第80話 御笠の戦い
(一)
慎重な秋月種実が大胆に動いたのにはわけがある。
龍造寺隆信の動きだ。
今年、筑前に再侵攻するものと思われた龍造寺の動きが止まったのは、南から肥後を侵した島津の存在が大きい。相良義陽を敗北せしめたことで明らかなように、動かぬときは梃子でも動かぬが、動くと決めたら隼のように迅速、一気呵成に来る。隼人の名の由来はここかと思わせた。筑前にもし手間取れば、肥後、肥前、筑後を一気に攻略される恐れもある。
実は臆病なほどに慎重な隆信は、島津との決着をつけねば筑前へは上がってこないだろうと思われる。その決着は早ければ来年、遅くとも再来年にはつくだろうと種実は読んでいる。その前に、ぜひとも立花山、岩屋の両城を攻略し、筑前を自勢力で統一する必要があった。種実は、世間の見方と同じく、勝ち残るのは隆信であろうと思っている。こういった大戦には経験がものを言う。国をまとめたばかりで、大戦の経験が無い島津はいかにも分が悪かった。
種実は一万の軍勢を招集し、岩屋城と立花山城の中間に位置する、高橋方の太宰府宝満城に狙いを定めた。攻略すれば、高橋・立花の地理的連携に楔を入れることができ、兵力以上にその力を半減させられるだろう。
宝満を攻めるにおいて、種実は行く手にある宝満支城の米ノ山城を攻略した。さらに立花山の軍勢を牽制さすために、同盟の原田、宗像の軍四千を博多近くまで出動させ、岩屋の軍に対しては、大勢の素破・乱破を使い、龍造寺家・鍋島軍一万が筑後から攻め寄せるとの噂を流させた。
種実は軍に進撃を命じ、宝満城を望める御笠に本陣を敷いた。そして嫡子・種長率いる三千に、家老・坂田実久二千を付け、宝満城攻略へ向かわせた。同じ筑前南方の領主である種実は、紹運の戦い方を熟知している。
「心根と同じく、戦い方も真っ直ぐな男よ。奇策など好まず、必ず正攻法を取ってくる。一瞬の判断が勝敗を決する局地戦の采配に長けているので正攻法でも常勝、これこそがあやつの強さだ。」
この場合の正攻法とは、城を力攻めする敵を城兵と挟み撃ちにすることだが、それでは御笠に残したこの軍に逆に挟み撃ちにされてしまう。それを避けるため、攻城軍を十分城に噛みつかせた上で、この御笠の軍を全力で叩きに来る。筑後の動きを気にすれば動ける軍は千程度、仮に立花山にいる紹運の息子が原田・宗像の軍をすり抜けてかけつけても千五百程度。十分備えた倍の軍なら勝てる。勝てぬとしても秘策が残っているからな…。
(二)
宝満城代・伊藤惣右衛門は、秋月軍来襲の報を受け、急招した八百の兵で城の防備を固めた。この城は一般的な山城で、その防御能力は国境に立つ岩屋城ほど高くない。守りきれるかは寄せ手と守り側の将の指揮能力の均衡にもよるが、今回の事実上の大将・坂田実久は城攻めにも長けており、五千に対して八百で守りとおせるかは微妙なところだった。
岩屋城では残った五人の重臣達が招集され軍議が行われていた。
「宝満を盗られては立花山との連携が断たれます。どうあっても落城させるわけにはいきませぬ。」
そういう屋山種速に、北原鎮久が同調した。
「しかり…一刻も早く援兵を出すべき。」
「噂があった筑後の鍋島直茂の動きですが、物見を放って調べた限りではこちらへ攻め入る気配はありません。もちろん、相手が相手…油断なりませんが。」
福田民部少輔が報告した。
「この城を守れる最低人数を残し、残りの全軍で宝満救援に向かうべきです。一刻もはやく…。」
村山志摩守が逸る。
「殿、こうしている刻がもったいない。ご決断を…。」
今村五郎兵衛の言葉に、じっと話に耳を傾けていた紹運は頷いた。
「よし、防備には五百を残す。防備は種速、民部の二人に任す、よいか!」
屋山と福田の二人が一礼した。
「残り千五百で御笠に向かう。志摩と五郎兵衛、それぞれ五百を率いてわしに続け。」
おうと二人は応えた。
「鎮久は自城を守り、筑後に変あれば急ぎ知らせよ。」
「ははっ!」
老将・北原鎮久が深く一礼した。
栗毛の馬に跨り、大鯰の兜を被った高橋紹運は、千五百の兵を率い決戦場である御笠へ向かった。
(三)
「紹運様、千五百を率いて御笠へ出陣されたとか…。」
小野鎮幸が、どかどか広間に入るなり言った。
「既に二千の兵は集めております。下知いただければ、どんな動きでもいたしましょう。」
由布惟信も続いて言う。
「原田、宗像の軍勢四千が桧原辺りに布陣しており申す。我らが動けば、まずこれらがかかって参りましょうな。」
薦野増時が情勢を述べた。統虎になってからとっている軍議法で議論を尽くさす紹運流だ。道雪のときは迅速を尊び上意下達方式だった。
「よし、二千全軍で出陣する。」
「立花山の守りはどうなさる?」
「それはまたお誾に頼む。三日月城の兵の一部を回してくれ。」
誾千代は頷いた。
立花統虎は二千の軍を率い、父と同様に南西の御笠を目指すため、まずは桧原の原田勢、宗像勢に攻めかかった。兵力差は二倍だが、野戦でまともに戦った場合、両軍とも立花勢の敵ではない。敵は半刻かからずに潰走し、統虎は大した犠牲も出さずに父のもとへ急いだ。
そのころ御笠では、紹運率いる高橋勢千五百と、種実率いる秋月勢五千の戦いが開始されていた。
高橋勢は紹運と村山志摩守併せて千を中軍に、今村五郎兵衛五百を遊撃とした変則陣をとる。
秋月勢は鶴翼に開き。種実二千を胴体部分に当たる中央後陣に、内田彦五郎千が中央前衛の鶴首の部分、井田親氏、杉連緒のそれぞれ千が左右両翼を構成した。内田彦五郎は、統虎に討ち取られた堀江備前守の友であり、復讐を誓って先鋒をかって出たものである。
戦いは、まず先鋒同士の村山志摩五百と内田彦五郎千の激突で始まった。両軍あい拮抗する中、後詰の紹運が加わって内田隊は崩れ立った。秋月軍は鶴翼の陣を活かし、左右から包み込もうとするが、遊撃の今村隊が右に左に巧みに走り回って包囲させない。
「さすがは紹運…一筋縄ではいかんな。」
種実も驚嘆のため息を漏らした。三倍以上の兵力が押し込まれている。敵として戦ってみると、戦上手の次元が違うのがよくわかった。そこへ…
「北東より新たな敵!」
立花統虎率いる二千が戦場に到着し、そのまま横から杉連緒の千に突っ込み、杉隊は一瞬で崩れた。
「粘れ!」
種実の指示で、秋月軍は崩れた隊を吸収しながら、防御力の高い方円に陣形を変えていった。さらに、外側に盾を巡らし積極的に討って出ない。
「何かあるな…。」
紹運も統虎もそう感じた。
うぉおおおおお
鬨の声が上がった。西と北からほぼ同時に
西から宝満攻めに向かっていたはずの坂田軍二千が引き返してきた。
北からは、立花軍が斥けたはずの原田軍三千が来襲した。
種実が采配を振る。
「今じゃ!原田勢、坂田勢と動きを合わせ、高橋・立花両軍を包みこめ!」
(四)
高橋・立花両軍は前後左右から挟まれる形になった。
「ここから抜けねば、被害は馬鹿に出来ませんぞ!」
今村五郎兵衛の叫びが聞こえる。
しかし、敵は川や丘などの地形を巧みに利用し、いつの間にか両軍を容易に脱出できない地形に追いこんでいた。
「さすが知恵者…。我らをここまで追いこむとは…。」
小野鎮幸が槍を振るいながら叫んだ。
「感心している場合か、敵と違って我らに援軍は無い。自ら戦って切り開くしかないぞ!」
由布惟信が大刀を振りまわしながら言い返す。
「しかし、敵が多すぎます。このままでは疲労が蓄積して…。」
薦野増時も、得意の鉄砲を撃つ距離にないため、打ち合って曲がりかけた刀を振るっている。
どうにかして包囲を抜けねば、このままでは全滅しかない。
大将・紹運も統虎も自ら槍を振るい、敵を退けねばならない乱戦であった。
「まだか…まだ敵を打ち破れぬのか!」
陣幕の中で種実が叫ぶ。
「敵も必死の防戦にて…あと、四半刻もすれば…。」
ぶぉおおおおおおお
北の空に法螺の音が響き渡った。
「今度は何じゃ?宗像勢か…。」
村山志摩守が諦めたように叫ぶ。
「いや…あれは!」
北方に祇園守の旗がひらめく。
「お誾…?」
五十名ほどの小隊だ。
法螺貝を吹いているのは薙刀を持った大女
みんな兜は着けず、胴丸に鉢金を額に巻いただけの軽装の女たち
手に手に薙刀や弓を構えている。
中央には、闇ほど深い漆黒の馬に跨った小袖に袴
長い黒髪を、もとどりで結んだ神々しいばかりの姿
腰にさした刀を抜き放つ
青い雷光がほとばしった。
そのまま黒馬をかって突っ込んで来る。
女たちも後に続いた。
「ええーい。敵は小勢だ。女であろうとかまわん。討ち取れ、討ち取れぇい!」
坂田実久の軍が行く手を遮る。
馬上の誾千代は雷斬りの太刀を一閃させた。
豪雷が真横に走り、立ち塞がった兵は一瞬で焼け焦げ炭と化した。
雷で開いた穴に、女たちは突っ込んでいく。
静香はぶんぶんと薙刀を振りまわし
近は弓を放って次々と敵を射抜いた。
北斗や蝙蝠は、大の男を殴り倒し、投げ飛ばす。
「今だ!女どもに救われるは癪じゃが、盛り返すのは今しかない!」
小野鎮幸が槍を振るいながら叫ぶ。
誾千代の放つ雷で恐慌に陥っていたこともあり、秋月勢はほどなく総崩れとなった。
古処山へ向かって退く種実は、歯噛みしながら気になることを言った。
「野戦はわしの負けじゃ。だがもう一つの仕掛け…、立花山が無事とは限らんぞ。その仕掛けが当たれば、我らの逆転じゃ。」
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