第70話 とらわれの花嫁
(一)
翌日、目を覚ました一同は誾千代が忽然と姿を消していることに気づき慌てた。
昨日のこと、婚儀が盛り上がって以降のことを憶えている者は誰もおらず、神隠しではとの話も出たくらいだ。だが、統虎には確信があった。これは何者かが、皆が眠るように仕組んだものに違いないと。その誰かがとんと分からない。
その日、城を訪ねてきた蜊たちによって、誾千代が何者かに攫われたこと、攫った者たちはどうやら忍びでるらしいこと、その者たちは南へ向かったことがわかった。
「どうして、取り戻すか、最後までつけて行き場所を確かめるかしなかったのだ!」
知正が噛みついた。
「そうはしたかったが、相手は皆恐ろしく腕の立つ奴ばかりだったんだ!」
右肩を外され、腕を布で肩からつるした北斗が言った。
「姫様を攫った奴は空を飛んでた。おそらく、凧か何かに掴まっていたんだと思う。」
蜊の言葉に増時が反応した。
「そうだとすれば、そう遠くへは行っていないはずじゃな。」
立花家は家を挙げて捜索に着手した。それこそ、筑前じゅう集めて回ったが、それらしい目撃情報は一向に上がってこなかった。特に統虎は寝ずに必死に探しまわった。二日たち三日たち、家中でも諦めの空気すら流れだしたが、統虎は決して屈しなかった。
「あの方に相談すればいいかもしれない…。」
蜊が急に思いついた。
「…そうだな、あの方なら探す方法がわかるかもしれねえ。」
蝙蝠も名を聞かずに同意した。
「その方とは誰じゃ?」
統虎はわらにもすがる思いだった。
(二)
ぴちょん ぴちょん
どこかで水滴の落ちるような音がしている。
ここはどこだ?阿蘇…。いつの間に…
目を開けた。
まっ暗闇だ。
何か牢のような…
膝をついた状態で両手を鎖で縛られ、半身起きた状態で気を失っていたらしい。
白無垢は脱がされ、白地間着、湯巻きの下着姿にされている。
「気がついたか。」
燭台の火が近づいて来る。
七尺ある力士のように肥満した巨体、禿げあがった頭…
「!」
跳びかかろうとして鎖に引っ張られる。
「へん!無茶や無茶や…その鎖は女の力では千切られへん。」
木下昌直が燭台を誾千代の顔に近付けながら覗きこんだ。
「ぺっ!」
吐きかけられた唾を袖で拭いながら昌直は笑った。
「いくらでも口惜しがるがいいわい。ここからは出られへんど!誰にも知られとらんよって、誰も助けにこん。諦めちゅうんを学ぶんやな!」
誾千代はふたりをきっと睨みつけた。
「わしをどうする気じゃ!人質か…それとも殺すのか!」
隆信は中腰になって誾千代の顔を見た。
ふん…まだまだ子供じゃが美しいではないか。
「そのどちらでもない!」
「だったらなんだ!」
昌直がひひと笑いながら言った。
「姫様、これは平安の昔からあることでっせ。嫁盗りちゅうてね…婚儀の夜に他人様の嫁を盗むんですわ。」
「どういうことだ!」
誾千代は珍しく混乱した。隆信がその顔をじっと見て言う。
「お主はわしの子を産むのだ。雷神の娘が熊の子をな…。」
おぞましさに総毛立った。がんがん鎖を引っ張った。
「離せっ!わしを離せっ!」
「おお、離してやるがな。御館様と交合ってもらうときにはな…。」
「ぐふっ!」
昌直は細竹を布で包んだものを誾千代の口に押し込んだ。
「舌でも噛み切られたら困るさかいに…。」
そして、隆信を振り返って言った。
「この娘、産婆に調べさしましたよってに、もう初潮は迎えておるようで、御館様がよろしければいつでも…。今でもよろしおすえ…。」
「馬鹿なことを言うな…子供と交合えるか!」
隆信は呆れ顔で言った。
「そないですなぁ。このくらいの成長は早い…もう半年もすれば大分…大人の身体になりまっしゃろ。」
燭台の火が遠ざかり闇が辺りを包んだ。
生まれて初めて、誾千代は絶望というものを感じていた。
(三)
立花統虎は初めて、立花家の領地・博多にある大黒屋を訪れた。
一緒に行った北斗、蜊、蝙蝠は、初めて屋敷内に通され、その豪奢さにびっくりしている。広間など、そこいらの大名家のそれより贅を尽くしている。金に興味が無い統虎ですら、いったいどれほど儲かっているのかと思うほどだった。
統虎たちにとって幸いなことに、たまたま梅北国兼が博多にいた。
「なるほど…そいで統虎さまは、俺(おい)にいけんせえち言われもすとか?」
「全く手がかりが無いわしとしては、藁をもすがる思い…何とかお誾を探す助力を願えぬじゃろうか。諸国に通じておる大黒屋殿にならお誾を探せるはず、そうこの者たちも言っておりますので…。」
「そいどん…俺(おい)は、大友家ん敵である島津の家臣ごわす。力を借りてん障りはございもはんか?」
統虎は両手をつき深々と頭を下げた。
「そんなことを言っている場合ではないのだ。本当に手掛かりが無く困っておる。敵でも何でも構わぬ。わしにできることは何でもしよう。どうか力を…力を貸してくれ!」
国兼は深く頷いた。妻への思いは、国兼にも痛いほど分かる。
「妻となる方を…本当に大切に思っといやっとじゃんな。よか!藁かも知れもはんどん。微力を尽くしますで。山蜘蛛…おっか?」
微かな声で、天井からはいと返事が聞こえた。
「こん盗賊どんがあったちう忍び…憶えがあっとじゃなかか?」
また、はいと聞こえた。少し声が大きくなる。
「先般…金牛とやらの処刑が行われたとき…水之江の地で…。」
「ちうこつは…龍造寺に雇われた者どんか?」
「…おそらくは…。」
国兼は困ったような顔をした。
「どうなされた?」
統虎の問いに弱ったような表情で応える。
「おいは島津家臣ごわす。そん島津と龍造寺とん関係ごわすが、金牛処刑んときと情勢が変わっちしもうた。こん間ん菊池川を挟んでん睨み合いが、講和という形で終わりましたで、今は龍造寺相手に派手な動きが出来ん。手を貸すっともここまでに成り申す。」
統虎は顔の前で両手を振った。
「いやいや、これで十分です。全く手がかりが無かったものが、どうやら水之江にいるとわかっただけでも…。」
国兼はほっとした顔をした。
「それにしてん…姫様を攫っちどげんするつもりじゃろうか?人質ならとっくに知らせが来っじゃろうし、処刑目的にしては回りくどか。」
統虎も知りたいところだ。
「とにかく、一刻も早く水之江に向かいまする。お誾を早く救いださねば。」
(四)
「なんでじゃ!なんで水之江に行ってはならぬのじゃ!」
増時が困った顔をした。
「下手をすると龍造寺と戦になるからです。残念ながら、今の立花家には龍造寺と戦をする力はありませぬ。統虎様は立花の養子に入られ、もはや立花の人…お家のことも考えて動いてもらわねば。」
「ではお誾のことはどうする?見捨てるのか!」
知正が苦い顔をして言った。
「龍造寺家に問い合わせをするほかないでしょうな。」
「馬鹿な!攫って行ったのだぞ…本当のことを言うわけがない!」
知正が下を向いた。
「良いのか!お誾を見捨てても!」
周囲を見渡して言った。
「良いわけがありますまい!」
由布惟信が言った。
「ここにいる誰しも、どうにかして助けたいと思っております。お小さい時から看てきた姫じゃ。とくにこの知正なんぞは傅役で親代わり…心中察するに余りあります。じゃが…そこが熊の狙いかもしれんのです。先の戦で和議を結んだ以上簡単には手が出せぬ。それが、我が方から言いがかりをつけられたら、大義名分が出来申す。みな、それがわかっておるから動こうと言わぬのです!」
小野鎮幸がすくっと立ちあがった。
「わかった!わしが浪人する。立花の家を離れ、一介の浪人が救いに行くならば何の問題もあるまい!」
惟信が即座に否定した。
「お前も子供のようなことを言うな!そんな勝手な理屈を受け入れる相手か!いい口実にされるのに変わりはないし、失敗したら元も子もないのだぞ。」
鎮幸が意気消沈した様子でへなへなと座り込んだ。
「統虎様、あなたは立花の当主となられたのです。当主に必要なことをお考えくだされ!とにかく…今はご自重あれ。」
増時にそう言われ、統虎はぎりぎり歯噛みしながら座りなおした。
その夜 一頭の騎馬が立花山城から出てきた。
森から出てきた三つの影がつき従う。
「いいのかい…立花家にとって難しい問題なんだろう?」
北斗に向かって統虎は言った。
「よい!わしは立花家の当主である前にお誾の夫じゃ。妻の危機を見過ごすわけにはいかん。もしそれで当主失格ならそうすればよい!」
南に向けて去りゆく騎影を、天守から見つめる者たちがいた。
「若さか…その一途な思い、うらやましくもある。」
「惟信様、呑気なことを言っている場合ではございませぬぞ!龍造寺が何か言って来た時に備え準備せねば。」
「わしも共に参りたかったのだが…。」
「知正殿…いくらなんでも足手まといじゃろう。」
「鎮幸…何を言うか!若い者にはまだ負けんぞ。」
もはや統虎に期待するしかない。一同はみな同じ思いだった。
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