第71話 暗闇の誾千代
(一)
はっ はっ はっ はっ
激しい息づかいが聞こえてくる。
闇の中 動こうとしても動けない。
がっと足が掴まれ ぐいっと左右に開かされた。
めりめりと熱く堅い大きなものが身体の中に入ってくる。
ぎゃあーっ
獣のような叫びを上げた。
はっ はっ はっ はっ
熱い息づかい
何か巨大なものが身体の内外で激しく動いている。
痛い いたい い た い い…
痛みに耐えているうち
何とも言えない気持が湧きあがってきた。
宙に浮くような 水の中で溶けて行くような
知らず知らず巨大なものの動きに身を委ね、動きを合わせている自分がいた。
再び獣のような声が口から洩れる。
今度は…痛みではなく悦びの叫び
波のように寄せては返す疼き
誾千代は光の渦に呑み込まれていった。
はっと目が覚めた。
あたりは真の闇
そうか……夢だった。
なんて夢を見てしまったのだ。
誾千代は自己嫌悪に陥った。
もしかして、初めての自分は凌辱されることを密かに望んでいるのか?
「違う…ちがう、ちがう、ちがうっ!」
闇の中で一人叫んだ。
心の中で何かが語りかけた。
そうだろう…認めてしまえ。その淫蕩な性 なんていやらしい…。
そうすれば楽になれる。
「ちがう…ちがう…ちがう。」
誾千代は弱々しくぶつぶつと繰り返した。
(二)
「一三夜丸…どこへ行くのさ?」
山の廃寺本堂で、しなを作った甘え声で八尾が聞いた。
「ふん…。」
一三夜丸は八尾をちらっと見たが、ぷいっと出て行った。
「あっ!待っておくれよ。姫さんを攫ったんでたっぷり褒美をもらったんだろ!なんかおいしいもんでも食べにいこうよ…ねえ、ねえったら!」
その様子を見て五鈴が笑った。
「あはははは…ふられてやんの!面白い!」
走って戻ってきた八尾は五鈴を殴りつけようとしたが…
「やめた…あんた殴ったって面白くもなんともない。すぐ治っちまうし、痛くも痒くもないんだから…。」
外では四亀が訓練として大木を殴っていた。
「どっか行くのか?」
「ああ、ちょっとそこいらへんへな…。」
「一三夜丸…。」
「…何だ?」
「まだ肥前にいるのか?そろそろ他国へ行かねえか。」
「…居心地悪いのか?」
「そうじゃねえ。でもいつもなら、そろそろ他国へ流れてる頃だ。いつものあんたならそうしているだろう…?」
「そうだっけかな?」
「あたしら抜け忍だ。甲賀から逃げているんだ。一か所にはとどまらない。とどまれないんだ。そうだろう…?」
「そうだ。」
「だったら、今回に限ってなんでさ?もしかして、あの姫さんかい?」
「…関係ねえよ。」
「本当かい…あたしゃ嫌な予感しかしないんだよ。あんたがね…あっ!」
一三夜丸は枝に跳びあがり、枝から枝に飛び移りながらどこかへいってしまった。
(三)
「さて水之江に着いたは良いが、お誾はどこにいるのか?」
深編笠で顔を隠した統虎が独り言を言った。風盗賊の三名はばらばらに情報集めに走っていた。
ここでの知り合いは、まず百武賢兼だが迷惑をかけたくない。さらったとあらば隆信の命だろうが、人目の多い水之江の城にいるとも考えにくい。何か情報が欲しかった。
「あっ…あいつは!」
目だしの頭巾を被った小柄な侍が一人ですたすた歩いていく。
間違いない。最近話題の赤武者、たしか熊の落とし子だ。
熊の子なら何か知っているに違いない。
目立たぬように後をつける。
こちらに屋敷でもあるのか?郊外へ、街はずれへすたすた歩いていく。
大きな屋敷の影で突然すっと曲がった。
慌てて追いかけるが姿が無い。
「私に何か用か?」
後ろから声がかかった。
件の目だし頭巾がいつの間にか後ろにいた。
こうなれば度胸を据えるしかない。
「聞きたいことがある。」
「私にか…なんだ?」
「人を探している。」
「人…誰だ?」
「わしの妻だ。」
「ほう…お前の…知らんな。」
「知っているはずだ。お前…熊の子だろう。」
「確かに私は龍造寺隆信の子だが…それとお前の妻とどう関係がある。」
「熊がさらったのだ。わしの妻を…。」
「ほう…、だが私の知る由のない話だ。」
「その妻が立花誾千代でもか…。」
「なんだと!」
「顔色が変わったな…。誾千代の友、金牛を殺したのはお前だ。お前が誾千代を知らぬわけがない。」
「お誾がさらわれた…?父上に…。」
「なぜお前が、誾千代のことをお誾と呼ぶ?」
円城寺信胤はひとつ大きく息をすると、両腕を後頭部に回し頭巾を脱ぎ捨てた。
黒くつややかな長い髪が風に流れる。
切れ長の瞳、白い肌、花の唇、誰しも一目で魅了する顔立ち
「…!?お前は…。」
「私…私は以前、仙という名だった。仙は誾千代の友だ。」
(四)
「そうか…迷惑をかけた。」
信胤は頭を下げた。
「誾千代がどこにいるか、心当たりはないか?」
統虎の問いには頭を横に振った。
「そうか…。」
「ただ、家中広しと言えど、そんな汚いことをやってのけるのはただ一人。軍師・木下昌直しかおるまい。あ奴の屋敷には、人さらいのための牢獄もあるという噂、十中八九、お誾はそこにいる。」
「場所を教えてくれないか?」
「…私は熊の落とし子。龍造寺四天王のひとりだぞ…。」
「だが、以前は誾千代の友であろう。友を助けると思って教えてくれ!」
「………。」
「頼む!このとおり。」
統虎は両手を地面につけ頭をこすりつけて伏し拝んだ。
「…お誾は」
「うん?」
「お誾は、本当にしあわせ者だな。」
「そうか…?どうじゃろうな、わしは頼りない男かもしれん。」
「命をかけて救おうとしているではないか。それで十分ではないのか。」
「よく…わからん。お誾は婿はわしでもまあ良かろうと言った。はたして夫として認められているか、正直自信が無いのじゃ。」
「ぷ…っ!」
信胤は笑いをかみ殺した。
「笑うか…おかしければ笑え。」
「いや違う。おかしくなんかないぞ。立花統虎よ…お主は変な男じゃな。」
「そうかな…自分ではよくわからん。」
「自信を持て…お誾はきっとお主のことを好いておるぞ。」
「かたじけない。」
「はは…。いや、おかしくない。おかしくないぞ。統虎、お主は良い奴だ。」
家中にも同じくらい人の良い男がいたな。
「よしわかった。私が手を貸そう。」
「えっ!お主は今、熊の子じゃ、四天王じゃと言うたではないか。」
「その前にお誾の友だと言うたじゃろう。私の助けは不要か?」
「いや助かる。本当に助かるが…。」
「私のことは気遣い無用だ。お誾をさらった父の真意も気になるしな。」
統虎と信胤は、連れ立って木下昌直の屋敷へと向かった。
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