第2話 トランテスタの魔物
そもそも、だ。そもそもこの鍵がなければメルレはここにいなかったかもしれない。トランテスタからの何通もの召喚状は確かに鬱陶しいものだったが、メルレの腰を上げさせる決定打ではなかった。しかしこの鍵が届いたことが変化をもたらした。
メルレにおかしな手紙が来ているということは当然家族は知っていた。大都大の卒業生である父も、最初はただのいたずらだろうと言っていたのにこの鍵をみて急に眼を輝かせたのはよく覚えている。
『メルレ、これは本物かもしれないぞ。なんてたってトランテスタだ。トランテスタの魔物がお前を呼んでいるのかもしれん』
そう、それこそさっきのセオドアのように興奮して語る父にメルレはうんざりしたものだった。
父の学生時代の話にトランテスタは出てこない。というのも父はただの学生であったからだ。とびぬけて優秀というわけでも、頭のねじが2,3本飛んでいるわけでもない彼は、トランテスタという奇人変人が集まるクラブ会館に招待されたことはないのだそうだ。
私ならそんなおかしな館に招待されたくはないとメルレは思ったが、大都大学に通う学生にとってトランテスタの住人となるのは1種のステータスなのだそうだ。そして父はそんなトランテスタの住人であった学友のエドモンドが羨ましかったとよく言っていた。
そんなわけで、メルレは異常に目を輝かせた父に説得されここまでやってきたのだ。
そろりそろりと昼間なのに薄暗いトランテスタの中を息をひそめて歩く。
トランテスタに興味もなかったメルレだが、ああも羨ましそうにトランテスタに行けるなんて、と言われてしまえばここまできて中を見ずに帰るというのはなんとも損な気がした。ただ、不法侵入だと咎められたり、噂の――すでに出会った気がするが――奇人変人と噂されるトランテスタの住人には出会いたくは なかったのでできるだけ静かに行動した。
(それにしても、まさに魔物の巣窟って感じね)
トランテスタの中は、はっきり言ってとても汚かった。汚れているというよりは乱雑といった有様だが、綺麗と言えないのは確かだった。
最上階に設置された銅鐘はさびてまだら模様であるし、世界遺産もかくやといえるほどに見事な壁画の前には何十、何百というほどの書物が積み重なっていて、描かれた女神が本に埋まって見えた。磨けばきっと美しい甲冑もすっかりコートかけにされてしまっている。
だらしないのは廊下だけかといくつかの覗き窓から部屋の中を覗いてみたがどこも同じような有様であった。そうした探索の後、あまりの気配のなさから今この館にはだれもいないと結論付けたころ、メルレは一階の階段裏に扉があることに気が付いた。さび付いた鉄の扉、その質感には確かに見覚えがある。はっとしてメルレは例の鍵を取り出した。
「…まさか、ね」
思わず出た声は不思議な魅力を伴ってメルレを突き動かした。そっと差し込んだ鍵はすっぽりと鍵穴にはまり、ゆっくりと回せば無機質なかちゃりという音がトランテスタに響いた。
重々しい扉を開けば体は吸い込まれるようにして表れたその階段を下りていく。階段は下に進むにしたがって明るくなっていた。
(どこにつながっているのかしら)
階段は決して広い幅ではなかったのでメルレは両脇の壁に手をついて一歩ずつ確かめるようにして下りて行った。
階段を下り切ったメルレの目に飛び込んできたのは不思議な光景だった。
洗濯機や木製の机、椅子や本や服や靴!全てが乱雑にそこに山積みになっていた。頭上の明り取りから差し込む陽光が舞う埃をきらきらと光らせゴミ山を彩っていた。
(ゴミ捨て場かしら)
浮遊する埃にメルレは思わず口元を覆った。埃もゴミも、とんでもない量だ。メルレの背を優に超えている。ごみ山を囲う縁に目を向けると、そこには下へ降りる梯子がかかっている。どうやらこのごみ山は一角で、本体はあの梯子を下りた先にあるようだ。
どれだけのものかと、ゴミ山を囲う縁から底を覗いた。高さは飛び降りようとすればできるだろうといった程度のモノだった。もちろんそうだとしてもそんな穴よりはるかに高く積み上がったこのごみの量は相当だが。
メルレは改めて目の前のごみ山を眺めてみた。そこにはベルトや自転車なんかも積み重なっている。光を受けてきらりと輝くものはお金だ。それも一枚や二枚の硬貨ではない。それこそ宝の山といえるほどの量がいたるところに挟まっている。しかしメルレの目を引いたのは別の輝くものだった。
(これ、小さいころ欲しかったオルゴール!!)
銀細工が施された箱型のオルゴールはメルレが幼かった頃に欲しかったものによく似ている。いや、きっと同じものだろう。銀の部分は酸化して曇ってしまっていたがその細やかな細工の美しさは廃れることはない。
メルレはゴミ山を崩さないようにオルゴールに手を伸ばした。蓋を開けば美しい音色が聞こえるはずだ。メルレはわくわくしながら蓋を開けた…つもりだった。
蓋が開かないのだ。正しくは蝶番の部分になにか粘着性のものがこびりついていてわずかにしか開かないのだ。これでは音色は奏でられない。こびりつきをはがせるものはないかとあたりを見回す。———あった。派手な装飾のついたペーパーナイフだ。梯子を数段降りて手を伸ばせば届かなくもない場所にある。これならば、とメルレはオルゴールをその場において梯子を駆け下り、手を伸ばした——その時だった。
ガシャン
メルレはランタンが落ちていくのを目にした。床に当たって嵌め込まれていたガラスが飛び散るのを目にした。それはペーパナイフへとメルレが手を伸ばした先、今までごみ山で見えていなかった死角。メルレより大きな体躯とぼさぼさに伸びた白い毛をもった何かが、彼の手から落としたランタンをそのままにこっちを見ていた。じっとメルレを見ていた!
『君はトランテスタに呼ばれたのさ!』
『トランテスタの魔物がお前を呼んでいるのかもしれん』
するりと、手から梯子が滑りぬける。
――ああこれが、トランテスタの魔物
直後背中をしたたかに打ち付け、メルレは意識を手放した。
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