中澤渉『日本の公教育 学力・コスト・民主主義』を読む。

 新書を読んで「こんな内容だとは思わなかった…」って思ったのは初めてかもしれない。もちろんいい意味で。

 前にとりあげた鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育』のように、あらゆるケーススタディを用いながら、日本の公教育について論ずる本かと思っていた。いや、論旨は同じなんだけど、方法論が全然違う。

 中澤は国家による公教育の歴史と平行して「家族」という装置が持つ意義の歴史的変遷を見ながら現在の公教育に関して論理を展開する。


 身近な社会に限定すれば、子育てや高齢者介護なども徐々に社会化され、これらをすべて家族で担う必要性は減っている。老後の面倒を見てもらうために、子どもを育てるような時代ではない。それゆえ個別のカップルにとって出産は、自由な選択の意味合いが強まり、子育てにかかる費用も、投資というよりは消費と見なされる。当然、結婚や出産に対して、他者が口を差し挟むことは余計なお世話となる。

 しかし自由度が高まった個人を支えるのは、社会全体の制度である。その仕組みは、子どもや若者が一定程度存在することで成立している。つまり、少子化が進行しすぎると、個人の選択の自由を支える仕組み自体が危機に瀕するのだ。(50p)


 このように、現代の家族制度と社会制度は根本的に矛盾を孕んでいると述べる。子どもが将来の投資の対象でなければ、国家が公費を割いてしまうと不公平と思う人が生じる(そもそも海外諸国に比べて日本は教育費における私費の割合が非常に高い)。しかし、公費を割かなければ重すぎる教育費の負担を忌避してさらに少子化が進む。じゃあどこに公費を割くべきなのか、その根拠はどこにあるのか、教育には公費を投入するほどの価値があるのか、という説明が求められる。

 保育園などの就学前教育を完全無償化するとしても、現在では所得によって保育料も違い、無償化することによって一番得をするのは高所得の家庭である。だから、むやみに保育料を無償化するとかえって格差が広がる。

では、高校以上の高等教育機関を無償化すべきなのか。今は給付型の奨学金もやっと整備されようとしているが、果たしてそれも妥当なのか。高校以上の学校にはすべての人が進学するわけではない。そのような人々から徴収した税を無償化の財源にしても不公平は生じないのか。さらに高等教育機関をどこまで無償化にするのか。大学だけを無償化すれば専門学校も経営の危機に陥り、無償化を求めてくるのは必然だ。しかし、財源は有限であり、すべてを無償化にすることはできない。

 無償化を実現するには、教育にどれだけの効果があるのかを証明しなければならない。3章以降は緻密な統計によって教育の効果を証明しようという営みの紹介に終始する。この部分に非常に感銘を受けた。


 大学1年のときに読んだ広田照幸の本に「教育は誰でも語ることができてしまう」と書いてあって、なるほど、と思った記憶がある。確かに、学校教育はほとんどすべての国民が通過している儀礼であり、自分の経験に照らし合わせて「今の教育は〜」などと批判することは可能である。しかし、そのほとんどが学術的なエビデンスも、統計的なエビデンスもない、一個人の経験というバイアスによって構築される独断と偏見に満ちた教育論にすぎない。

 統計といってもPISAのようなテストの点数で集団の資質を問うのにも限界がある。(世論はこうした「見やすい数字」には敏感であり。短期的な点数の結果に惑わせられていると私には感じる)

 中澤は、教育に関する統計の歴史をまとめながら、親の仕事・学歴と子どもの進学先の相関、各高等教育機関を卒業した人間からどれだけ税を徴収できているのか(国が投資した公費に対してどれだけリターンを得ることができたか)などの多様な統計を紹介する。統計の対象は人間であって、相関をみようにも変数が多すぎる。しかし、教育行政を進めるにはなんらかのデータを基準に指針を決めなくてはならない。完璧な統計などこの世にはないが、短期的なテストの点数だけではなく、経済的観点や社会学的観点からの詳しい統計が必要である、ということを知ることができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る