第3話:不快な夢

 泥まみれの戦地。銃撃戦の合間をくぐって、匍匐前進で前へ進む。急に左足が重くなったかと思い、振り返る。かつての旧友・カーウェイが必死の形相で、アレンの左足にしがみついていた。

 「いかないでくれ!」

 がばり、と起き上がった。夢だった。いつもの、自分の部屋が広がっていた。汗をびっしょりとかいている。昨夜から開けたままの窓から入る風でカーテンが呼吸している動きを見つめる。枕際に置いてあった水を一口飲むが、喉の渇きがおさまらなかった。

 あのケロイドの男に会ってから、毎日のようにその悪夢にうなされていた。かつて兵士として、戦場で生死の境をともにした親友・カーウェイは、アレンとともに敵であった台米連合軍の奇襲に遭遇し、地雷を投げ込まれた。カーウェイは死に、アレンは重傷を負った上に、左足を失った。

 あの男・ジョシュア・タンと同じレーンで走り通過した、その後の予選は敗退。その後の3位決定戦も、敗退。何かが少しずつ、狂い始めているような気がしていた。身体とマシンが一体に融け込む感覚。自分の左足のつま先が、ありありと浮かび上がる感覚。あれが、なぜか、思い出せないのはなぜか。


 昼2時に練習場でケヴィンと落ち合う約束だったことを思い出し、支度を急いだ。ケヴィンはいつも何も言わないが、この不調を静観されていることは、なんとなく理解はしていた。

 戦闘中に左足を失って終戦を迎え、意気消沈していたアレンを競技に誘い出したのは、もともと、ケヴィンだった。最初の頃こそ、偽善的な慈善ビジネスかと勘ぐっていたアレンも、ケヴィンの性格を理解するうちに納得がいった。ケヴィンは根っからの技術者だった。誘い出されたのも、単純に、彼の興味から。足がない可哀想な人を助けたいというよりは、人間が走る足をつくリだしたいというエンジニア・マインド1つだった。

 アレンは瞬く間に上達したが、それは、ケヴィンによる義足の制作と調整、そして心理面でのサポートが大きかった。ケヴィンはアレンの身体…骨格から筋肉、皮膚の滑り、切断面の形状まで、すべてを熟知している。切断面の複雑な形状を指でたどれば、彼の体調を察知できるほどだった。屈強な元顕彰軍人のイメージとはうらはらに、トラウマに囚われていること、戦場での体験にPTSDを抱えていることも、もちろん彼は知っている。

 所属選手が不調のさい、ケヴィンから何か語りかけることは決してない。とはいえ、アビー・ロンドは、試合に勝利して懸賞金を勝ち取らなければならない。アクチュエーターは以前に比べて汎用化し格段に安価になったものの、最新の技術の導入には資金がものをいう。スポンサーが納得する結果を出して常に複数の資金源を確保しておくことが、チームの存続には必須だった。ケヴィンから提案されるのは、いつも、ケヴィンの担当する領域、つまり義足の性能の向上だった。

 「君の義足をアップデートしようと思ってる」

 ケヴィンはそう切り出した。アレンの下腿義足「UNLEASH Ver.1.2.1」は、もともとケヴィンのプロトタイプから、3年前、アレンのために開発されたプロトタイプだ。デザインは、甲虫の外骨格をイメージしてつくられていた。

 かつてはカーボンでつくられていた義足も、今では、足首部分にモーターがついたロボットとなっている。ひずみゲージと膝の角度センサーによって歩行の状況を逐次計測し、マイクロプロセッサが屈曲と伸展に必要な油圧抵抗を調節するためのバルブ開閉などを行い、残された筋肉の負担を軽くしつつ、膝折れ転倒を防止する。ロボティクスの応用分野として、バイオメカトロニクスという分野が前世紀に勃興。先の大戦の負傷者で大量の義肢ユーザーが発生したことにより、バイオメカトロニクスはスポーツ科学と工学が融合して目覚ましい飛躍を遂げた。

 その飛躍の大きなきっかけとなったのが、大戦後、世界的な義肢メーカーであるドイツのファン・デンブルク社のCTOメンデル・ファルコンが行ったオープン・ソースの試みだった。彼は先の対戦に兵器開発として加担した反省から、すべての義肢モジュールのCADデータをオープン・ソース化し、世界中のだれもが3Dプリンタから出力できるようにした。大腿義足(膝から上が失われた人)用の膝接手、または下腿義足(膝から下が失われた人)の足首接手用ののロボットモーターのプログラムを膝と足首部にインストールし、身長・体重などの変数を実装すると、大した調整もなく、途上国で片足を失った子供でも義足の操作が比較的容易にできるようになった。もちろん、そのうえで義肢装具士の普及は必須だが、傷ついた人々はより競技スポーツに希望を見ていた。

 ダンピオンは、その希望そのものだった。もちろん、競技用義足は日常義足とは違う強度が必要で、そのためのコストはスポンサーが支払う。戦争や戦火で足を失った無名の人々が多額の懸賞金をかけて争うのに人は希望を見ていた。もちろん、失った部分はそれぞれだから、それぞれに前世紀のパラリンピックに準じて、クラスが設定されている。

 現時点でのアレンの義足は、ファルコン社のモジュールをアレン向けに調整したものだったが、無骨で、ボルトは出っ放しだった。ダンピオンのテクニカルルールでは、義足の材質や重さに規定はあるものの、デザインにはとくに指定があるわけではない。アレンはスタートに問題を抱えていた。足首部のプログラムを書き換えるか、何かしないといけない。

 あの男のスタートは異様だった。しなやかに跳ねあがる身体。そして、あの義足の洗練されたデザイン・・・まさに機械と身体が一体化していた。空気抵抗を軽減させるために、あえて翼上につくられた形状が唯一無二に感じられた。豹か、ライオンか、猫か・・・生物らしい動きをあの義足は実現させていた。

 「この前の予選の走りを解析した。スタートに問題がありそうだ。次の3次予選までに、プログラムを書き換える。そして、空気抵抗をもう少し減らすために、デザインを変更する」

 先日の予選のビデオを端末で眺めながら、ケヴィンがつぶやいた。ケヴィンはいつもアレンに明確なゴールを提示する。義足開発に熱狂的なまでに取り組む彼には、アレンが今とらわれているあのケロイドの男の存在も気にならないようだ。

 「頼むよ。俺の身体の一部はお前にかかってる」アレンは皮肉っぽく片方の唇を上にあげてケヴィンを盗み見た。ケヴィンは無表情に、ヒンジをいじっている。

 「このアップデートに見合うよう、体もアップデートが必要だな。トレーニングメニューの再考案を来週明けに出すよ」

 しばらくはギミックをいじる音が調整ルームに響き、いつもの無言の時間が流れた。ケヴィンはアレンより少し年上だが、豊かな若白髪に冷たいメタルフレームのメガネから除く細い三白眼は、一層近づきがたい初老の男にも見える。

 「なぜ気になるんだ?その男」沈黙を破って、ケヴィンがふいにアレンに尋ねた。

 「わからん。だが、面影が昔の知り合いに似ているとは思った。戦地で戦って死んだ奴だった」

 「そうか」

 それ以上聞かないとばかりに、ケヴィンは工具を取り替えると、タバコの箱をつかんで出て行った。

 





 

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