第二章 『神機』:英雄の影
第一話
世界暦233年3ノ月のある日、『公国』軍『レプリカ』部隊の指導を終えた『英雄』・レオンは、自身の雇い主である『聖女』・セレナの住む屋敷に立ち寄った。
レオンが公用車から降りると、晩秋の冷ややかな風が吹き、前庭に生える常緑樹を揺らした。
彼は出迎えたメイドに挨拶をし、セレナの居場所を訊ねた。メイドはティータイム中のセレナがいる、裏庭に面したサンルームへと案内する。
外の気温は低いが、雲一つ無い青空な事もあり、サンルームの中はちょうど良い温度になっていた。
「やあ、セレナ。久しぶりだね」
「はい。お久しぶりです、レオンさん」
このところ、レオンは『公国』の諸侯達の領地に赴き、そこの基地の『レプリカ』部隊への指導を行っていた。そのため、彼が北部のキャクストン公爵領に帰ってきたのは、実に3ヶ月ぶりのことだった。
挨拶もそこそこに、レオンがセレナの正面の席に着こうとしたとき、
「れおーん」
レオンに
「やあマリー。良い子にしてたかい?」
腰の辺りに抱きついてきたマリーの頭を撫でつつ、レオンは彼女にそう訊く。
「うんー」
とても気持ちの良さそうな表情のマリーは、あめ玉を転がす様な声でそう答えた。
ちなみに、レオンが来ると毎回こうなので、教育係のシスターは諦めてマリーを追いかなくなっていた。
レオンがセレナの正面に、マリーが彼女から見て左側に座ると、メイドがセレナ専属コック特製のシフォンケーキを持ってきた。
上質な卵を使ったそれと、まろやかな風味の紅茶をお供に、近況報告やセレナの意外にアクティブな趣味などについて、レオンとセレナはとりとめの無い雑談をする。
「うまい」
一方、マリーはそんな二人の会話そっちのけで、ケーキを夢中で食べていた。
だがそんな彼女も、話題がレオンの武勇伝になった途端、目を輝かせてレオンの話に聞き入る。
それが一段落付いたところで、
「ところで、レイラさん、ってどんな方だったんですか?」
彼の話の中によく出てくる、腹心の部下だった女性パイロットのことをセレナは訊ねる。
「彼女は……、
彼女がいなければ多分、僕は今、『英雄』なんて呼ばれて無いだろうね、と、レオンは笑みを浮かべつつ、腹心の部下だったレイラを手放しで賞賛する。
だがその目は、どこか負い目を感じている様子だった。
*
ちょうど同じ頃、『大連合』西北領の基地の執務室にて。
北西方面軍の総司令官であるレイラは、二回連続でくしゃみをした。
「お風邪ですか? 少将」
彼女と共に、事務書類の山に囲まれているレイラの副官が、はす向かいにいる上官に向かって、冗談めかした口振りでそう訊ねてきた。
「いえ。体調は問題ありませんよ」
おそらく、どなたかが私の
『大連合』西北領は、海に面する北以外の三方を山脈に囲まれた、首都から見て北西の方角に位置する地方である。
中央から最も遠い
ゆえに、北西方面軍、と名は付いているが、規模は他の方面軍と比べてかなり小さい。
「少し休憩にしましょう、大佐」
区切りの良いところまで終わったので、椅子から立ち上がったレイラは、背中を伸ばしつつ副官にそう提案する。
「はい」
彼女はそれに二つ返事で賛成して、扉の左側にある小さなシンクへと向かい、その隣にある棚の中段からケトルを取り出した。
それに水を入れてコンロにかけた副官は、棚の上段からミルと、コーヒー豆が入った瓶を取り出し、部屋の真ん中にある応接セットのテーブルに置く。
「少将、いつものでよろしいですよね?」
一人がけのソファーに腰掛けているレイラは、副官の質問に、それでお願いします、と答え、背もたれに半身を預け、大きく息を吐いた。
はす向かいに座った副官が、豆を挽く音を聴きながら、レイラはこめかみの辺りをグリグリする。
この所、地震や地滑りが頻発していて、その度に山沿いの自治体から軍への災害派遣要請が来るため、主にその予算面の対応にレイラは忙殺されていた。
「一日ぐらい、休まれても良いのですよ?」
「いえ。この程度、大したことはありません」
彼女は部下の気遣いに感謝しつつも、
「部下を働かせて、トップが休む、という訳にはいきませんから」
と言って、その申し出を断ってから、まあ、
ややあって。
レイラの副官はケトルの湯を、豆とフィルターがセットしてあるドリッパーに注ぐ。香ばしいコーヒーの香りが執務室内に広がる。
「どうぞ、少将」
「どうも」
二人は大して美味しくもない、パサパサしたビスケットをお供に、ついつい面白くも無い国内外の情勢について語りあう。
「……休憩なのですから、こういう話は止めましょう」
「ですね」
気むずかしい表情になっていたことに、ふと気がついた二人は、お互いに苦々しい笑みを浮かべそう言った。
「代わりに、『英雄』レオンの話でも聴きますか?」
そう副官に訊ねたレイラの表情は、途端に明るくなった。
「はい。お願いします」
私、好きなんですよね、と言う副官もまた、その表情が自然に和らぐ。
この西北領の主幹基地は、将校と下士官が夕食時に自由参加で集い、身分が上の者が持ち回りで、何か話を披露する慣習がある。
その際、レイラの話すレオンの話は、報道よりもかなり詳しいのでかなりの高い人気を誇り、レイラの話す日だけは参加者がかなり増える。
「分かりました。では、彼と私との出会いの話をしましょう」
「はい」
副官がレイラを見る目は、心が躍るのを隠せない様子だった。
着任してからレイラは数々の話をしてきたが、それはまだ、一度も披露したことはなかった。
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