第41話 ビーストオーダー
目の前の犬は犬であって犬ではない。三つの頭に付いた六つの目線が、守野に注がれている。ペットホテルに勤めている仕事柄、動物には慣れ親しんでいた彼だが、流石にこの生物を前にして
緊張のあまり喉は干上がり、ツバを飲み込む事すらも出来ない。一歩また一歩と近付くケルベロスから目をそらせずにいた。
俺の緊張が伝わってしまったのか、波多野が目を覚まし目の前にいる生き物に気が付き『ひっ!』と小さな悲鳴をあげる。
俺は恐怖に震える心を必死に鼓舞して彼女を自分の後ろにかばう。
「守野 ……。」
俺の二の腕を掴んできた波多野の手が震えている。守りたいものがある、そう強く実感できた事で勇気が湧いてくるのが分かった。
羽織っていた上着を右腕にぐるぐると巻き付けるとケルベロスを見据えたまま低く唸るように叫んだ。
「さあ、かかって来いやワン公!!」
ケルベロスは一瞬目を細めたように見えた。しっぽの付け根あたりから生えた五本の蛇のような触手がゆっくりと左右に揺れている。
最初の一歩で地を蹴ったケルベロスは一気に守野との距離を詰める! 守野はケルベロスの突き出した中央の頭にむけて上着を巻いた右腕を斜に構え防御態勢を取った。
大きく口を開けた三つの頭が守野に迫る!
中央の頭に右腕を噛ませ、力まかせに上体を浮かせて胸や腹に拳を叩き込む作戦だ。
だが、ケルベロスは突き出した腕を無視して一気に懐に入り込む!
まずい!! 首を噛まれれば一瞬でお陀仏だ。上半身を大きく反らし抵抗するが、後ろには下がれない。波多野がいるからだ。せめて彼女の逃げる時間を稼がなければ……。
『べろん!』
「へっ??」
「ええっ!?」
俺と波多野の疑問符と驚愕の声があがる。
ケルベロスは俺に飛び付くと、三つの頭で俺の顔をペロペロとなめ始めた。
「ちょ、ちょっと待て。待っててば! 『べろん!』はやめろって!」
『フォーン!』
「「えっ?」」
俺と波多野は顔を見合せて叫んだ。
「「ポチ助??」」
『ワン!』
ケルベロスはシッポと思われる触手を大きく揺らしてお座りの態勢で一声吠えた。中央の頭の首を優しくさすってやると嬉しそうに目を細める。他の頭もボクも撫でてと言わんばかりに頭をすり寄せてくる。ふれあい広場で犬たちに囲まれていた時と同じ気分だ。
波多野は恐るおそる覗き込むと、ケルベロスの嬉しそうにすり寄る姿を見てため息をついて呟いた。
「入社したての頃から思ってたけど、あんたってば普段は考え無しのただのバカなのに、動物からの好かれ方が尋常じゃないのよね。そういう所が可愛いっていうか、好き……モゴモゴ。」
「えっ?……波多野なんか言った? ごめん、良く聞こえなかった。こら、ポチ助! べろんはやめろって。」
「心配して損した。バカって言ったのよ!」
波多野は不機嫌な様子で俺の脇腹に鋭い一撃を放ってきた。ぐはっ、マジ痛てぇって。
それにしても、ポチ助は何でこんな姿になっちまったんだ。ここに隠れるまでにいくつもの檻を見たけど、入れられている動物達はどことなくおかしい気がした。
先程の警備員にしてもとてもまともとは思えない。こんなやべえ所早く逃げ出さねえと。
そんな事を考えていた時だ、ポチ助が自分がやって来たコンテナ先の通路に向かって低く唸り、警戒態勢を取り始めた。
「こんな所に逃げ込んでやがったか、小僧ども! ワン公も案内ご苦労さん。小僧どもが逃げねぇ様に一噛みしといても良かったんだぜ、ブヒヒッヒー!」
下卑た笑いで現れたのは先程頭突きをかましてやった警備員だ。そしてその後ろには同じようにニヤニヤと笑う5人の警備員たちがいる。
『ヴーッ!』
ポチ助は守野を主人と仰ぎ、警備員たちを敵と認識したようだ。伏せをするように全身を低く保ち、後ろ足を踏ん張り少し尻を上げた体勢で触手を前後に揺らしながら戦闘体勢をとる。
ゆっくりと近付いてきた警備員二人にシュッと触手を伸ばすと両足を絡めとり、左右の壁に叩き付けた!
「何しやがるこのクソ犬! これだから素体がゴミだと使い物にもならねぇ!!」
「「ポチ助っ!」」
「飼い主の手を噛むようなクズ犬にはお仕置きとしつけが必要なんだよ。ブヒヒ。」
「ふざけるな、犬は悪くねぇ! 飼い犬に手を噛まれるような主人がクズなんだ!!」
守野はケラケラと笑う猪之木田を
部下の警備員二人が警棒を振り上げ、守野に襲いかかる。右から来る警備員の右手を警棒で打ち付け、
すぐに地を蹴って猪之木田に向かって走り出すが、もう一人の警備員が立ち塞がる。三人目の警備員の動きが目に入っていなかった俺は正面から敵の振り下ろした警棒を受ける形になってしまった。
やべぇ! 避けらんねぇ。
守野の頭部に迫る警棒! だが、警棒は守野の頭部を叩き割るどころかその動きを完全に止めていた。三人目の横をすり抜け猪之木田へと迫る。
「ちょこまかとウザイぞ、小僧!」
猪之木田が振り下ろした警棒を、左手に持ち替えた警棒で振り抜いて払うと腹部に全力のパンチを叩き込む。
バランスを崩して後ろへひっくり返った猪之木田は後頭部をしたたか打ち付けてうずくまっていた。
守野はその場をすぐに離れるとポチ助の元に走り寄った。三人目の攻撃を防いでくれたのはポチ助の触手だ。腕を絡め取り後方へと投げ飛ばしたのだ。
「ナイス、ポチ助!」
『フォーン………。』
力なく鳴くポチ助がビクンと跳ねるように痙攣する。ポチ助の体にバリッと稲妻が走った!
ハッと猪之木田を見るとリモコンを手にこちらを睨み付けていた。
俺は再び、猪之木田に向かって走り出していた。渾身の力を込めた警棒の一振りは猪之木田の左手にあっさりと受け止められビクともしない。
「遊びは終わりだ小僧。
猪之木田の口が耳まで裂けると下アゴから大きく二本の牙が伸びていく。目が血の様に真っ赤に染まっていき、額には小さな二つの角が生え、鼻が平たく潰れたように伸びていくと全身が茶色の剛毛に覆われていく。それはまるで人型の
「「「
他の警備員たちも同様の化け物へと変貌していく。猪人間……いや、ファンタジー小説でいう所の【オーク】であろうか。
掴まれた警棒はびくともしない。抵抗はむなしく、あまりにも現実離れした化け物共に囲まれて守野は冷静さを失い、恐怖にうち震えていた。
「なんだよお前ら。なんなんだよ!!」
「我々は
守野と波多野の絶望した空気が充満したこの通路に、猪之木田の下卑た笑い声だけがこだましていた。
ーつづくー
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