第8話 ベラドンナの提案

廃墟に戻り、ベラドンナに勧められた席に着く。先ほどピアノを弾いていた男性が、紅茶とクッキーを持ってくる。彼の名前はヤタ。ベラドンナが、声を失った従者だと教えてくれた。目隠しをしているのは、曲を弾くための感覚を研ぎ澄ませるためだと言う。


「さて、どこから話をしようかしら」

紅茶を一口飲み、彼女は俺の目を見つめる。


「まずは、ここがどんな場所なのかを話しましょう。ここは、死者の魂が輪廻の渦に帰るための入口。ここに来るのは、なんの意思もないエネルギー。ここを通って彼らは、大いなる生命の一部になっていく」

彼女は「このお茶は、ここに咲くアネモネを煎じたものなのよ」と言い、紅茶を一口飲む。


「でも、まれに貴方のように、形を持ったままここに来る魂もいる。その者たちは様々よ。生き返らせてくれと懇願する者も、現世に未練はないと言う者も。その者たちはすべて、一つの共通点があるわ」

「共通点?」

「あなたたちの言葉では、運命とでも言うのかしら。あらゆる生命は、すべてこの本に書かれた通りに進んでいるの。でも、それに書かれていない死を迎えた場合、あなたみたいに姿と自我を保ったままここに来るのよね」

彼女はそう言って、両手で抱えるほどの大きさの本を取り出す。そして、細く長い指で頁をめくる。


「綾野理、82歳で家族に囲まれながら大往生を迎える。これがあなたの迎えるはずだった運命」

「それが、なぜ?!私はなぜ死んでしまったのですか?!」

「生物には運の強弱がある。それは日ごとだったり、年齢ごとだったりね。あの日、貴方は一番運に見放された日だった。それに、貴方を突き飛ばした男はあの日、一番運が強かった日だったの。あの男に運気を吸い取られたのね」

ベラドンナはそう言うと「ご愁傷さま」と、含み笑いをする。俺はそれに少し腹が立つ。


「そんな顔をするんじゃないの。私は死と忘却の神。貴方に選択肢を与えられるの」

「選択肢??」

「そう。一つは、輪廻の渦に戻っても来世に確実な幸せを保証するわ。二つ目は、輪廻にも帰れない完璧な死。魂と存在の消滅。」

「俺は、妻と娘のもとに帰りたいんだ!」

「叶わない願いね…。と、言いたいところだけれども、一つだけ方法があるわ」

「教えてくれ!何でもするから!」

俺がそう言うと、彼女はあやしく微笑み、一つの提案をした。



「私の僕になりなさい。忠実な駒にね」



その提案を、すぐには理解できなかった。

「私には主神に託された使命があるの。それに応えてくれないかしら?」

この頼みを断っていたら、俺はもしかしたらあんなに苦しまなかったのかもしれない。


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