第5話 隠れん坊お化け

 中華街で不思議な親子の姿を見掛けると噂が広がっているとタクシドライバーから電話があった。

 中華街と言えば、中国風の店が軒を連ね長崎市内でも賑やかな繁華街である。

 二人をよく見かけるのは二月のランタンフェスティバルの頃のことらしい。その祭りの時期には、その通りは人混みで前に進むのも骨が折れるほどである。

 ところがタクシードライバーの話は次のようである。

 暖かい光を放つランタンで彩られ、人混みで歩くのもままならぬほど賑わう通りを大男が小さな子供を見失わないように手を堅く握りしめすり抜けて行くというのである。

 まるでクラゲのような半透明な存在らしい。

 男の子の影はは人混みの中を楽しそうにステップを踏みながら人々をすり抜けていくと言う。すれ違いざま、若い女性の顔を一人一人のぞいて通りすぎて行くと言うのである。

「今年こそ、きっと会える。会える」と楽しげに口ずさむというのである。

「人を捜しているのですね」

「賑やかな場所に現れるのも、そのせいであろう」とタクシードライバーも同意した。

 同じ時期に近くの館内の町でも、二人の姿を見掛けるという噂話を彼から聞くことになった。

「恐らく同じ者たちであろうが、住民の誰も二人の存在を恐れている様子はない。日常的な態度で彼らに接している。むしろ二人を歓迎する様子さえある。二人に会ったことで幸せになったと語る人達もいるらしい。仲の良い二人の姿が人々に元気を与えてくれているせいやも知れない」と語った。

 都合の悪いことに、ランタンフェスティバルが開催されるこの時期はタクシドライバーにとっても稼ぎ時である。彼は私にその親子連れの幽霊の正体を探ってくれと頼んできたのである。

 実は、島原市の鉄砲町でウブメの姿を見たと彼に告白すると、彼は君も霊感らしきものが目覚めたきたようであると認めてくれた。

 私もこの頃には彼の話を聞くだけでは満足できず、自分の力を試したいとひそかに機会を待っていたのである。

 彼らと落ち着いて交信するために人混みの多い中華街を避けた。

 秦公園から伸びる急な細い坂道の両脇に民家が建ち並ぶ館内の街で二人を待つことにしたのである。

 中華街から館内の付近は鎖国時代に出島を通じて貿易に従事する中国人たちの居留地があった所であるが、今でも街の随所に、その頃の名残が残っている。

 その日は、夕暮れ時から冬の雨が寂しい雨音を立てながら降り始めたが、暗くなる頃には止み、濡れたアスファルト道路が黒く闇に沈んでいた。

 家の軒先から落ちる雨だれの音が暗闇に響いていた。

 二人に会えるに違いないと確信を得ていた。中島川に架かる眼鏡橋のたもとで幽霊が現れるのを待った時のように心を静めながら待っていた。

 坂の下の家の扉が一軒一軒開き、心細い光が漏れた。

 しだいに、その光は坂を登って来るのである。

 心を一層静めると、暗闇の中に大男と小さな男の子が手をつなぎ、一軒、一軒、扉を叩き、家の中をのぞき込み、声をかけながら近付いて来るのが見えるのである。

 すぐ目の前の家の扉がかすかに開き、ほのかに扉の隙間から光がこぼれた。その光はアスファルトの道に人影を造った。大きな男と小さな子供の人影である。光の中の人影はボンヤリと霞みのようである。

 それはチョコリと言う白い韓国風の服を身につける小さな男の子と、上半身裸体で何も身につけていない労務者風の汚れた格好の大男の二人連れだった。男の子は小綺麗な格好をしているのに比べて、連れの大人の格好はみすぼらしい。

 連れの男は父親にちがいない。彼は身を削り、子供に良い服を買い与えたに違いない。

「お母さんは隠れてませんか。隠れていたら出て来てください。もう隠れん坊遊びはお仕舞いだよ」

 家の者が、「坊や。ここにはお母さんは隠れていませんよ。来年もおいで。もし見付けたら、坊やたちが来年も来ると言って、お母さんを止めておきますよ」と応えた。

 そのように応えれば、その家は次の年まで変わらず安泰であると言い伝えられていた。反対にこの二人連れを恐れて扉を開けなかったり、粗末な扱いをしたら、その家は次の年には没落して姿を消していると伝えられているのである。

 優しい言葉を掛けられると幼い男の子は後ろに立つ父親を振り返り、「いつか絶対に会える。きっと会える」とはしゃぎながら言うのである、

 父親は黙っていた。

「お母さん、隠れていたら出ておいで。鬼ごっこは終わりにしよう。本物の鬼もいないよ。だから出ておいで」

 噂の親子だと直感した。

「もし」と声を掛けると、二人は驚いて立ち止まった。

 二人は声はしても、普通の人には見えない存在であった。

 父親の顔が不安と恐怖で険しく歪んだ。

「おじいさん。僕たちの姿が見えるの」

 私はうなずいて答えた。

 傍に立つ男は猜疑心の含む険しい目で私を見詰めているが、子供には疑う気持すらないようである。

「お母さんが隠れている場所を知らない」

「残念だが、知らない。だが手伝えることがあるかも知れない」

「怖がることはない」

 と私は父親に言った。

「会いたいのか」

「もちろん、逢いたいさ」

 小さな男の子は無邪気に答えた。

「どれぐらいの間、捜し続けている」

「妻は六十年も前に姿を消した。この界隈で見かけたと言う噂を聞き、探し始めて五十年は過ぎたはずだ」と父親が答えた。

「母さんが、僕と隠れん坊遊びをしている最中に姿を消したの」

 男の子が当時の状況を説明した。

 二人が生きていた世界は、先の戦争の時代に違いない。さらわれたのであろうと想像した。

「この付近の人なら恐ろしい本物の鬼からも、僕の母さんを守ってくれる」と男の子は無邪気に言った。

 人さらいにさらわれた多くの女たちが女に餓えた戦場の兵士たちの慰み物となり、悲運な運命をたどったなどと、たとえ真実でも言葉に出せるはずはない。これは後世になり白日に晒された事実である。二人は、それを知らないはずだ。

 肉体を失い魂だけとなって、さまよう者たち年を取らない。

 生きていれば父親はすでに九十を過ぎているやも知れない。子供も六十を過ぎているのでは咄嗟に計算した。この世に生きていれば、母親も八十歳は超えているはずである。はたして六十年前にさらわれた女が無事でいるとは思えない。

 二人の話から母親はあの原爆投下に巻き込まれて犠牲になっている可能性が大きいと推測せざる得ない。

 妻は六十年も前に姿を消し、二人が探し始めて五十年は過ぎたと言う父親の話から推測すると、二人は同一民族が南北に別れて血で血を洗う戦いを繰り広げて二百万人の犠牲者を出した昭和二十六、七年頃の朝鮮戦争に巻き込まれて命を落とした可能性が高いが、男の子と父親は、子供が母を恋い慕う気持ちの強い姿のままでさまようことになったのであろう。

 

 私の推測が正しいかどうか知るためには二人を爆心地にまで運ぶ必要がある。普通のタクシーでは心許ない。やはり彼のタクシーを呼ぶことにした。

「爆心地で先の原爆投下で犠牲になった者達の魂が球形に固まり苦しんでいるのを見ることがある」とタクシドライバーが言っていたのを思い出していた。

「犠牲になった人たちが熱で溶け合って出来た巨大な肉団子であり、犠牲になり、いまだ成仏できない者達は固まりの一部となって苦しんでいる」とも彼は言うのである。


 私は二人をタクシーに乗せた。

 国道を通り、爆心地に向かった。

 爆心地が見える所まで近付くと後部座席に座る二人が悲鳴を上げた。

「二人にも見えるようだな」とタクシードライバーが説明した。

「私には見えない」と落胆した。

「耐えることが出来ない光景だから見えないのだ。これも神仏の加護というもの。君の魂が残酷な光景に耐えることが出来るようになったら見えるようになるはずだ。今は無理をせぬことだ」とタクシドライバーが説明した。

 そう言う彼の顔も苦痛で歪んでいた。目を背けたくなる光景を無理に見ている雰囲気であった。

 彼はタクシーを止めた。

 後部座席の男の子と父親が車から飛び出した。

 二人の表情には先までの恐怖心は見られなかった。

 私には何も見えない空間を必死に探している。

 二人は球形の肉の団子に埋もれる一人一人の顔を確認しているとタクシドライバーは説明した。

 一時間ほど二人は空中を飛び回り捜し続けたが、やがて鋭い子供の叫び声がした。

「見付けた。こんな所に隠れていたの。母さん。もう隠れん坊遊びは止めよう。もう二度と隠れん坊遊びはしないよ」

 男の子の叫び声は泣き声に変った。

 男の子が宙に手を差し伸べた。

 父親も慌てて駆け寄った。

 タクシードライバーの顔が安堵で緩んだ。

 その頃には強い異臭が鼻をつき始めていた。肉体が腐敗する時の臭いである。何か異変が起きていることは察知できたが、具体的に何が起きているのか私には見えなかった。

 ところが小さな男の子の手に引き寄せられて細い糸のような白い手が、次第に暗闇の宙に姿を現わしたのである。

 すべてではないが、タクシードライバーや親子連れの目の前で起きていることが私にもかすかに見えるようになったのである。

 男の子が引き寄せる白い手の根本に球形の肉団子がかすかに透けて見えた。直径は五十メートルもあろうか。目を覆いたくなる光景である。肉団子の表面の凹凸は苦痛で歪む人間の顔である。犠牲者は悲惨な恨みとともに球形の結界の中に閉じこめられているのである。

 その中に血まみれになった惨い形相の女の顔が埋もれていた。男の子を彼女の手を取ったのである。男の子の手で引き寄せられように、彼女球形の結界から抜け出し、次第に空中に姿を現わした。彼女の顔は柔らかな母親の素顔に戻っていった。彼女が抜け出し、球形の恐ろしい肉団子が少ししぼんだように見えた。

 三人は手を取り合い天女のように夜空に吸い込まれ見えなくなった。去り際に男の子だけが振り返り手を振り、私たちに別れを告げた。

 空を覆っていた雲も去り、月のない闇夜に星が輝いていた。

 あっけない幕切れに、タクシードライバーと私は星空を見上げながら一緒に大きなため息を付いた。

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