第74話 統虎の改革

(一)

  天正十年になった。

 最近の統虎は、昨年の戦い以降、周囲のうるさ方に認められ、すっかり当主として忙しくなった。立花山の防備、支城の整備に着手し、道雪のときはふわっと決まっていた兵それぞれの組割り、防御地点を明確にすることで無駄のない功防ができるようにした。

 新田開発に着手し、戦で逃散していた百姓を呼び戻すため年貢を軽くし、博多の経済効率を目いっぱい活かす為、防衛義務を明らかにする引き換えに運上金を倍にした。渋っている豪商は自ら説得して回った。百姓たちも商人たちも統虎の誠実な人柄に触れ、次第に協力するようになった。

 こうやって、家中領民の支持を高め、立花家の支配は道雪の時代より盤石になっていった。昨年末、秋月に引き続き、宗像氏が三千で攻撃してきたときも、元服間も無いのに堂々たる指揮ぶりを見せ、いつしか周囲は。統虎の素質に注目するようになった。最初はさすが蛙の子は蛙と言われたが、この才は父である紹運も義父である道雪すら凌ぐのではないか。周囲の見方は次第にそう変わっていった。

 一方で誾千代も忙しい。立花山と三日月を行ったり来たりして過ごしていた。三日月では城主としての執務がある。城代として城戸知正が入ってくれたが、家臣のほとんどが素人の女子、慣れない城の執務と軍事訓練の繰り返しは、逃げ出す者がでるほど厳しいものだった。

 誾千代にとって幸いだったのは、近習の三名が揃いもそろって優秀だったことである。薙刀は静香に、弓は近に教錬を頼めば済んだ。奥向きのことは、意外なことに由利が得意としていた。計算が早く、兵糧や物資、ひいては炭や油の節約、人夫の手配や褒美の交渉まで、ふうふう言いながら何でもやってのける。

 誾千代は、朝は三日月で会議して、昼間は領内を見回り、夜は立花山に戻って統虎と過ごした。夫婦仲は睦まじく、統虎は毎晩優しく誾千代を抱きしめた。周囲の期待も高まったが、一年近くたっても一向に懐妊の気配は無かった。周辺に「立花家にかかった呪い」がちらちらする中、十四になった誾千代は懐妊のため、筑前の日吉神社、阿蘇の子安河原観音、日向の鵜戸神宮などを参拝したが、神仏の力によっても懐妊は叶わぬようであった。


(二)

「お話をお聞きください!」

 薦野増時がせかせかと歩く統虎を追いかけて言った。

「あの話じゃろう…あの話なら聞きとうない!」

 統虎は嫌な顔をしながら言った。

「いや聞いてもらいます!立花家の未来のためじゃ。」

 統虎は立ち止まった。

「立花家のためと言うて…これを進めればお誾が悲しむではないか!お主。そもそも立花家の人間じゃと言うに。」

「立花の人間だからこそ…跡目の問題はきちんとしたい、周囲を安心させたいのです。誾千代様が懐妊すれば万々歳ですが、いっこうにその気配はない。大殿・道雪様が言われていた呪いの話も一概に迷信だと切って捨てるわけにはいかない。いいではありませんか、立花のお家を断絶させぬため、どこの大名家でもやっていることです!」

「うーん…側室か。気が進まんのぉ。」


歩いていく誾千代を見て、由利がぽつりと言った。

「なにか変…お方様、怒っていらっしゃるような。いらいらされているような。」

後ろから近がぽんと肩を叩いた。

「どうしたのさ、ぼっとして。」

「いや、お方様のことさ…。」

「あー、あれねぇ。」

 静香や由利と違い、近は嫁に出た先から戻されている。どうやら、近自身の浮気癖がひどっかたらしい。

「あたしにゃわかる。あんたらにゃ逆立ちしても分かんない。」

静香が怒った。

「なんだその上からの物言い!」

「そうだよ…男を知っているのがそんなに偉いか!」

ちっちっちっ 

近は人差し指を顔の前で振った。

「偉いとかえらぶってるとかそんな問題じゃない。あたしにゃわかる。ありゃ満足していないんだね。」

興味の方が湧いてきた。

「どういうこと…。」

「殿さまみたいな優しい男にゃありがちさ…睦ごとも優しいんだろうさ。でもね女としちゃあ…。」

由利がごくりと唾を飲む。

「こういくいくってさ、めちゃくちゃに愛されたいときもあるんだよ。」

静香がぽかんとした。

「どこに行くんだ?」

「馬鹿だね…経験すりゃわかるよ。」

近はすたすた行ってしまった。

「なあ…どこに行くんだ。教えてくれ、気になって眠れないよ。」

静香が追いかけた。

残された由利は腰を激しく動かしながらいくいく、いくいくと繰り返していた。


(三)

誾千代に逃げられてからの隆信はすこぶる機嫌が悪い。

「もう一回、さらってきまひょか?」

そう言っても

「馬鹿め、他の男のお古などいるか!」

それは誾千代がなかなか妊娠しないことを知っても同じだった。

子を産ますという目的がもはやどうでもいいのや。

ある意味、御館様はあの娘に懸想されていたのかもしれない。

他の男のものになって、これほど悔しがるのはそういう意味だろうと昌直は思った。立花家に入りこんだ婿養子は上手くやっているらしい。戦に強いだけでなく、わずか一年で、収入を三倍にして旧臣たちの信頼も勝ち得たと聞く。このままでは、立花家はどんどん強く大きくなる。そんな予感があった。


道を歩きながら思った。


なんとかしなければならない。

そうしないと、実家の高橋家も併せて龍造寺筑前進出の大きな障害となってしまう。どうすれば…。

そもそも養子やし、夫婦仲でも裂けば、家の中ぐっちゃんぐっちゃんになるのやないか…。あの娘に嫌われとっても味方する家臣がおるとは思えへん。

だが、どうやって夫婦仲を壊す…。


屋敷に着いた。

大木の枝の上に仮面を被った忍びの姿


「なんや一三夜丸かいな…。そうやな、お前が超美男子やったら、あの娘惚れさせて夫婦仲を悪くすることもあるやろに…そんな忍術ないんかいな。」


しゅたっ

忍びが木から飛び降りた。

「今の話…詳しく聞かせろ。」

「冗談やわ…。珍しく何も思い浮かばんのでな。だいいち、美男子やったらそんな仮面なんぞ普段付けているわけないからな。」

一三夜丸は後頭部に手を回し、ひもを外して仮面を取った。

「!」

「この仮面がどうかしたのか?」

「仮面やないわい!お前、その顔どないしたんや?」

「生まれつきだ。」

「生まれつきぃ!いやいやこれは神の配剤や。いける、いけるで。ただの美男子やない。あの娘にその顔はいけるで…いちころや!」

一三夜丸は胡乱な顔をして立ち尽くした。


(四)

「統虎様、こちらが矢島秀行殿の御息女・八千子殿。そしてこちらが、葉室頼宣殿の御息女・菊殿にござる。」

 八千子は統虎の一つ上、器量が良いだけでなく、詩歌管弦に通じ、控えめで頭が良いと評判の十七の娘。

 菊は誾千代と同い年の十四で、武芸に長じ、小柄でかわいいが芯の強い性格と評判の娘だった。共通しているのは、どちらも多産の家系である。

「よろしく頼む。」

 城に上げてしまえば統虎は断れない。増時はそこまで読んでことを運んだ。

 その日のうちに、立花山城に二人の側室の部屋が用意された。

 そのことは、いつものように夕方やってきた誾千代を驚愕させる。


「いく久しう、よろしくお願いします。」

目の前で三つ指つかれても、最初は何のことやらわからなかった。

誾千代は激しく混乱した。これは増時の計算外だった。

どこの大名でもやっていること

この理屈は通らなかった。

怒って城を飛びだした。

いつの間にか筑後川のほとりを歩いていた。

気がくさくさする。

川でも眺めていれば気が晴れるかと思った。

「こんな夜中にどうしたのです?」

後ろから声がかかった。

若い男の声

虫の居所が悪いので無視した。

男は心配なのか盛んに声をかけてくる。

「うるさ…い…ぞ。」

振り返った誾千代は信じられないものを見た。

最初はこの世ならざる者かと思った。

「さ 三郎様…どうして?」

そこには

蒲池三郎統安

その人としか思えぬ男が立っていた。








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