第10話


「おめーふざけんなよ。死んで謝罪しろよ」


 ゆるく巻いて散らした茶髪を振り乱しながら、亜美は激怒していた。頬を殴られ、トイレの床に座り込んでいる恭子を激しく罵る。ここまで怒っている亜美の姿を私は初めて見たような気がする。

 まるで手をつけられる状態ではなく、自分と同じように沈黙している千恵とこっそり目を合わせた。


 あれから冷戦状態をつづけていた亜美と恭子の間に、新たな変化が起きたのは昨日のことだった。二年付き合った野球部の男の子と別れた恭子は、すぐに新しい彼氏をつくった。その彼氏と恭子が渋谷でデートをしているところを目撃した亜美は事態を把握して、伝言ゲームのように恭子の悪口を私たちに吹き込んだ。これは自分に対する復讐なのだと。


 憎々しく亜美を見つめる恭子の燃えるような瞳からして、これが偶然であることは考え難かった。恭子は知っていたのだと思う、一体何が亜美を追い詰められる武器になり得るかということを。女王様である亜美のプライドの高さから見て、彼氏の二股や浮気を許すことなどありえない。

 問題は怒りの矛先を、彼氏の少年ではなく、横取りしようとした友達と、亜美自身に向けるということだった。


 自分の世界に起きた出来事を抱えきれなかった亜美は笑いながら泣いていたし、怒るように悲しんでいた。亜美はこのくそびっちあばずれ女、何処かで聞いたことのあるような侮辱の言葉を連らねている。

 私たちは亜美をかわいそうな女の子だと思ったし、亜美もまた私たちに同情されていることに気づいていた。恭子は私たち三人のそんな状況を見て、ほくそ笑むように笑った。亜美と恭子の立場は、そのとき逆転したように思えた。亜美の築いてきた王国が、がらがらと音を立てて崩れていく音が聞こえた。


 どんなに辛いことがあっても誰にも涙を見せなかった亜美が、子どものように涙をポロポロこぼしていることに気づき私は愕然とした。そして同時に、私は亜美のことが決して嫌いではなかったのだと気がついた。彼女は良い友達ではなかったし、私たちはお互いの利益を交換するだけのパートナーでしかなかったけれど。


 コロン、とモップが床に倒れる音がした。振り向くと、顔を青くしたカナハが立っている。私は呆然としてカナハを見つめ返した。カナハは私と千恵を見、泣きじゃぐる亜美を見、笑い出した恭子を見た。


—何故ここにいるの、あなたはこんなところに来るような女の子じゃない。


 カナハは震えながら、怯えていた。そして、嫌悪していた。私たちの子どもっぽい行動を非難するように一瞥し、踵を返した。制服の重いプリーツスカートが翻るように揺れる。

 私は、こんな現場を彼女に見られてしまったことをひどく後悔していた。走り去っていく背中に声をかけて呼び止めたかった。意味もない謝罪を繰り返して、優しい彼女から許されたかった。でも私は、周囲からの視線を気にした。亜美や恭子から送られる視線にとらわれて、私の足は地面に張り付いたかのように動かない。


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