第18話
「何しに来たんですか」
膝に手をつきながら肩で息を整える私の様子をじっと見ているカナハは、少しだけ泣きそうな顔をしていた。「ちょっと来て」と言って、汗ばんだ手で彼女の細い腕を握る。何を言えばいいのかわからなかったから、人で溢れる校舎の中を早足で歩く。
音楽室の扉を開けると中には誰もいなかった。何か言いたそうに口をパクパクさせているカナハに、隅のほうに置きっ放しにしていた千恵のベースを差し出す。こんなのらしくない、馬鹿げてるって笑われるかもしれない。クールじゃないし、かっこ悪い。正直に言えば私は、カナハの側でギターを弾くロリータ少女を越えたかった。
「弾けるんでしょ、ペチカの曲。今から私と一緒に演奏して」
「え?何、言ってるんですか」
「体育館、行くよ。ほら、アンプとシールド持って」
有無を言わせない口調でそう言うと、素直なカナハは側に転がっていたミニアンプと8の字巻きをされて縮こまっているシールドをつかんだ。おどおどと上目づかいで見上げる小動物のような表情がかわいくて、まっすぐな黒髪をくしゃくしゃと撫でる。揺れるような瞳が愛おしくて、胸の奥が溶けていくようにあたかかくなる。
「お願い、私を信じて。あんたを縛る過去なんて、私がぶっ壊してあげるから」
ステージの上は真っ暗だった。そのせいで、一人じゃないのに一人ぼっちみたいな気持ちにさせられる。マイクの前に立つ膝ががくがくと震えて、小心者の自分を自覚した。よじれるほどの胃の痛みに、腰を折って座り込んでしまいたくなる。
ポン、という間抜けなベースの音が聞こえて横を見ると、カナハが右手で顔を覆いながら左手でベースの弦の震えを止めていた。どうやら間違えて弦に指を当ててしまったらしい。きっと耳まで真っ赤になっているはずのカナハを想像したら少し緊張がほぐれたような気がした。
放送部の下手くそなアナウンスのあと、赤いビロードの幕が挙げられた。体にふりかかるスポットライトの強い光のつぶがまぶしくて、思わず目をつぶった。私たちふたりを見て、客席のざわめきが大きくなっていく。
だって私とカナハは全然タイプが違うから。一方はギャルで、一方は厨二病。まるで違うこのふたりがどうして一緒のステージに立っているんだろうー聴衆はきっと私たちを見て、そんなことを気にするんだろう。私たちの中身なんて見ずに、入れ物だけで判断する連中だもん。
だから私は本当のことなんて言わない。本当のことしか言えないカナハのことを、あなたたちには教えてやらない。
観客の顔を見ないようにして、ベースを奏でるカナハに意識を集中させながら息を吸い込む。ふたりきりの舞台の上で、一つ一つのメロディをかみしめるように、口にする。この小さな箱の中に、きらきら光る魔法をかけていく。
「ロマンティックを超えて」、ファンの間ですら話題にならなかったこの曲のことが私とカナハは好きだった。リハーサルなしの一発ライブ。一回きりだと思うと、全部出し切ってやりたくなった。綺麗なだけじゃなく、ドロドロした感情をさけぶ。
誰かに分かって欲しかった。私がここにいることを知って欲しかった。17歳の私のすべてをマイクにぶつけながら、目を閉じた。
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