第78話 一三夜と統虎

(一)

次の日、三日月城を訪ねた統虎は暗い目をしていた。

その眼を見て誾千代は全て悟った。

生まれて初めて、統虎に平伏して詫びた。

統虎は誾千代のそんな姿は見たくなかった。

「お前とわしが仲睦まじうなければ、この立花家は成り立たぬ。その男と別れてくれんか…。」

想定していたことだが、言われた誾千代の目が宙を泳いだ。

「そ…そんなことは、とても…考えられぬ!」

 出会ってわずかしか経っていないが、好きとか愛とかいう段階を越え、誾千代と一三夜丸は身体も魂も最早一体、毎日身体を重ねて溶けあううち、お互いにそう思っていた。一体のものを引きはがすということは、すなわち死ねというに等しい。

「では…この家を出るかっ!」

 統虎にとっては断腸の思いである。しかも養子に過ぎぬ統虎にとって、昔からの家臣と軋轢を生みかねない。

「父上が心配じゃ…。それもできぬ。」

 ぐっと唇をかんだ。

「では、このわしが出ていくしかないではないか…。」

 誾千代は頭を横に振った。立花家のためそれもできぬと言う。

「どうせよと言うのか…。」

誾千代は前から考えていたのだろう。自分の考えを述べた。

わしは正妻から下り、ただの立花誾千代となる。

城も扶持もいらぬ…立花山への出入り、父の見舞いさえ許してもらえば良い。

城から居なくなるが、立花家であり続ける。

誾千代が反乱をおこすことは無いだろうから…頭では丸く収まるのがわかる。

だが…気持ちは別だった。

「だめだ…受け入れられん。」

「ではどうせよと…このわしに死ねというのか?」

宗運の忠告に従えばそうなる。だが統虎は踏み切れなかった。


(二)

 そのころ、博多の街で一三夜丸を見かけた蜊は、大胆にも後をつけていた。

一三夜丸は蜊に気づかず、郊外の寺まで来ると、一気に飛び上がって塀を越え寺の中へ入った。

「あの飛び方…どこかで?」

 塀によじ登った蜊は、どこかで見た顔と会っている一三夜丸を見た。

 あの侍は…たしか龍造寺の…そして、あの女たちは…。

 記憶がつながった。

 仮面を被せれば、あの日の姿と重なる。

「一大事だ!」

 蜊は気づかれないよう、そっとその場を離れた。


「おりるて…なんやねん!」

「そのままの意味だ。俺は下りる。褒美はいらない…。」

「やっぱり、あの女に惚れちまったのかい!」

四亀が目を怒らせて言った。

「どうとってもらっても良い…とにかく、俺は続けられぬ。下ろさせてもらう。」

昌直がうすら笑いを浮かべながら言った。

「子供の使いやないで…今更下りれるわけがないやろ!」

一三夜丸が油断なく身構えた。

「俺はあんたの家来じゃない。金が報酬のただの約上だ…下りれるさ。」

しゅっ

目にもとまらぬ早業で繰り出した仕込を、一三夜丸は蜻蛉を切って躱した。

そのまま塀まで飛び上がって、一目散に走り出す。

「お前ら逃がすんやないで!自分らで始末をつけれんかったときは、お前らの命で始末をつけんとや!」

四亀は片膝ついて頷き、一三夜丸を追って外に駆けだしていった。


(三)

 一三夜丸が樵小屋に駆け込んだ時、誾千代は既に座って待っていた。

「一三夜丸…。」

 すっと立った誾千代が首に両手を回し、口づけをかわす。

「今日はゆっくり出来ないんだ。」

「わしも言いたいことがある。」

 目と目を見合わせた二人、そこへ

「お邪魔する。」

 そう言って入ってきたのは統虎だった。

「お主が一三夜丸か…ちょっと話がある。」


 外に出た統虎と一三夜丸は、はじめて向き合った。

 小屋の中から誾千代が不安そうに見つめる。

「話しとは何だ?おおかた見当はつくが…あいにく今日は急ぐ、はやく頼む。」

 統虎が意を決したように言った。

「お主、お誾を連れて…しばらく筑前を離れてくれんか。」

 これには誾千代ばかりでなく、一三夜丸も驚いた。

「妻を寝盗られたのに、何も咎めぬのか!」

 統虎は頷いた。

「もちろん口惜しい、どうにかなりそうなほど悔しいわい。しかし、立花家当主のわしには筑前の安定が一番じゃ。誾千代のことも大切、いろいろ考えたがこれが一番いい。」

一三夜丸は呆れたように統虎を見た。

「理解できん。お人よしなのか…大器量なのか。立花統虎…お主はただの武将ではないようじゃ。」

本当は国などどうでもいい…お誾が一番大事と叫びたいわい。じゃが

誾千代をちらりと見た。ああ…やはりうれしそうじゃな。

嘘でもいいから、そう言う顔をわしに見せるな。

「おぎん…一緒に来るか?」

誾千代がこくりと頷いた。

何もかも捨てて…愛する男 運命の男と一緒に

身が震えんばかりの幸せを感じた。

統虎は懐から路銀の包みを出した。

「急ぐといったな…邪魔にはならん、持って行け。」

呆気にとられる一三夜丸に手渡す。

誾千代が小屋から走り出て一三夜丸に駆け寄った。


「待って!」

蜊が駆けこんできた。

「姫様、だまされているよ!」


(四)

「どういうことじゃ?」

ただならぬ様子を見て、誾千代が蜊に尋ねた。

蜊は婚礼の日、誾千代を攫ったのは仮面をつけた一三夜丸に間違いないこと

それが龍造寺家の軍師の策であるらしいこと

今回も龍造寺の軍師と、先ほどまで寺で会っていたことなどを一気にしゃべった。

「信じられん…!」

思い当った。

抱かれたとき、前も同じことがあったと感じた。

わけがわからなくなり、誾千代は混乱した。

「一三夜丸…わしを騙したのか!」

泣き喚いて言った。

一三夜丸は違うとは言わない。

「騙した…最初はな…だが、聞いてくれ!」

「うるさい、人を騙して…その前に、熊のもとへ運んで…許さん、ゆるさんゆるさんっ!」

「おぎん…聞いてくれ!」


 近くの杉の大木に潜んで、ずっと機会をうかがっていた者がいた。

「突然現れて、あたしと一三夜の邪魔しながら、いい気になりやがって。…手前が死ねば、すべて丸く収まんだよ!くらえ……魔弓っ!」

杉の上から狙いをつけた八尾が矢を放った。

矢は真っ直ぐに、混乱した誾千代に向かって飛んでいく。

「!」

 統虎が気づいて刀を抜きながら誾千代のもとへ走った。

 ず…っ

 それより早く、誾千代の前に立ち塞がった一三夜丸の胸に矢は突き立った。

「ぐ…っ。」

「一三夜丸っ!」

 誾千代が駆け寄り抱き起こす。

「傷…口にさわんな…。猛毒だ…。」

 ごふっ

 口から大量の血を吐いた。

「姫さまっ!」

 北斗や蝙蝠が駆けつける。

「しくじったか…ちくしょう。」

 八尾は木から木へ跳び移りながら逃げた。


「しっかり…。」

 誾千代はもうひとつ思い出した。

 婚礼の時に抱かれた腕と、熊から救ってくれた腕が同じだったことに

「一三夜丸…お前が…あの夜…。」

 涙で声がかれた。

「知らねえよ…熊から救ったのはお前の亭主だ。俺は熊に雇われた一三夜丸、熊の命令でお前をこましたにすぎねえよ…。」

一三夜丸の頬にぽたりと涙が落ちた。

「もったいねぇ…こんな俺のために泣いてくれんのか。捨て子だった俺も…最後がこうなら幸せな一生だったかもな…。」

「わしも…わしも一緒に…連れて行ってくれ。」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前には慕ってくれる手下と、こんなに優しい亭主がいるじゃねぇか。…役目だってまだある。ついてくんじゃねぇよ…。」

にやり

一三夜丸は笑った。

「今宵の月は雲間に見え隠れしてらあ…雲霞の一三夜丸…死ぬにゃあ最高のお膳立てだぁ。」

「一三夜丸、一三夜丸!」

誾千代の叫びが、虚しく森に響き渡った。






 










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る