外伝 1 『神機』:白銀の聖女

第一話

 ――それは、けして輝かしい英雄譚えいゆうたんなどではない。




 24時間という短時間ながら、戦況がめまぐるしく動いた『233年3ノ月戦争』。


 その戦いで『大連合』南部領戦域の『帝国』軍本隊は、一応の勝利を収めていた。

 だが、『大連合』西北領戦域では『大連合』軍などの奮戦により、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされて敗北していた。


 全戦闘が終了してから2日。『神機』パイロットの若い女性、アメリア・マドックは、『帝国』領ルザ州軍令部が置かれた基地に帰還した。


 ルザ州は、『帝国』北東部の国境沿いにそびえる、ディアマンティ山脈の麓にある小さな州だ。

 北は沿海のアセル州、南は『島国』の島々を望むユナイツ州、東は山脈を挟んで『大連合』と国境を接する。

  そこは土地も痩せていて資源も乏しい内陸部のため、現在、『帝国』内で最も貧困率が高い地域になっている。


「もう失せろ、この役立たずが!」


 しかし、彼女を待っていたのは、州軍令部司令官からの理不尽な折檻せっかんだった。


 先の戦争でルザ州軍令部は、『帝国』首都がある南部のシティー州総司令部から、この戦争で戦果を挙げれば、褒美として資源を供給する、という指令を受けていた。


 しかし、めぼしい戦果はほぼ挙げられず、過剰に生産されていた、脂っ気の無い肉の缶詰少々以外、特に何も供給されなかった。


「失礼いたしました」


 散々サンドバッグにされたアメリアは、口の端から血を流し、顔にはいくつかあざができていた。

 髪をつかまれて引き倒されたせいで、彼女の一つに縛った長い黒髪はひどく乱れていた。


「……また、手ひどくやられましたわね」


 司令官の執務室から出てきた彼女を、修道服をまとう少女、エレアノール・ハミルトンが出迎えた。そのスカート部分には、『聖女』のロザリオを模した装飾が付いている。


 憂いの表情でアメリアの手を取って、自分を見上げてくるエレアノールに、


「この程度、大したことはありません」


 平然とした様子で彼女はさらりと答える。そのダークグレーの軍服の腹部には、上官の靴跡がくっきりと付いていた。


「さあ、お部屋に戻りましょう。エレアノール様」


 アメリアはそう言って微笑みながら、ひざまづいてエレアノールに右手を差し出す。体中が痛むはずだが、そんな様子は一切見せない


「……そうやって、すぐごまかそうとするのはお止めなさい」


 彼女はその手をとらず、アメリアの腫れた前腕にそっと触れた。


「けして、そのようなつもりは……っ」


 手を下ろしたアメリアはそうは言うが、痛みでほんの少しだけ顔をしかめる。


「ほうら、やっぱり痛むのでしょう?」


 その腫れた部分に口づけしてから、首に提げた自分のロザリオを握ると、エレアノールは『世界教』の『聖書』に書かれた祝詞のりとを詠唱する。


 すると、彼女の唇が触れた部分がかすかに光り、ほんの数秒で腕の腫れが引いた。


「少し痛みはありましたが、エレアノール様のお手を煩わす程では――」

「痛いのならば、痛いと言いなさいな」


 痛かったのを認めつつ、それでも強がるアメリアの頭を抱き、エレアノールは彼女の額にまた口づけした。


「そうやって隠されると、その分だけわたくしの心が痛むのですわ……」


 腕の力を込め、エレアノールのアメリアへささやく。その声は、泣きそうにも思える震えたものだった。


「もっ、申し訳……、ございません」


 そんなエレアノールの様子に、アメリアは慌てて素直に謝った。


「……分かればいいのです」


 慈しむようにそう言うエレアノールは、アメリアの頭をそっとでてから手を放した。


「エレアノール様……」


 解放されたアメリアが、エレアノールの顔を見上げると、彼女はとても17歳とは思えない、美しい微笑みを浮かべていた。


 アメリアにはそんな彼女が、美しく長い銀髪を持つ事も相まって、世界に始めて現れたという、『原初の聖女』の肖像画の様に見えていた。


「何をほうけているんですの? 帰りますよ、アメリアさん」


 ぼんやりとしていたアメリアに、エレアノールは柔らかな表情でそう言うと、今度は彼女の方から手を差し出した。


「はい」


 アメリアは彼女の手をとると、そっと裏返してそのこうに短くキスをした。

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