第5話:アレンの葛藤
新しくできたアレンの義足「UNLEASH Ver.1.2.2」を身に着けたアレンが、旧六本木第二陸上競技場のスタートラインに立っていた。
その日は小雨が降っており、トラックにできた水たまりにアレンの姿が写り込んでいた。新しい義足は、ソケットとヒンジが適合しない、そして、重いという、第一印象を受けた。もし折れたりしたら、大けがにもつながる。そこは、もちろん、エンジニアのケヴィンを信頼しているからこそ全力で走る。
跳ぶように走り、前へ進む。水しぶきが頬にまで届き、飛沫が飛び散る音が聞こえる。
走りながら、考えが離れない。
あの男は何者だ。
毎夜現れる、あのケロイドの男の影。
ジョシュア・タンの走りの何が自分を惹きつけるのか。それを分析するために、自らの黒い感情と向き合わなければならなかった。それは、自分の走りが義足のエンジニアリングに依存しているという劣等感からだった。
失われた自分の右足に対して、もうすでに恐怖も不安も感じない。初めて右足を切った自分を鏡で見たときは、ショックと羞恥心で言葉もなかったが、そのようなトラウマは、すでに乗り越えた段階にきていた。そしてその失われた右足を補てんしてくれた存在が、ケヴィンであることも。
アレンの義足は最新の計測技術とモジュールセンサによって試合ごとにデータを蓄積し、常に最適化されたプログラムでアレンのパフォーマンスを最大化させる。
アレンとケヴィンに信頼関係は存在していた。
だがそれとは別に、アレンは、まだこの右足が「失われたまま」であるという感覚を捨てきれなかった。右足は敏腕エンジニア・ケビンの作品であり、自分の身体はその作品にあくまで接続されている…そんな感覚を捨てきれないのだ。
ケヴィンはアレン一人のものではない。リサをはじめ、他の義足選手の義足もメンテナンスしている。だからこそ、独占欲が時々芽生える。自分のものにしたい、自分の足だけに奉仕してほしいというエゴ。
3Dプリンターで制作できるモジュールも部品も安価となり、自分で自分の義足を管理するスプリンターは増加傾向にあるという。
身体のすべてを自分の管理下に置く。そこにまだ、自分の新しい右足は、入っていない・・・。
ケヴィンは根っからのエンジニアだった。障碍者競技に興味があるというよりは、単に義足のメカトロニクスそのものに興味を抱いているようにも見えた。それは、たいていの場合、アレンにとっては安心できる要素だった。同情してほしくなかったし、心の弱い部分に入り込まれても困った。だが、だからこそ、アレンは自分の右足はケヴィンのものであるという感覚を捨てきれないのだ。アレンとケヴィンの間に、強固な信頼関係がほしかった。
からだが一つになる。
自らの義足を自ら調整するという、ジョシュア・タンの走りは、まさにそれを再現しているように見えた。
頭の中で巡る雑念を捨てようと首を軽く振り、アレンはもう一度スタートラインに立つ。
横目に、ケヴィンが、リサの「接合部が痛む」という声を聞いて、サポートに回っているのが見える。
ケヴィンが数か月前、リサにコスメティック義足を贈っていることを、アレンは知っていた。関係を詮索しようとは思わない。コスメティック義足がほしいと思ったこともない。何度もその気持ちを振り払おうとしたが、くすぶる嫉妬心一つ、頭から振り払うことができない。
スタートラインに戻り、もう一度試す。号砲がいつもよりキレのある含みで聞こえた。
フィッティングがうまくいってない感じがした。接合部に痛みを感じる。気づくと、転倒していた。
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