第5話


「じゃあ、二人組つくれー。バレーのラリー、20回続けた奴から帰っていいぞ」


 体育教師の岡田は首にかけている赤い笛を軽くピッと鳴らした。

 それを合図にわらわらと散っていく同級生を横目に見ながら、私は少し困っていた。二人組を組む相手がいない。亜美と千恵はもう既に固まっているし、シカト中の恭子に声をかける訳にはいかない。普段なら、一つ下のグループにいる井上さんにペアを組んでもらうところだけど——


 体育座りをしながら、この時間が終わることを祈っているように見えるカナハに目が留まる。

 私はつかつかと彼女の前まで歩いていった。カナハは目の前で止まった体育シューズに気づくと、ゆっくりと目線を上げた。


「私と一緒にやってもらってもいい?コレ」


 右手に持っていたバレーボールを差し出す。ルール違反かもしれないけれど、組む相手がいないのだから仕方ない。なんだか少し後ろめたくて、言い訳するように心の中でつぶやく。カナハはボールを受け取ると、こくこくと2回首を縦に振った。あの時と同じ。子供みたいな反応がおかしくて、少しニヤけてしまう。


 見た目通り、カナハは極度の運動音痴だった。さっきからもう何十回もやっているのに、少しもラリーが続かない。受け止める手の向きがおかしいのだ。メチャクチャな方向に飛んでいくボールに嘆息してしまう。帰宅部のくせに運動の得意な亜美と千恵は「マリカがんばれー」と私たちを冷やかしながら、早々と帰ってしまった。

 いつのまにかただっぴろい体育館にはもう、私とカナハ以外のペアは残されていない。教師の岡田すら居ないのだから、本当はさっさと切り上げて帰ってしまいたいところだった。けれど、顔を歪めながら必死にボールを追いかけるカナハに、私の心はうっかり動かされてしまったようで。

 カナハの返す下手くそなボールをめがけて必死に手を伸ばす。「はち」と叫びながら、カナハの頭上にふんわりとボールを遣る。しかしカナハは、サーブのように直線に落ちる玉を返してくる。あのバカ。慌てて地面近くに腕を滑らせる。あと一回。床に擦れた親指が痛い。

 カナハの打った高すぎるボールを目で捉えながら、一歩、二歩と足を後退させていく。そのとき、背中が何か硬くて大きいものにぶつかる。予想しなかった障害物に、足がもつれて視界が後転する。無数のバレーボールが、尻もちをついた私めがけて落ちてくる。


「あああああああの」


 割れるような頭の痛さにうめきながら、薄眼を開ける。アーモンド型に縁取られた視界に、カナハの顔が映る。能面のような表情が崩れ、眉を下げた心配そうな表情をして私を覗き込んでいる。目の渕に涙のようなものが浮かんでいるのは気のせいだろうか。


「だだ、だ、だだ」

「大丈夫だよ、どもりすぎ」


 真っ青な顔で目を白黒させているカナハがあんまり面白くて、腹筋がきりりと痛んだ。あちこち負傷している体をなんとか起こすと、カナハはやっと安心そうな顔を私に向けた。


「最後のボール、ちゃんと持った?」

「はは、はい」


 カナハは地面のボールを両手で高く挙げて私に見せた。


「じゃあ、これで終わりだ。おつかれ、良くがんばったじゃん」

「…」

「どうしたの。もっと喜びなよ、あんなに必死だったんだから」

「くすのせさん」

「何?」

「何で僕と、ペア組んでくれたんデスか」


 ひどく小さくてか細い声だった。母親の後ろに隠れる人見知りの幼稚園児のように、下を向いて、顔を上げようとしない。

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