる。優秀な駒に、奴隷になると言っても過言ではない。でも、自分のためです。私はまた、妻と娘に会いたい。私がどんなに変わってしまっても、また出会って言葉を交わしたい。あくまでも自分自身のために、貴女の僕になります」
「貴方勘違いしていない?私は、あなたに人間という種の存在価値を証明しなさいと言ったのよ」
「私はここに来るまでは、会社員でした。人に使われて、仕事をし、その対価として毎月給料をもらっていました。本来なら、死んだ後にこんな話はなかった。しかし、不幸中の幸いか、この話をいただきました。貴方に我々の素晴らしさを説明する仕事をする対価に、妻と娘に再び会える機会を得られるかもしれない。その時に最愛の家族をしっかりと覚えておきたい。だから、絶対に“忘れない”能力を望みました」
「貴方の話に納得できなかったら、人間という種は滅ぶのよ?」
「あったこともない人間のためには頑張れません。でも、俺は大事な人のためになら頑張れます。自分の大切な人のために頑張れなくて、なんでみんなのために頑張れるって言えるんでしょうか?」
俺がそう言いきると、ベラドンナは声を上げて笑いだす。今まで淑女然としていた態度とは一変、少女のように可憐な笑顔だった。
「面白い!あなたのような人間は始めてよ!気にいった!あなたの言う通り、忘却を奪ってあげましょう」
彼女は俺に向かって、手を差し伸べる。
「私の手をとりなさい。それが契約よ」
俺は差し出された手をとり、彼女の手の甲に口付けをする。
「誰がそんなことをしろって言ったの!調子にのるんじゃないわよ!」
ベラドンナは顔を赤くしながら、逆の手で俺の頭をはたいた。とたんに頭に激痛がする。
「ベラドンナ様、確かに調子に乗ったのかもしれません…。でも、ここまで強く殴らなくても」
「それは頭痛じゃない。今、あなたの魂は再構築されている。あなたの魂は、もう人間のものではなく、神に近い高度な生命に変わっている途中なのよ。大丈夫、もう少しで終わるから」
割れるような頭痛と、胸を取り出してしまいたいような息苦しさにどれだけ苦しめられたのだろうか。すべての苦痛が去り、息も絶え絶えになっている俺にベラドンナが話しかける。
「どうやら終わったようね。気分はどう?」
「何かが変わった気はしませんね」
「それはそうよ。あなたの願いは、与えるというよりも奪うという表現が適切だからね。でも、きちんと貴方の願いは履行されたわ。右手をごらんなさい」
そう言われ右手を見る。手の甲に、花のような痣ができていた。
「これは一体?」
「私と契約を結んだ者の証である“アネモネの花”。生命の輪廻に見放された貴方に、私は期待するという願いを込めた印なの。それは、受肉した時にも変わらずに現れるわ。もしかしたら、同じ世界にその印を持った“同志”がいるかもね。まぁ、貴方にとっては敵になるかもしれないけどね…。さて、少し休んでらっしゃい。そして、貴方の準備ができたらまたいらっしゃい」
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