修理師メルレとトランテスタの魔物

渡良瀬 遊

第1話 トランテスタからの召喚状


「こちらでお待ちください」


 そう言われて腰を下ろした木製の椅子は、メルレが身じろぎをするたびにギシギシと嫌な音を立てた。

 こうしてここに座ってそろそろ15分がたつのではないだろうか。メルレが見せた召喚状を持った職員は扉の向こうに消えたまま一向に帰ってこない。もしかしたら職員は本館まで確認をしに行っているのかもしれない。同じ大都大学の敷地内にあっても、この学生会館と授業が行われている本館は離れて建っている。古ぼけた学生会館『トランテスタ』は白亜の城のようだと称えられる大都大学の片隅に、ひっそりと存在していた。


 メルレは暇を持て余して、傍らに置いた大きな荷物鞄の金具を弄っていた。不安でないと言えばウソである。それはこの埃臭い会館に1人取り残されているからではなく、自分で持ってきた召喚状についてだった。


(やっぱり偽物だったのよ。そもそも私が大都大学に召喚されること自体おかしな話だもの)


 大都大学といえばだれもが知る超エリート校である。そんな大都大学から召喚状が届いたのはちょうど3週間前のことだった。メルレの父が大都大学の学生であったから、縁も所縁もない場所というわけではないが、いきなり理由も語られず呼び出される謂れはないはずだった。

 最初、メルレは召喚状を無視していたが、そうなることをわかっているかのように何通も送られてくる大都大学からの召喚状に根負けし、田舎を飛び出してきたのが3日前だ。


(旅費だってバカにならないのに、これでいたずらだったら絶対に犯人を見つけ出して懲らしめてやる!)


 メルレはふつふつと湧き上がってきた不満に唇を尖らせてふんっと息巻いた。


「君、そこで何してるの」


 突然かけられた声に驚いて体が飛び跳ねる。また椅子がギシリと叫んだ。


「その椅子は座った人を呪い殺すっていう謂くつきの椅子だよ」


 声が頭上から降ってきていることに気が付き仰ぎ見れば二階の手すりから、青年が1人身を乗り出していた。ここの学生であろう彼は面白そうに笑ってこっちを見下ろしている。


「呪い?…それは、もう少し早く知りたかったわ」


 呪いなんてものを信じる歳ではないがせっかくの忠告だ、メルレはぱっと椅子から飛びのいた。木製の椅子が惜し気にきゅぅと小さく鳴いたように聞こえたがきっと気のせいだろう。


「君、ここの住人じゃないだろう?そこで何してたの」

「待ってるのよ。トランテスタってこの学生会館のことでしょう?召喚状が来たのよトランテスタに来いって」

「トランテスタから?」


 柔らかな茶髪を揺らして青年は首をかしげる。そして何かおもしろいものでも見つけたかのようにあっと口を開き、破顔して手すりから身を遠ざけた。


「待ってて。今降りるから。椅子にはもう座っちゃだめだよ」


 無邪気に告げた青年は、しばらくしてローブを翻しながら奥の両開き扉から下りてきた。


「まだ誰にも会ってないよね」

「さっきここの職員に会ったわ。私の召喚状を確認するって持って行ったきりなかなか戻ってこないのよ」

「ジョゼフだね。大丈夫、彼はよく道を間違えるんだ。気にしないでいいよ、行こう」

「気にしないでいいって…」


 腕をひっぱる青年に反抗してメルレは足を止める。行こうと言われたっていったいどこに行こうというのだ。強引な言動にメルレは眉をしかめる。大都大には変な人が多いと聞くがもしかして彼もその一人なのだろうか。

 そのとき、がちゃりと音がしてメルレが待っていた扉が開いた。


「アンダーソンさん、お待たせしました。確認させてもらいましたが、大都大学は貴女に召喚状を出していないとのことです。おそらく…誰かのいたずらでしょう」


 職員のジョゼフが遠いところいらっしゃったようですが…と言葉を濁しメルレに召喚状を返却する。


「いえ…そうじゃないかとは思っていました。お手数おかけしてすみません」


 自分でも半信半疑だったのだ。悪戯を仕掛けた犯人への憤りはあれど、照会内容には異論も反論もない。気まずそうなジョゼフから召喚状を受け取りメルレは軽く頭を下げて引き返そうとした。


「ちょっと僕にも見せてよ」

「あっ」


 ひょいっとメルレの手から召喚状をとりあげた青年はさっと召喚状に目を通し、これはいいとつぶやく。


「セオドア、それを彼女に返しなさい」

「取りゃしないよ。メルレ、いたずらなんかじゃないよ。これはれっきとした召喚状さ」


 ジョゼフの言葉を軽くかわしセオドアと呼ばれた青年は楽し気にメルレを眺める。


「でも、大都大学は送ってないって…」

「大都大学は、ね。差出人をよく見てごらんよ。ほら」


 何度も目を通した召喚状の文言はもう覚えている。それを証明するようにメルレは指し示された個所をちらっと確認して諳んじた。


「貴女が訪れてくれることを心から願っている。――トランテスタ。そうよ、だから私はここまできたのよ」

「一体なにが言いたいんだセオドア。それと、講義はどうした」


 メルレとジョゼフの訝しげな視線を振り払うように頭を振ってセオドアはトランテスタ!トランテスタ!と繰り返す。


「トランテスタが呼んだんだよ。メルレ、君はトランテスタに呼ばれたのさ!」

「…すまないね。トランテスタの連中は頭はいいんだがどうもこう…とくにクラブ長達は手に負えないんだ」


 ジョゼフは興奮している様子のセオドアから召喚状を取り上げメルレの手に返した。そしてそのままセオドアの背を押してジョゼフが本館に続いているのであろう扉へ彼を追い立てる。


「いくら頭がよくても出席しなければ単位は取れないってことを忘れてるんじゃないだろうね。さ、おとなしく講義を受けに行ってくれ」


 2人を飲み込んでパタンと閉まった扉を眺め、メルレは今のは一体何だったのかと首をひねる。とにかく、召喚状は偽物だった。これは確かだろう。それならばもうここに用はない。メルレは帰る支度を始めた。

 返却された召喚状を、封筒に仕舞おうとして気が付く。


(そういえばこれ、なんの鍵なのかしら。聞きそびれちゃった…)


 召喚状とともに送られてきた謎の鍵。さびた小さな鍵は歪で随分と古風な仕様のモノだった。


きぃ。


 どこかで音がした。

 はっとして見渡せばセオドアが先ほど降りてきたトランテスタの奥へと続く扉が開いている。誘うように開かれた扉はメルレの好奇心をくすぐった。


(少しくらいなら中へ入ってもいいかしら)


 わざわざ田舎からここまできたのだ。土産話に大都大の学生会館を見学するのも悪くない。学生会館なら、一般人が入っても咎められることはないだろう。

 それになにより、何となく呼ばれた気がして、メルレは古びた鍵を握りしめトランテスタへと足を踏み出した。







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