第3話


—死ぬかと、思った。


 前も横も後ろも、人人人。人にもまれ圧迫され、いつの間にか最前列に置かれている手すりをしっかりと両手で握りながら耐えていた。熱っぽい肌と汗、シャンプーが空気に溶けていく匂いの充満した空気にやられて、音楽に合わせて身体を揺らす余裕もなかった。

 ライブがこんなにハードなものだなんて、思ってもみなかった。軽く呼吸困難になりかけた私は、アンコールの曲が終わってもしばらく呆然とひとり立ち尽くしていた。


「あの、タケルさんですか」


 つぶやくような小さな声に、振り向く。小さな身長。黒髪の長い三つ編み。首にかけた南京錠のネックレス。黒縁のアラレメガネ。

 何処かで彼女を見かけたことがあったような気がして、首をひねって考え込んでしまう。

 脳裏に浮かぶ、一つの背中。猫のように丸まる、華奢な身体。


「あ」


 そうだ、思い出した。

 私の前の席に座っている、V系好きの陰気なクラスメイトー

 カナハ。清水奏葉。


 私は慌ててうつむくと、顔が見えないように鼻に手をやった。自分がV系バンドに来るようなオタクだって思われるのはマズイ。学校では、明るくて冗談好きで、カースト上位のイケてる女の子たちとつるむリア充の女子高生という体で押し通すつもりだった。

 たとえそれがただの虚像だとしても。


「あの、私、カナハって言います。あの、私、タケルさんの大ファンでっ・・・」


 タケルはペチカのボーカルの名前だ。中性的な顔立ちが印象的な、女性ファンからの一番人気だという。まさかこの子、私をタケルと勘違いしているのだろうか。

 たとえそうだとしても、ライブが終わった直後に客席に降りてくるミュージシャンなんているわけないのに。心の中で苦笑しながら、顔を真っ赤にしながらもじもじしているカナハに向き直る。


「ごめん、ちょっと待って。私、タケルじゃないよ」

「え」

「これ、コスプレ。」


 自分の顔を指差すと、真っ黒な二つの瞳にじっとみつめられる。濃いメイクを施しているとはいっても、正体を見破られないわけじゃない。ヒヤヒヤしながら反応を見ていると、カナハはしばらくして、がっくりと肩を落とした。

 どうやら、私の素顔はバレなかったらしい。他人に興味を持たなさそうな彼女は、もしかしたら、私の顔すら覚えていないのかもしれない。好都合だけど、それはそれで複雑な気分がした。


「すみません。すごく良く似てるから、勘違いしました。」

「別に、いいけど。そんなに良く似てる?」


 カナハはこくこく、と子供のようにおとなしく頷いた。ライブハウスに入るなり、じろじろと見られている視線を感じたのはそのせいだったのかもしれない。

 熱っぽく刺さる視線を感じて、顔を上げると逸らされる。頬だけじゃなく、少しだけ見える耳が赤い。自分が本当に芸能人になったみたいで、少し気持ちが良い。


「あの、初対面の方にこんなこと頼むのって、本当どうかしてると思うんですけど」


 カナハは大きく深呼吸をして言った。


「私と、プリクラ撮ってくれませんか?」

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