第6話 悲劇は突然に
俺は女と並び、池のほとりに立っていた。
「今からあなたの最後を見せてあげる」
女は、水面に向かって手を差し出し、指を鳴らす。その途端、水面が泡立ち、オレンジ色に輝く。光が収まった時、眼前に広がる池は黒硝子のような輝きに変わっていた。
「これが最後の瞬間」
水面の中の俺は朝のホームにいた。そうだ。思いだした。あの次の朝、早くに目覚めたが、オフィスに忘れものをしたことを思い出し、休みだったが取りに行ったんだ。電車を待つ人ごみの中、列の先頭に並んでいた。なんでもない朝の日常。しかし、その日は違っていた。
女はその先を知っているのかクスクスと笑っている。
「余計な事をしなければよかったのにね」
突如、「その人を捕まえて!」と、若い女性の叫び声がする。映像の中の俺は、その声に反応して顔を向けている。その先から大柄の男性が、人ごみをかき分けながら走ってきている。俺は、その男に向かって行く。その後ろからは、通過電車が迫ってきており…。
「どう?どんな気持ち?」
朝の静謐な空気を引き裂くような列車の急ブレーキ音が響き、それに遅れて人々が絶叫を上げる。構内放送は、客への混乱を収めようと注意勧告をしているが、「おい、警察に連絡したか?」や「どれくらいの遅れになるかの算出はまだか!乗客への説明責任はまだか!」などの、駅員間での混乱が混じる。
やがて、人々は手に携帯電話を持つ。仕事着に身を包んだ人は誰かと通話を始める。学生風の若者たちは、ディスプレイにくぎつけになっている。そして中には、バラバラになってしまった俺を撮影し、SNSに投稿している人もいた。
“人の死”さえも一過性のことにし、すぐに日常に戻ろうとする人間に恐ろしさを感じる。
「ねぇ、教えてよ。正義感を振りかざしたら、相手に弾き飛ばされて、電車にも弾き出されて死んだ感想」
そうだ。すべてを思い出した。俺はあの日、死んだんだ。
女は笑っている。
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