今村夏子『星の子』を読む。

 小川洋子が的確かつ幻想的な比喩表現と緻密な物語構造によって読者の頭の中に濃密な物語世界を構築させる作家だとしたら、今村夏子は巧みに情報を削ることで読者に空白を埋めさせる作家であると思う。

 今村夏子はすべてを描かない。『星の子』においてはタイトルの元となる「ほしの子」という言葉は登場するものの、それが何を指す言葉なのか、ということは明確に描写されない。しかし、登場人物の会話だったり、主人公が置かれている状況を鑑みると、それがなんなのか、ということが微かに香ってくるのである。この今村夏子が醸す、「微かな香り」がたまらなく好きだ。

 

 語りは主人公による一人称視点であり、どうやら描写を読む限り現在から過去を回想しながら物語っている。しかし、主人公の「語っている現在」がどのようなものかは詳しく描かれていない。何歳なのか、結婚しているのか、子どもはいるのか、現在も宗教団体と関与しているのか、それら具体的な描写はない。

 そのことが、読み進めていくうちに「過去はこのようなある種歪んだ人間関係の中で生きていただろうけど、彼女はそこから脱して、今は幸せな生活(当時の彼女も幸せだったのかもしれないが)を送ることはできているのだろうか」と思わせる。

 そう考えると梶井基次郎の『檸檬』の構造と似ているかもしれない。『檸檬』も過去を回想しながら物語が進められている。そして、主人公が丸善に檸檬爆弾を置いたところで作品は終わる。読者は「檸檬爆弾を置いたことを回想している語り手の現在」は幸せなのだろうか、と思いを巡らせる。語り手が過去を描けば描くほど、読者は語り手が語っている現在に意識が向く。なぜ、彼女は、彼はこの物語を語らなくてはならなかったのか。語る必要があったのか、と夢想する。梶井も今村夏子と一緒で、「現在」の情報の出し方がうまい。「微かに香ってくる」のだ。


『こちらあみ子』における今村夏子の成果は「語りの暴力性」を明らかにしたことだと私は思っている(これを論じるのは面倒だからまたどこかで)。

『星の子』においては、語り手の情報統制の巧みさが際立っていた。ただ、終わりの部分は少し弱かったかもしれない。あの終わり方で終わるのであれば、もう少し家族の描写は色濃くした方がよかったと思う。

 しかし、物語が一級品であることは間違いない。

 今後も、今村夏子がどんな物語を書くかが非常に楽しみだ。このような作家と時代を共にすることができるのは幸せなことだと、私は思う。

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