第4話 書き換わった召喚状

「メルレー、まだいるんだろう?ででおいでよ!」


 セオドアの歌うような甘い声がトランテスタに響き渡る。叫んでいる内容はいたって普通なのだが恋歌を囁く吟遊詩人ですら思わず照れてしまうような、そんな美声でメルレの名を呼んでいるのだ。エントランスホールに続々と現れた学生たちがメルレとは誰だと騒ぎ始めている。


(どうして、こんなことに…)


メルレの名を笑った男を振り切りエントランスホールが見える古時計の裏まで来たのはいいが、ここからどうすればいいというのか。おとなしく彼らの前に姿を現すか、いや、そんなことできるものか。せめてもう少し静かに…とりあえずセオドアはどこかへ行ってくれないだろうか。


「僕を試しているのかい?なら歌を歌おう、君が思わず僕に飛びつきたくなってしまうようなね」


勘弁して!

メルレは羞恥をかなぐり捨てエントランスホールに飛び出した。


「ほらね、やっぱりいた。会いたかったよ、メルレ」


 セオドアは柔らかな茶髪をゆらし、甘い声でそう嘯く。周りの学生は何もわかっていないはずなのにひゅーと口笛をふいた。一体何が彼をこうさせるのか。メルレとセオドアは初対面のはずであるし、お互い対して言葉を交わしてもいないはずなのだ。なのに、なぜ彼はこうも親しみを込めてメルレを呼ぶのだ。


「セオドア・エンシェント、恥を知りなさい!」


 セオドアの甘やかな雰囲気につつまれていたエントランスホールに凛とした声が響き渡る。と同時にいつの間にか集まっていた女学生の熱いため息がこぼれ出た。その集団から進み出たのは中でも綺麗な女性だった。妖艶としなやかさを醸しだしながらもその中には強くまっすぐな線が一本伸びているのだろうと思わせる凛々しさで、彼女はメルレの前に現れた。


「エヴァ、君はなにもわかっちゃいないんだよ。僕が作り出したこの愛の舞台ロマンスを台無しにする気かい?」

「ロマンスですって?彼女はそんなこと一つも望んでいないわよ」


腕組みをして見下したように言ったエヴァを冷たく見つめセオドアも負けじといいかえした。


「メルレに許可はとったのかい?本当に無遠慮で無作法な女だ」

「あら、なにか文句がおあり?能力ちからは一つも使ってないのだけれど」


にっこりと笑うエヴァにセオドアはふんっと息巻いてどうだか、と言い捨てた。


「お疑いならコンラッドを呼びましょうか。真偽を確かめましょう」

「彼は補講にでているだろう」

「二人ともやめるんだ!」


にらみ合いを始めた二人の間に割って入ったのはここの職員であるジョゼフであった。強い口調を受け両者とも一度は口を閉じたがすぐに罵り合いを再開した。


能力ちからなんて使わなくても彼女が嫌がってることくらいわかるのよ。風紀を乱さないで頂戴」

「メルレはお客様だ。風紀委員の君が出る幕ではない」

「なら尚更ね、所構わず誰彼口説いてまわるなんて迷惑よ」

「おや、もしかして嫉妬かい?安心しなよ、卒業までには君にも歌をひとつあげよう」

「不要よ!」


セオドアがニヤニヤしながらエヴァを煽っている。


「まったく…彼らときたら。ここの住人は議論が大好きなんですよ」


これは果たして議論といっていいものなのだろうか。ジョゼフは二人の仲裁を諦めたようにメルレに話しかけてきた。


「いえ、私がさっさと帰ってればよかったんです」

「ああ、それなのですがもう一度あの召喚状を見せてもらってもいいですか?」


ジョゼフが懐から一枚の紙を取り出しメルレにも召喚状を出せと催促する。スカートのポケットにはあの鍵と召喚状が入っている。言われるままに召喚状だけを取り出した。


「メルレ、僕は言ったよね。メルレはトランテスタに呼ばれたんだって」


召喚状を取り出す間にジョセフの言う議論はひと段落ついたらしく、セオドアがメルレのそばへやってきた。周囲の学生はツンと顎をあげて去っていくエヴァにつられるようにしてエントランスホールを後にしていた。


「君、召喚状の最後の文言は覚えている?」

「ええ。さっきも言ったけど、貴女が訪れてくれることを心から願っている―――大都大学事務室!?」


メルレは召喚状に書かれた文字をまじまじと見つめどういうことかとセオドアとジョゼフを見やる。


「…セオドア、どうやら君の言う通りのようだね」


ジョゼフもわずかに驚いた顔で彼が持っている紙をメルレに見せた。それは召喚状の控えだった。そこには確かに大都大学事務室からメルレ・アンダーソン宛に召喚状を送ったと記されていた。


「どういうこと…?だって召喚状は送ってないって、それに私がもらったのは事務室からの召喚状じゃないのに」

「落ち着いてくださいアンダーソンさん。私もセオドアも確かにあなたの召喚状の差出人がトランテスタだったことを見ています」

「それでジョゼフ。この紙に能力使用の痕跡はあるかい?」

「…ないよ、ただの紙だ」


わけがわからなくてメルレはえ、え、とつぶやき二人を交互に見た。


「私は最初、大都大学からメルレ・アンダーソン宛に送った召喚状の控えを探しました。けど見つからなかったんです。だからいたずらではないかと、そうあなたに言ったんです」


そうだ、確かにさっきジョゼフは大都大学からの召喚状を送った記録はないといわれた。それを受けてセオドアが大都大学からではなくてトランテスタから送られたものだと騒いだのだ。メルレは間違いないと頷いた。


「それでもセオドアが騒ぐので今度はトランテスタからあなた宛てに送られた召喚状の控えを探したんです。そこにも発送の記録はありませんでした」


どうやらジョゼフはあの後、調べなおしてくれたらしい。しかしそれでもないというならやはりいたずらではないのか。


「それで、ついでだからと念のため、もう一度大都大学からあなた宛てを探したんです。そしたら…あったんですよ、このとおり」


そういってジョセフが手元の控えの紙をパンっと指ではじく。


「私が見落としていたようです。申しわけありません」


ジョゼフがすっと頭を下げる。確かに彼の言う通りなのかもしれないが、なにかが引っかかる。


「ちょっと。勝手にまとめないでくれよ。おかしいとは思っているんだろう?見て見ぬふりをするなんてトランテスタの住人の片隅にもおけないね」


セオドアが不愉快そうに眼を細めジョゼフを揺さぶる。


「変わっているんだよ、文面が!しかも能力使用の痕跡はないときた。それにジョゼフ、君は大都大学最高の検索機器を使って探したはずだよ。見落とすなんてことはあり得ない」


否定の言葉を吐いているはずなのにセオドアの瞳はきらきらと輝きその表情も緩んでいる。こうなったセオドアをメルレは一度見たことがある。頬を上気させ楽し気にこういうのだ――


「トランテスタの魔物!」


――セオドアは拳を握りしめて突き上げた。


「やっぱりメルレはトランテスタに呼ばれたんだよ。そうじゃなきゃこんな不思議は起こらない。ああ、こうしちゃいられない。すぐに歌にしないと!」


早口にそう言ったセオドアは一目散に階段を駆け上がりあっという間に姿を消してしまった。一人で盛り上がり納得して姿を消したセオドアをメルレはただぽかんと口を開けてみていることしかできなかった。


(…やっぱり、トランテスタには変な人しかいないのだわ)


「気にしてはだめですよ、アンダーソンさん。彼らを理解できるのは大都大学でもこのおかしなトランテスタの住人だけなんですから」


そういって肩をすくめたジョゼフは大学事務室への行き方を教えてくれた。トランテスタからは少し離れたところにあるらしい。メルレは大きな旅行鞄を取り上げトランテスタを後にした。


外に出てツタの絡まった古びたトランテスタを見上げると、本校舎から戻ってきた学生達がつけた明かりが窓から溢れていた。耳をすませば不思議な曲調の音楽も聞こえてくる。その詩の一節にメルレという単語が聞こえたような気がしたが……きっと気のせいだろう。


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