第2話


「いちごジャムサンドと焼きそばパン、ひとつずつ。あと、たまごサンドふたつ、お願いします」


 計560円を購買のふくよかなおばちゃんに支払い、太陽の照りつける屋上に向かう。コンクリートの階段を踏む足がいつもより重い。

 屋上の鍵を拾ったのは恭子だった。「ここ、あたしたちだけで占領しちゃおうよ」と明るく笑う恭子の笑顔を思い出す。彼女はしばらく、ここには来ないかもしれない。


 頬をすべる風の感触はやわらかいのに、私の心は鉛のよう。

 私の買ってきたたまごサンドといちごジャムサンドを美味しそうに口にする亜美の唇が、突然歪み出す。「てか、アイツ」を枕詞に始まる悪口のオンパレードに相槌を打ちながら、自分が攻撃されている訳でもないのに身を硬くしてしまう。

 恭子は失敗した。だけど私が失敗しないという保証は、どこにもない。


「マリカ、明日空いてる?こないだ渋谷でナンパされた他校の男の子、居たじゃん。カラオケでも行こうかっていう話になってんだけど。」

「あ、ごめん。明日、ちょっと用事あってさ」


 用事の内容は言わず、申し訳なさそうに見えるように両手を合わせた。

 残念そうに、「そっか、分かった」と言う亜美は首をかわいらしく傾けて、ゆるく巻いてふわふわのシュシュでまとめた栗色のポニーテールを揺らす。



「先入ってて。あ、入ったとこにドリンクカウンターあると思うから」


 物販の長蛇の列に並ぶという茜に、分かった、と返しながら閉められた重い扉を力一杯引く。タバコとお酒の混じった大人の匂いがぶわっと広がり、思わず顔を背ける。


 私の顔に集まってくる視線に戸惑いつつ、人をかき分けて進む。目が合う人々が、私の顔を見て驚いたような顔をしていることに気づかされて、居心地の悪さを感じる。ボーカルのタケル風のメイク、そんなに似合ってないのだろうか。


 コスプレしようよ、みんなしてるから大丈夫。目立たないよ。


 私の部屋にやってきて、目の周りをアイシャドウで真っ黒に塗りつぶし始めながらそう言っていた茜の笑顔を思い返す。フリルのたっぷり施された紫のジャンパースカートや特盛りのブーツは動きにくくて、歩きにくい。

 うそ。超、目立ってるじゃん。と心の中でつぶやく。


 渋谷にある600人規模のライブハウスは、思い思いの仮装をした女性たちで埋め尽くされていた。レースの付いた黒いマスクや骸骨をかたどったピアス、床にズリそうなもったりとしたスカート、蜘蛛の巣の形をしたタトゥーなどのアイテムを身につけて、メンバーの登場を今か今かと心待ちにしているオタクたちはひそひそと囁きあう。まるで神と信者の交流会のような独特のムードを前にして、少し怯んでしまう。

 「ペチカ」というV系バンドのことはよく知らない。「チケット余っちゃったから、いっしょにいこう」という茜に、強引に引っ張り出されたのだ。

 茜は小学校の頃からの友人で、引っ込み思案でいじめられっ子だった私をいつも助けてくれた。「マリカをいじめたら、私が許さないから」そうかばってくれる茜の背中は、どれだけ大きく、頼もしく見えたことだろう。

 だけど、永遠に思えたその上下関係は崩壊しつつあることに、私と茜はたぶんちゃんと気づいている。大人になるにつれて短くなっていく私のプリーツスカートの丈に反して、長くなっていく茜のパサパサした前髪。「リア充」と「陰キャ」、別々の枠に分類されるかもしれない私たちは、いつかきっと、離れなきゃいけない日がくるのだと思う。


 BGMにかかっていたテクノポップが止んだ。舞台の上の照明が落ちて、暗闇に包まれる。

 キャアアという歓声があちこちで上がり、後ろから前へと圧力が加えられる。抵抗する間もなく、次々とやってくる人の波にもまれる。ピンクのベレー帽を被っていた茜を目で探すも、どこにも見当たらない。胸にかけた十字架のネックレスを両手で握りしめている少女のキラキラした瞳が、何かを求めて舞台に向けられた。


 不協和音のようなノイズから、一曲目の演奏が始まる。

 月の光のようなスポットライトが照らされた。


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