第79話 死と再生

(一)

轟々と降り注ぐ清水が、次々と身体を貫き、過ぎていく。

まるで行き交う人生のように

阿蘇・鍋ヶ滝に打たれながら、誾千代は火巫女の言葉を思い出していた。


こんな話がある。男女の魂は元々ひとつで、生まれ出るとき二つに分かれる。

男が女を求め、女が男を求めるのは、失われた片われを探しているのだと


裸の白い肌が水をはじく


お主が、出会ったばかりのその男と、心も体も深く繋がったと言うなら

ひょっとすると、滅多に出会えぬ失われた半身であったかもしれぬ。


艶のある黒髪に光が乱舞する。


お主が半身を失った悲しみは深かろう

だがそれは、魂のときにすれば、ほんの一瞬の悲しみに過ぎぬ。


腰の丸みを帯びた曲線を水が伝う。


人はいつか死ぬ。死は別れ 

じゃが、ひとたび別れても、輪廻の輪の中で再び生まれまた出会う。

永遠の別れなどない 永劫のときからすればほんの一刻

死を恐れるなかれ 別れを悲しむなかれ


がさがさと繁みが揺れた。

「誰じゃ!」

「あたしです。誾千代様…。」

繁みをようやっと掻き分け、小さな娘が現れた。

橙色の小袖を着て、誾千代がよくするような感じで

緑の紐で後ろに髪を束ねている。

「銀杏だったか…。」

誾千代はふっと笑った。

銀杏はじっと誾千代を見つめた。

「なんじゃ?」

「誾千代様おきれい…。前よりますます…。」

誾千代は滝から上がった。

毬のような乳房が撥ね、水しぶきが散った。

「まるで…まるで天女か女神さまのよう…。」

「褒めても何も出ぬぞ…。」

誾千代は岩陰から手拭を取り出し、身体を拭いだした。

「決めた!」

「なんじゃ…。」

「あたし、誾千代様みたくなります!女を磨きます。」

「…そうか。」

湯巻きを腰に回しながら誾千代は聞いた。

「なにか用事では無かったのか?」

銀杏ははっとした顔をした。

「火巫女様が誾千代様を呼んできなさいって…宗運様がお出でとか…。」


(二)

急な雨が降り出した。

「おお、いかにも阿蘇らしか日じゃっですばい。阿蘇ん健磐龍命神さまが喜んでござる。」

「誾千代が来てからこう言う日が多いな。健磐龍命様は、どうやら若く綺麗な女子が好きらしい。」


「そるで、惟将様んおかげんは?」

「いかんな…あれは死病。ここのところは床から起きることも出来ぬ。」

当主・阿蘇惟将は、今年の春に血を吐き、病床に臥せっている。

「心配ですばい。」

「しかたない…人には命数というものがあるでな。」

火巫女は雨が降りしきる庭に目をやった。

音が次第に激しくなった。

阿蘇館の庭 ずぶ濡れの妙が、雨蛙をつついて遊んでいる。


「おぎんは、いけな感じですか?」

「ああ…すっかり元気になった。というより、なにか違う人間になりよった。まるで羽化か脱皮したようにな。」

「そるは…?」

「何かこう…悟ったというか。諦めたというか。背負っておる霊光も質、量ともにより大きくなった。こう言う感じは、坊主のそなたの方が詳しいのではないか。」

宗運はおぼろげに思っていた。

 人は確かに、一生のうち、幾度も出会い別れ、それによって成長していくものである。

 しかし、誾千代のそれは、全く違うものではないか。

 統安、法姫、金牛、一三夜丸

 出会いの度に誾千代は変わり

 別れによって、また変わっていく

 それは、普通の人間が成長したと言う程度ではなく

 まるで、その思い、その悲しみ、その人生をまるごと呑み込み

 自らに取りこんで違う生き物に進化していくような

 そんな感じすらするものだった。

 前は七色に変化するものだったが

 今の誾千代の霊光は、神のように黄金に輝いている。

 普通の女なら汚れたといってもいい状況なのに

 女というものを知って、また進化したのか。

 そら恐ろしい思いすらした。

 幼いころから知っているお誾が、今は人外の存在にすら思える。


 げこ…


 庭で蛙が鳴いた。

 一本の傘の下に入った誾千代と銀杏が立っていた。


(三)

「筑前に帰ったほうがよか…。」

宗運の話はこれだった。

秋月家が秋に向けて多くの兵を動員しているらしい。

「種実め、今回は本気でくっぞ。高橋も立花も万全の態勢で向かえんにゃ危なかばい!そんためにはお誾…お前ん力が必要ばい。」

秋月、原田、宗像ら国人と、紹運、統虎率いる高橋、立花家の大友勢は、天正十年になってから、数々の小競り合いを繰り返してきた。思い切った戦に踏み切れなかったのは、熊の存在による。大戦をして、双方痛手が大きい状態で肥前筑後の大軍を迎え撃つことはできないからだ。また、いつ熊が筑前侵攻を再開しないとも限らない。

 したたかな種実は、こういう難しい情勢の中でも、攻めやすい城を落とし、この夏までに領土を三十万石近くまで広げていた。これで秋月単独でも、動員可能兵力は一万を越えた。高橋・立花連合軍の倍であり、秋月ほどではないが領土拡大している同盟者の原田、宗像を足すと三倍近い兵力差となる。


「わかった…。」


 不覚にも、立ち上がった誾千代の発する黄金の霊光に、宗運は気押されそうになった。

 宗運に対する口調も変わっている。


 雷神の娘…いよいよ、人間離れしちくっとか…。

「ひとりでは危なかばい…。おるが送っちいくけん…。」

 誾千代は振り返ってにこっとした。

「ひとりではない。無用だ…。」


ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…


 高らかに指笛を吹く。

 雨音激しい中、遠くから、怒涛の駒音が迫ってきた。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん


 塀を飛び越え、庭に漆黒の馬が降り立つ。

 不思議と雨に濡れたようにはしていない。

 誾千代は裸の背にさっと跨った。


「おぎんさま…!」

 走りよる銀杏をおいて

 一度竿立つと

 黒馬は夢のように駆け去った。


(四)

 博多の街の中

 当時も、川べりには夜ともなると屋台が並ぶ。

 人足相手のそば、うどんの店が多いが

 近海の魚を焼いて売る店などもあり

 煙立ち込める道を歩くと、食い気をそそられるいい臭いがしてくる。

 それら屋台には酒が付きもの

 そこいらの酒場より安いので、人足中心にかなりのにぎわいだった。

 その一件、魚のすり身を揚げて売る店

 簡素な机に酔い潰れた女が寝ている。

 長い髪を机にしなだれて、盃を握りしめて机に突っ伏している。

「おい…帰るぞ。もういい加減にしろよ。」

 もうひとりは短髪だが、胸のふくらみからして女のようだ。

 がばっ!

 長い髪の女が起き上がり、徳利から酒を注いだ。手元が狂って机にこぼれる。

「おい…飲み過ぎだ。もう、やめろって…。」

 起き上がった顔は美しい。目は座り、頬は真っ赤だが

「これが…ひっく…飲まずに…いられるかっての!」

 くっと盃をあおった。そして徳利からもう一度注ごうとしたが水滴が零れただけ

「おやじ…もう一本だ。」

「おやじ…もういい、いらねえよ。」

 店の親父はどちらを聞いたがいいか、どぎまぎした様子だ。

「なんだ四亀、なんか文句あんのかっ!」

 四亀はため息をついた。

「八尾、飲みすぎ…身体を壊すよ。龍造寺家を首になった私らを、せっかく秋月様が掬い上げてくださったんだ。その恩に報いるためにも、体調を整えて十分な働きをお見せするんだよ。」

「けっ!」

 八尾は酒臭い息を四亀に吐きかけた。

「ぶっ殺しゃあいいんだろう。ぶっ殺しゃあ!あの女、あいつがいなきゃ愛しい一三夜はおかしくならなかった。死ぬことは無かったんだ。あいつだ、あいつが殺した。ぶっ殺してやる。あたいが必ず…ぶっ殺してやるよ!」

 そう言うと、立ち上がろうとしてどんと机に倒れ、大いびきで寝てしまった。

「おやじ…お代はここに置いとくぜ。」

 八尾を背負った四亀は、人がごった返す川べりの道を歩いていく。

「今夜は月がきれいだ。…なあ一三夜丸…。」

 その大きな背中は雑踏の中に消えて言った。















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る