2 『曹長』レイラ・シュルツの憂鬱

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 『大連合』西北領の短い盛夏のある日。


「なんですか。こんな所に呼び出して」


 朝一番に教会へとレオンに呼び出されたレイラは、憮然ぶぜんとした様子で腕を組み、最後列の木製長椅子に座るレオンへ実に不満そうな声で訊く。


「やあ、ジョギング中にすまないね」


 ビビットカラーのランニングウェア姿の彼女を見て、レオンは薄い笑みを浮かべてそう言ったが、


「はい。大した用事でなければ戻りたいのですが」


 レイラはにべもなくそう言って、回れ右して今にも立ち去ろうとする。


「いいや。とても大事な用なんだ」

「具体的に言って下さい」


 呼び止められたレイラは、非常に嫌そうに振り返って、ちらっと実妹の部屋のドアを見たレオンへ言う。


「ああ。昼過ぎまで、セレナいもうとと一緒にいて欲しいんだ。君なら年も近いし、セレナも話しやすいと思うんだ」

「……私でなくても、シスター達で十分なのでは? 失礼します」

「無論タダとは言わないよ。1週間分の食堂券でどうだろうか」

「はい?」


 冷たく言い放って、再び出ていこうとする彼女の前に回り込んだレオンは、焦った様子で21枚綴つづりのそれを手渡した。


「不満かい? なら追加で次の出撃で戦果を半分譲るよ」


 同意せずに眉をひそめたレイラへ、彼はその誓約書の電子書類を端末に送信した。


「それでもというなら、今月の給与3割――」

「あーもう! 分かりました! 引き受けます!」


 今度はレイラに送金までやろうとするので、それを止めて半ばやけくそ気味に承諾した。

 

「ありがとう。助かったよ」


 それを受けてホッとした様子でにこやかに言うレオンは、着替えてきても大丈夫だよ、と言い残して全力疾走で出ていった。


 レオンはわずかな時間の合間を縫って頼み込んでいたため、レイラが多少ごねたせいで時間ギリギリになっていた。


「ちょっと……」


 何をしないといけないか、と訊こうとして廊下まで追いかけたが、もう彼の姿は影も形もなかった。


 仕方なく、レイラは駆け足でロッカールームに向かって、迷彩の作業服に着替えて戻って来た。


 その際、シスター達に丸投げしようと考えた彼女だが、勢いとはいえ引き受けたからには達成しないと気が済まないので、セレナの部屋の前で立ち尽くしていた。


 すると8時きっかりに、白い『聖女』の修道服をまとったセレナが部屋から出てきた。


「おはようございます。あなたがレイラさんですね?」

「はい」


 彼女に柔らかい微笑みを向けられたレイラには、なんとなく居心地が悪いように感じられた。


 レオンとそっくりの金髪に、彼を少しふんわりさせた様な顔つきの彼女は、妙に人をきつける雰囲気や、心の冷えた部分を暖められる感覚までもが彼に似ていた。


 唯一違うところといえば、『聖女』特有の輝く様な金色の瞳ぐらいだった。


「兄からよく、お話は伺っております」


 至極丁寧に挨拶をしたセレナは、興味深そうにまじまじとレイラを見つめて、


「なるほど、兄がいつも言うとおり、芯が真っ直ぐな方だとお見受けします」


 たじろぐ彼女に、太陽の光の様な笑みを浮かべた。


「……それは、どうも」


 それをレイラは直視する事が出来ず、つい目線を逸らしてしまう。


「……ふふ、兄様が気にかけられている理由が分かりますね」

「はい?」


 教会の1番奥にある祭壇へと歩みを進めるセレナは、独り言です、とレイラの方をチラリと振り返りながらイタズラっぽく告げた。


 祭壇中央にやって来たセレナは、壁と一体化した形状の、大きなロザリオの前で跪き、自身の胸元に下がるロザリオを包むように握った。


 目をスッと閉じると、本職の歌手の様な美しい声で、彼女は平穏無事を願う祝詞をとなえる。


 すると、開いていた窓やドアから風が入ってきて、セレナの元へと集まるように流れていき、修道服の帽子から垂れる長い金髪から光の粒子が生まれ、天へと昇っていく。


「――」


 他の『聖女』の祈りはいくつか見てきたレイラだが、ここまでその力が可視化されているのは見たことが無く、その神々しい姿に息を飲んだ。


「ふう……。レイラさん、もう朝食はお済みですか?」

「……」


 まだ天井付近を漂っている粒子に気を取られ、


「レイラさん?」

「――はっ、いかがされましたか?」


 レイラはセレナの呼びかけに気がつかず、反応が思い切り遅れた。


「朝食がお済みでないなら、ご一緒したいと思っているのですが、いかがですか?」

「まだですが、クッキーバーで十分ですので」


 神々しさが無くなり、元の人なつっこい表情を浮かべるセレナの誘いを、レイラは丁重に断った。


「それ以外を口にされたのはいつですか?」

「2~3週間前ですが……」

「なるほど。ならご一緒するしかありませんねー」

「いえ……」

「ご一緒するしかありませんねー」

「あの……」

「するしかありませんねー」

「……その」

「ありませんねー」

「……。……はい」


 まごうことなく笑顔なのに、セレナから凄まじい圧を感じてレイラは承諾した。


「食事というものはですね、栄養を摂ることができれば良い、というものではないのですよ」

「……はい」

「兄も言っていましたが、いつもの食事こそ小さな幸せであるべき、なのです」

 

 ぐいぐいとレイラの腕を引きながら、セレナは食の意味について説きつつ食堂へと向かう。


 見た目や語り口から、彼女が大人しい性格だと思っていたレイラだが、その実兄を超えるパワフルさを発揮する彼女に圧倒され、調子を狂わされっぱなしだった。


「好きな物を頼んでください。お代は兄が持ってくださるはずです」


 食堂に着くと、セレナはそんな無責任な事を言って、自分用のプレートを受け取りに向かう。


「券は頂いています」

「じゃあそれ使っちゃってください」


 そんな示し合わせたかの様に、ちょうど渡されていたそれで、レイラはBLTサンドを注文した。


 先に窓際のテーブルについていた、セレナの隣にそれを持ってレイラは座った。


「……それで足りるのですか?」


 セレナも同じものを受け取っていたが、自身のそれと見比べて厚みが半分ほどで、純粋に気になって訊ねた。


「はい。元々小食なので」


 そう答えたセレナは、命に祈りをささげてからサンドに小さくかぶりついた。


 特になんてことのないそんな所作も、セレナが行なえば美しさを感じさせるものだった。


「……」

「あっ、レイラさんソースが」

「えっ」


 横目で呆然ぼうぜんと見ていたレイラは、マヨネーズソースをパンから滴らせて机を汚していた。


 紙ナプキンで垂れたそれ拭いてから、皿を下に置いてガツガツといつもの様にハイペースで食べようとすると、


「ちゃんと味わって食べてくださいね。誰もりませんから」


 それを知っていたかのように、セレナから牽制けんせい球が飛んできた。


「あっ、はい」


 彼女の笑顔の圧に押されつつ、レイラはしっかりと味わう様によく咀嚼そしゃくする。


 ……あれ、ここまで美味しいものでしたっけ?


 これまで、全く味わう、という行為をしたことがなく、トマトの酸味やベーコンの塩味、レタスの食感とそれらの旨味もやけに新鮮な感覚がした。


「幸せ、感じられましたか?」


 かすかに目を見開いていた様子を見たセレナは、小首を傾げながらニッと笑みを浮かべた。


「ええ、まあ……」

「それは良かったです」


 その表情はレオンがよくするため、どうしても彼を意識してしまい、レイラは少し胸のざわめきを覚えトギマギする。


 このときはまだ、レオンへの感情の正体について、彼女はもちろん、レオンもその周囲も気付いてはいなかった。


「ふふ」


 不思議そうな表情を見せるレイラに、温かい目を向けるレオンの実妹、ただ1人を除いて。

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