鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』を読む。

 一応教員を生業としているものの、僕はまったく教員という職業には向いていない。

 大学入学時に受けた職業適性検査も一番向いていない職業は教員だったし、この前生徒が受けた職業適性検査を僕も受けてみたらやっぱり教員は「向いていない」という結果が出た。自他共に認める向いてなさだ。なんでこの仕事してるんだろ。

 基本的に自分のことを一番に考えている。自分が楽しむためにはどうすればいいか、周りの人間をどう動かしたら自分が楽しめるか、これらの発想によって行動している。

 生徒の進路とかも、正直あんまり興味はない。行きたいところに行けばいいし、やりたいことがあるのならば別に学校なんて来なくてもいいと思ってる。生徒をどうにか良い方向へ導く、という発想もあまりない。というか、基本的に生徒は僕よりもしっかりとしているため(周りのことを考えられる、自分の将来を見通している)、僕が何かを与えるという事自体おこがましい。

 ただ、小説と思想についてうだうだ考えるのは大好きな僕にとってはこんなに良い仕事はない。大学のように論文を執筆して結果を出す必要もないし、生徒の発想と僕の発想を戦わせて新しい発想を手に入れることもできる。自分が勉強するための場としては非常に適している環境だ。だから、基本的に文学と評論のことしか考えたくはない。その他のことに少ない脳のメモリを使いたくない。

 そんな底辺教員の僕ですらも、こんな本を読んで知恵をつけなければならないほど日本の教育行政は堕ちてきていると思う。


 本書が非難するアメリカ合衆国発の新自由主義的教育行政は本当にひどい。マイケル・ムーアも「世界侵略のススメ」の中でも度々非難しているし、僕の同僚の先生でも「もうアメリカの公教育なんてとっくに崩壊してるだろ」と言っていた。

 要は「最適化」だ。統一テストの実施により各学校を点数で測り、ソートをかけ、点数の優れた学校を優遇し、底辺の学校を廃校にし、そこに民間企業による私立学校を配置して生徒をコーポラティズムによる教育(?)の中にぶちこむ。そんな流れが日本にも流入しつつある。

 日本の公教育はアメリカの公教育ほど崩れてはいないだろう。僕は私立教員だから公立の実態はよくわからんけど、民間資本が流入したりはまだしていない。

 ただ、日本の公教育にも合理化の波が押し寄せてきている。政府は少子化を理由に統廃合を推進し、今後教員数も減らしていく意向を示している。非正規の教員は年々数を増している。平成17年には8.4万人(全教員の12.3%)だったのが、平成24年には11.3万人(全教員の16.1%)まで増えている。また、公立小中学校の教員の平均年齢は44.2歳。中学校の教員数を見れば、例えば55歳の教員が7,669人在籍しているのに対し、23歳の教員数が1,559人と、いわゆる「団塊の世代」にバランスが偏っている。(出典:文科省「少人数学級の推進など計画的な教職員定数の改善について」)

 文科省の意向というよりは経費削減をしたい財務相の意向という気もするが、どっちにしても教員が減少していくことは間違いない。少子化だからこそ、少人数教育を徹底できるチャンスであり、むしろ積極的に教員数は増やしていくのが望ましいと考えるのが普通だと思うのだけど・・・流れは逆行している。

 

 ただ、教育を新自由主義的に認識しているのはなにも政府だけではない。日本の多くの国民はOECDが用意する基準(PISAの点数、世界大学ランキングなど)を「グローバル・スタンダード」と認識し、その点数よりも下回れば「日本の教育は劣っている」という世論が形成される。その結果、いわゆる「ゆとり教育」は挫折に終わった。OECDのスタンダードの是非を問うこともせずに、提示された基準を鵜呑みにし、その基準を内在化し、そして数字に従順になっていく。これらは政府が仕向けたわけではない。国民の中でゆっくりと醸成されていった感情だ。人間の価値を年収と学歴で判断し、そして高い年収を手に入れるためには大学に行かなければならない、というわけのわからない規範を盲信している。それに伴って、高校の価値は大学の入学者数で決まり、3年間にどんな教育が行われているかということはないがしろにされていく。

 日本の教育をもう一度考えるなら、行政のあり方だけを考えても根本は解決しない。国民の世論の仕組みをもう一度考え直し、教育のあり方はどうあるべきか、大学の価値とはなんなのか、学問とは、教養とは何か。それら基本的な概念を作り直していかなければならないときに来ている。

 そして、それを一番考えるべきなのは当の生徒に他ならない。教員が「教育がどうあるべきか」を考えるよりも生徒自身が「教育とはどうあるべきか」と考えて学級運営に活かしていく。教室は教員が作るのではない。教室は生徒が作るんだ。そのような自治精神をもっと養っていかなければならない。

 学校のあり方も問われる。学校は「与えられる場」ではない。学校は「創出する場」でなければならないと、僕は思う。


 なんてことはもう考えたくないので、僕が勉強したいことだけをやるのさ・・・やりたいのさ・・・もう教育のことを考えるなんてまっぴらごめんだよ・・・。


 おやすみなさい・・・。

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