第73話 女たちの城
(一)
天正九年、誾千代と統虎の婚礼前後の筑前の状況は慌ただしい。
秋月種実が着々と領地を広げる中、先の戦いで龍造寺軍一万の攻撃に耐えた鷲が岳城が、九月に筑紫広門率いる五千の攻撃で落城している。これで筑前に残る大友勢力は、立花勢と高橋勢のみになった。
この状況下で、龍造寺軍の再侵攻も警戒せねばならないが、秋月など筑前国人が攻めかかってくる可能性がより高かった。ところが、度重なる戦いで消耗した立花家は深刻な将兵不足に陥っていた。統虎の婿入りに際し、高橋家から萩尾大学と兵五十名が同行したが、それだけでは焼け石に水の効果しかなかった。
とにかく、主城立花山の防備を高めないといけない。統虎を中心に、由布、小野、城戸、薦野の四重臣が話し合って、立花山の南西にある三日月砦、立花山城が道雪のものとなってから使われず、うち捨てられていたこの砦を、城として再建し秋月などに対する防備を高めようと言う話になった。
三日月城の縄張りは、初めてとなる統虎が甲斐宗運の指導のもと行うことになった。問題は完成した後の将兵の手配で、兵を動かし立花山自体の防備が薄くなっては、城新設の意味が無い。百姓から老兵や年若い子供を募っても急場しのぎにしかならず、傭兵は信用ならない。はてさて困り果てていたとき
「わしに考えがある。」
北の方となった誾千代が言った。
「えっ!女子をですか…。」
城戸知正が驚いた。
「そうじゃ、そもそも女子とて籠城となると薙刀を手に戦わねばならないではないか。そのため日頃、薙刀だけでなく弓などの修練をしている者もある。金牛や北斗などもそうじゃが、男に負けぬ体力を持った者もおる。そもそも、女子が将兵として城を守ってはならぬと誰が決めたのじゃ。」
「そうではござりまするが、女子は子を産み育てる者、古来より男女の役割は決まっておりますので…。」
「その話も気に入らぬ。そもそも統虎が養子に入ったは、父上が決めた城主、つまりこのわしが女子との理由で認められなかったからじゃ。雷斬りの太刀を引き継ぎ、男に負けぬ武勇を発揮しているのに、女子と言う理由だけで男の下に置かれる。この理不尽には我慢ならん。そもそも、女子は子を産み育てる、まるで子を産む道具のようなその考えで、先頃わしは熊に攫われたのじゃぞ!」
誾千代の怒りは凄まじく、この件について頑として引かなかった。他に手も無く、家中に評判の女子もいることから、とりあえず呼び集めてみようということになった。
(二)
その翌日、立花山城内の庭に、武芸自慢の家臣の娘二十名が集められた。
城戸知正が名簿を見ながら呼びかける。
「まず、内田忠兵衛の娘…静香。前に出よ!」
どす どす
集団を掻き分け、身の丈六尺近い体格のいい娘が薙刀を手に現れた。
この娘は静香と言う名に似合わず、十人力と言う怪力で「巴御前」というあだ名で恐れられている。薙刀をぶんぶん回す姿を誾千代は頼もしそうに見つめた。
「次に、原尻左馬助の娘…近。」
少し年齢はいっているようだが、弓をもった女がさっさっと機敏な動きで前に出た。
「この者は弓の名手として評判ですじゃ。」
そんな感じで、娘たちはどんどん紹介されていった。いずれも、兵として鍛えれば十分な活躍が期待できる。由布惟信ですらそう思ったほどだった。
「最後に…うん?もう名簿に名は無いが…。」
ずんぐりむっくりした背の低い娘が残っている。
どう見ても武芸の達人には見えない。
「お前は誰の娘か?」
娘は、小さい目を細め、にやあと笑って言った。
「小串大蔵の娘…少納言にございまする。」
「少納言?またご大層じゃが…聞いたことが無い名じゃ。」
小野鎮幸がはっと思い当った。
「お前、大蔵んところの末娘・由利であろう。なにが少納言じゃ!」
「あーああっ!私はその名が嫌いなんです!だから自分で少納言とつけたの。私は少納言なんですっ!」
薦野増時が呆れたように言った。
「まぁ、それは良いとして、娘、お前は何が出来るのじゃ…。」
由利はにこにこして言った。
「武芸一般…なんにも!」
「なんにも!なんでもの間違いではないのか!」
「いいえなんにも…。ただ私には、そこいらの体力だけ自慢の馬鹿娘とは違い知恵があります。それも有り余るほどの…。」
うっとりした表情で話す由利を静香が睨みつけた。
「古の張子房、諸葛孔明のごとく…私が知恵で誾千代様をお支えしてみせましょう。」
けっと言う顔で近も睨みつけた。誾千代はにこにこして見ている。
「いかがでござろう。最後の娘はさておき、これで全員ですが…。」
知正の問いに誾千代は頷きで返した。
「お主たちは、わしの家来となって縄張り中の新城・三日月城を守る。男どもに女子の力を見せてやるのだ!」
誾千代の呼びかけに、娘たちはわっと歓喜の叫びを上げた。
そこへ、伝令が走り込んできた。
「申し上げます!」
「何か!」
上座の統虎に向かって伝令は向き直った。
「秋月軍など五千が、この城を目がけて進軍してまいります!」
居並ぶ娘たちにも緊張が走った。
(三)
秋月軍三千を率いるのは、戦術に長じた家老の坂田実久である。
出兵に際して秋月種実は言った。
「このたびは立花統虎が当主となっての立花軍の状態を見極めるのが目的、この程度の戦力で立花山は落とせぬゆえ無理は禁物じゃ。」
もちろん、このことは兵たちにも、従軍している二千の長野・城井・千手・杉ら国人領主たちにも明かしていない。士気を維持するため、あくまで立花山城攻略のための出陣と言ってあった。兵の士気も国人たちの士気も高い、このまま立花山に向かえば、いきり立った挙句攻めかかってしまう危険性があった。そう成ったときの損害は計り知れない。実久は兵たちを落ち着かせるため、立花山を望む潤野原に陣を敷いた。
統虎は急いで兵を集めると共に、岩屋、宝満寺に急使を走らせた。
「兵はどのくらい集まる?」
「急でしたので五百ほどかと…籠城には十分な兵です。」
増時の応えに統虎は頷いた。
しばらくして、兵が続々と集まってきた。
急を聞いて風盗賊の三十名も駆け付けた。
北斗を首領とした新体制の下、風盗賊は大胆な方針転換をした。
戦には出ない。戦の手伝いはしないとの大前提をあらため
誾千代のために、戦においても働くことにしたのだ。
隠し谷は場所を移し、より安全な立花山の奥地に再建されたが
襲撃されて、立花家の庇護が必要であることは骨身に沁みた。
庇護を受ける以上は働いて返さねばならないし、今は立花家の危機だ。
北斗は誾千代に今までの非礼を詫び、風盗賊全員が正式に誾千代個人の家来となった。戦闘ばかりでなく、戦場での素波、乱波としてもその働きには期待がかかるところだ。
統虎からの急報を受けた高橋紹運は、千の兵を集めて自ら率い、ただちに立花山へ向かったが、途中の八木山石坂で軍を止め陣を張った。この地は秋月家の本城・古処山城と立花山の中間に当たる。
「おのれ紹運め!籠城戦になると読み、我らの補給路を断とうてか…。」
実久は敵の恐ろしさをあらためて思い知った。
このままでは補給路を分断され、秋月本軍との連携も困難となる。
実久は副将の堀江備前守に千を残し、国人領主の二千と共に立花山を囲ませておいて、自ら二千を率い紹運に戦いを挑むことにした。武勇で有名な紹運と一度思いっきり戦ってみたい、勝てば我が名が紹運に代わり筑前中に響き渡る。戦術に自信のある実久にはそんな思いもあった。
敵は街道沿いの坂の上に陣取っている。下から攻め上がるのは不利だが、こちらには二倍の兵力がある。実久は盾を前面に並べ、千五百の歩兵でじりじりと坂を登りつつ、それを囮として残りの五百を二手に分け街道の左右の林を進ませた。坂上の敵を三方から挟み込む作戦である。
「進め進め!盾をじわじわ慎重に進めつつ、鐘太鼓を叩いて敵を引きつけながら登るのだ。」
案の定、上から矢の雨が降ってきたが、実久は針鼠のようになった盾を取り変えつつじわじわ進んだ。
「まだか!左右の伏兵がそろそろ攻めかかっても良いはずじゃが…。」
どっと鬨の声が上がった。
坂の上ではなく、実久の隊の後方で…
「!」
続々と林から飛び出した無数の抱き杏葉の旗が翻る。
高橋六重臣のひとり、今村五郎兵衛が叫んだ。
「ばかめっ!我らが伏兵に気づかぬとでも思ったか。坂田実久、林の中のお主の兵は、我らが伏兵によって全滅よ!」
たらりと汗が流れた。
「馬鹿なっ!伏兵を伏兵で返すなど聞いたことが…。」
上で紹運が采配を振った。
「今じゃ、槍隊前へ!坂落としに秋月勢に攻めかかれ!」
秋月勢は、およそ半数を討ち取られ総崩れになった。
(四)
坂田実久敗れる。
急報を聞いた秋月軍と国人連合軍に動揺が広がった。
その動揺ぶりは、立花山城から見てもはっきりわかった。
「攻めるのは今ですな!」
小野鎮幸の声に統虎は頷いた。
「ときは今だ。全軍五百で潤野原の敵を急襲する。」
薦野増時が驚いた。
「城を空にするのですか!」
「空にはせぬ…お誾がおる。」
「はっ…?今日集められたばかりの娘たちに、本城の防備を委ねるのですか!」
「そうだ。心配なら残れ。」
「いや…それでも…。」
増時は誾千代を見た。誾千代は任せてくれと言わんばかりに頷く。
統虎率いる立花軍は、全軍五百で城を出て秋月連合軍三千に攻めかかった。
連合軍は動揺し、とくに国人領主の軍は算を乱して逃げ散った。
「敵は小勢だ!慌てるな…戻って戦え!」
堀江備前守は陣を走り回って鼓舞するが、一度怖じ気がついた軍の崩壊は止めようがない。そのとき、包仏丸の甲冑に身を包んだ若い武将が目に入った。采配を手に馬に跨り、戦場を駆け回っている。
「あれは立花家の…、これぞ天の恵み!」
うぉおおおおおおお
備前は槍を手に駆けだした。総大将を倒せば勝ち、大逆転である。今まで上げた首級は二十を超える。武勇には相当の自信があった。
「統虎さまっ!」
いちはやく気づいた増時が種子島を撃った。
弾は備前の左肩を射抜いたが、豪気な備前はどんどん突っ込んで来る。
「!」
気づいた統虎が馬上で太刀を抜いた。
「遅いわ!」
槍を突き出した備前が飛びかかった。
「ぐ…っ!!」
槍が半分に折れ宙に舞う。
馬から飛び降りた統虎が太刀を鞘に収めた。
ごぉーつ
怒涛のような歓声が辺りを包んだ。
萩尾大学が目に涙を浮かべて叫ぶ。
「立花統虎…敵将・堀江備前を討ち取ったり!」
秋月勢は総崩れになった。
(五)
「ばかめ…おのれの名でも上げたかったか。」
坂田実久が平伏した。
「申し訳ございませぬ。この上は我が腹を…。」
「お主が皺腹斬ったところで何になる。そんなことをしたところで、堀江備前は帰って来ぬわ。これはお主に軍を任せたわしの間違いよ。この借りは早々に返さねばなるまい!次はわし自身で指揮をとる。」
天守の窓から北を見つめる秋月種実は、ぎりぎりと歯噛みをした。
「できたか…。」
三日月城の改修が終わった。
「ここはお誾、お前と娘たちに任せたい。よいか…。」
簡素な造りの天守を見つめ統虎が言った。
「よいのか?女子だし…素人ばかりだぞ。」
「女子は関係ないのだろう。それに最初は誰だって素人だ。」
城を回りながら話す二人に着き従うのは三名
娘たちの中から誾千代の近習に任命された静香、近、由利である。
「いやー、質素な造りやね。でもここから私の出世が始まるんだ!」
にまにました由利が周囲を見渡して言った。
「調子に乗るな!」
一番、年嵩の近が一喝する。
「戦か…この間見たが、何か嫌なもんだな。」
静香が体格に似合わぬことを言った。
「なんだい巴御前。見かけによらず憶病なんだね。」
ばしっと拳が飛んできた。
「あ、痛いっ…なにすんの!」
頭をさする由利に静香は小さい声で「黙れ」と凄んだ。
たちまち由利が小さくなる。
「いい仲間になりそうじゃないか。」
統虎が言った。
誾千代は嬉しそうに笑った。
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