幕間 2

『聖女』マリーの退屈

 『公国』の『聖女』・セレナが生活する、邸宅に併設された教会の中にある、セレナが幼い頃に学習室として使っていた一室にて、


「……」


 『王国』の『神機』に乗っていた『聖女』・マリーは、現代文字が並ぶ黒板を眺めていた。

 黒い修道服をまとう彼女の表情は、実に面白くなさそうな、ムスッとしたものだった。


「マリーさん! 聞いてますか?」


 マリーが全く集中してないのに気がついた、彼女の教育係の中年シスターは、そう言いながら彼女の目の前にやってくる。


「つまんない……」

「つまらない、じゃありません」


 あなたのためを思っての事なのですよ、と、シスターはがみがみ説教を始めた。


 そんな彼女へ、ふくれっ面のマリーは、


「『聖女』たるもの、高い教養が無ければ――」

「つまんなーい!!」


 とうとう椅子から立ち上がり、そう叫んで裾をまくると、猛然とダッシュして学習室から飛び出した。


「ちょっとマリーさん! お待ちなさい!」


 シスターもその後を追うが、40代も中頃の彼女では、マリーの足には到底追いつけない。

 そこで、彼女は他の若いシスターに、マリーを止めるように言った。


「マリー様! お待ちになってください!」

「やだー!」


 だが、ちょこまかと動き回る彼女に翻弄ほんろうされ、シスター達は手も足も出なかった。


 そうこうしているうちに、マリーは屋敷の母屋の方へと逃げ、シスターらをあっという間にいてしまった。



 あっさりと逃げ切ったマリーは、彼女が姉と慕うセレナが生活する棟にやってきた。


 廊下ですれ違うメイドや執事達が、マリーの姿を見て恭しく礼をする。


 書庫とセレナの部屋を繋ぐ丁字路にさしかかると、マリーは巡回中の衛兵2人と遭遇した。


「おや、『聖女』様。こんにちは」

「まーた脱走でありますか?」


 マリーの脱走癖を知っている彼らは、温かい微笑ほほえみを浮かべて彼女へ話しかける。


「これはだっそうじゃない。じゆうをてにいれるためのたたかいだ」


 まだ平べったい胸を張って、マリーはキリッとした表情でそう言う。


「おお、左様でありますか」

「いやー、やはりマリー様はお勇ましいですなあ」


 彼らは全く止めようとせず、マリーへ温かい声援を送って巡回に戻っていった。




「おねーさまー」


 彼女はお嬢様気分で廊下を進み、セレナが普段居る部屋にやってきた。


「むーん……」


 しかしそこには、セレナどころか誰も居なかった。


 本を探しているのかもしれない、と考えたマリーは、棟の突き当たりにある書庫へ向かった。


「おねーさまー?」


 だが、またしても目当てのセレナはおらず、


「あら、マリー様。どうなさいました?」


 本棚を掃除する若いメイドがいるだけだった。


 マリーはメイドに、セレナの居場所を訊ねた。だがメイドは、セレナは公務で一日不在だ、と答えた。


「むー」


 仕方が無いので、お菓子作りを手伝おう、と思ったマリーは、セレナ専属シェフの居るキッチンに向かったが、


「むー!! つまんない!」


 新入りを含めた全員が、セレナと帯同していて不在だった。


 さらに不機嫌になった彼女は、本を読んで気を紛らわそうと、また書庫へと向かった。


「申し訳ありませんマリー様。今から虫干しをいたしますので……」

「むしぼし」


 すると運悪く、虫干しの準備が始まっていて、それすらも叶わなかった。




 なんか面白い事はないか、と、とりあえず庭園に来たマリーは、


「あ、みおぼえのあるだれかだ」

「ジョンです、『聖女』様……」


 常緑樹の低木の剪定せんていをしていた、作業服姿のジョンを見つけて彼に絡む。


 先の『王国』と『公国』の戦いで特殊作戦に従事したため、ジョンは元々居なかった事にされ、母国に帰れなくなっていた。

 それを聞いたセレナの父に、庭師見習いとして雇われて今に至っている。


「うあー! つまんないつまんない! つーまーんーなーいー!」

「だからって、俺に八つ当たりしないで下さいよ……」


 メイドが用意した椅子に座って、マリーは今までの経緯をジョンに話し、理不尽に八つ当たりしていた。


「こんにちは、マリー様。今日も良い美人ぶりですな」


 すると、屋敷の方からはしごを抱えた、ジョンの師匠である中年庭師がやってきてマリーに挨拶する。


「ほめてもなにもでないぞ」

「なんと。残念ですな」


 どや顔のマリーの返しに、がっはっはっ、と師匠は高笑いした。


「おい新入りー。べっぴんさんに見とれてないで、ちゃんと手も動かせよー」


 一通り笑った師匠は、そう言って去り際に彼をからかう。


「はいご忠告どうも師匠!」


 ジョンが半ギレで師匠にそう返すと、また彼は高笑いして、庭園の奥の方へと去って行った。


「……でも俺だって、『聖女』様が楽しめる様なことやってませんよ?」


 飛び出た枝を淡々と切りながら、ジョンは自分を凝視するマリーへそう言う。


 とはいえ、彼も子供に好かれるのは、内心まんざらでもない。


「べつにもんだいない。ぼうっとしてるよりはたのしいからな」

「さいですか……」


 だが、別に好かれているわけではなく、消去法だと聞いたジョンは、若干ショックを受けた。


 ややあって。


 教育係のシスターについて、マリーがジョンへうだうだ愚痴ぐちっていると、


「み……、見つけましたよ……。マリーさん……!」


 うわさをすれば影、といった具合に、中年シスターが汗だくになってやってきた。


「さあ、戻ってお勉強の続きを――」

「やー!」


 怒り心頭の様子の彼女を見て、マリーはジョンの後ろに隠れて顔を出し、シスターを猫の様に威嚇いかくする。


「マリーさん!」


 そんなマリーを捕まえようと、シスターがツカツカとやってきて手を伸ばす。だが、マリーは逆サイドに逃げて回避した。

 今度はシスターが反対側に手を伸ばすと、マリーはその反対側に逃げた。


 それを延々と繰り返す2人に挟まれるジョンは、


「まあまあ、シスター。本人嫌がってますし、無理強いしない方が――」

「あなたは口を挟まないで下さい!」


 そう言って仲裁しようとするも、シスターに食い気味に一蹴された。その扱いに彼はちょっとムッとした。


「確かに勉強は大事ですよ? でも、嫌がってるのに無理やりやらせちゃ、身につくもんもつかないんじゃないですか?」

「それはまあ……、そうですが……」


 体力が尽きて、捕まえるのを諦めたシスターは、ジョンの言葉に若干トーンダウンする。


「多分この子、あなたが思ってる以上に賢いですよ」

 

 なんで、もうちょっと信用してあげて下さい、と言うジョンは、ふくれっ面のマリーへ笑いかけた。


「話を聞くに、『聖女』様は自分から勉強しようとしてましたし」

「はあ……」


 マリーの話を聞いていたジョンは、


 セレナの所へ行ったのは、優しい彼女に勉強を教えて貰おう、と思ってのことで、書庫に向かったのは言わずもがな。

 キッチンへ向かったのも、マリーと同世代の子からすれば、立派な勉強と言えるんじゃないか。


 と、彼なりに彼女の行動の解釈を話した。


「そうなのですか? マリーさん」

「うん。きょうせいされるとおもしろくない」


 マリーは嘘だけは言わないので、そう言われたシスターは、自分の行動を思い返して反省した。


「……分かりました。続きは明日にしましょう」

「わかった」


 シスターは申し訳なさそうにそう言って、教会の方に去って行った。




「やあ、シスター。マリーを知らないかい?」


 教会へ帰る途中に、シスターは渡り廊下で、邸宅に立ち寄ったレオンと遭遇した。


 まだ庭園にいるはず、と答えた彼女は、そこまでレオンを案内する。


 庭園への道すがら、シスターはレオンから、マリーのおかげで助けられた話を聞いた。


 それを聞いたシスターは、無意識に自分がマリーをただの子供だ、と思っていた事に気がつき、改めて自分を恥じた。


「やあマリー。元気かい?」

「れおーん!」

「ははっ。熱烈な歓迎だね」


 ジョンから園芸の話を熱心に聞いていたマリーは、彼を見た途端、猛ダッシュでレオンに抱きついた。


「お久しぶりです、レオンの旦那」

「おや。君は確か、ジョン君じゃないか」


 帽子を脱いで挨拶するジョンへ、レオンはマリーの頭をでながらそう返した。


 その翌日。


「マリーさん。今日の先生は、セレナ様が引き受けて下さるそうです」


 教会の学習室には、マリーとシスターの他に、修道服姿のセレナがいた。


「一緒にお勉強しましょうね。マリー」

「わーい、おねーさまー!」


 微笑んでそう言うセレナに、マリーは席を立って抱きついた。


「もう、マリーさんったら……」


 セレナと苦笑しあったシスターは、マリーへやんわりと席に着く様に言った。

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