第61話 金牛の死 (hommage of 頂上戦争)

(一)

 処刑の日となった。

 各所に立てられた高札に惹かれて集まった見物人は千名を軽く超える。

 その中に、たまたまバラバラに金牛と関わりのある者どもが混じっていた。

 統虎と甲斐宗運は肥前の情勢を探っていたときに処刑のことを知った。

「お誾が黙って見ているわけはありません。必ず助けに来るはず…。」

「こん厳重な警備はそん備えちか…、救助の阻止より狙いはお誾かい…。」

 隈部親泰は父親永の使いで一法師ら五十名の家臣を引き連れ、龍造寺家に贈り物を届けに来てこの処刑を知った。

「金牛…どぎゃんしてこげなこつに…?」

 ルイス・フロイスは立花家を離れ、長崎に向かう途中で処刑を知った。

「オオ、マルデコノショケイジョウハ”コロッセオ”。ショモツニアルコダイローマノヨウデース!」


 水之江城の大手門前に三重の柵を設置して刑場は作られた。

 さらにそこに千二百名もの兵が配置された。

 一介の盗賊の処刑には考えられない厳重さである。

 大手門の前には観覧台が作られ、隆信、政家、家種、家信ら親子が並ぶ。

 観覧台の一段下には、軍師・木下昌直とその家来である剣客三十名、さらに近侍の円城寺信胤、江里口藤七ら武者が控える。

 観覧台からおよそ十間離れたところに処刑台が作られ、血まみれの金牛が首から上を残して鉄鎖でぐるぐる巻きに縛られていた。両脇には首斬り人、介添人が控える。

 処刑台から柵までは七十間離れ、手前に鍋島直茂、百武賢兼、成松信勝、龍造寺長信、信周が百名づつの兵を率いて警護し、中央に鹿江兼明、大村弾正、犬塚弾正、上瀧志摩守がやはり百名づつを、柵の手前には小河信俊、石井信忠、鍋島康房、納富信景、出雲氏能、綾部鎮幸が五十ずつの陣構えであり、合戦でも始まろうかという雰囲気である。

「盗賊一人に大袈裟ではないか。聞けば風盗賊の生き残りは三十名前後という。こんなに兵を揃えると、龍造寺が臆病と侮られる!」

 老将・鹿江兼明が憤慨した。

「いやいや…。」

 隣に陣を構える大村弾正が首を振った。

「この金牛なる盗賊は、立花家の姫の家来として動いておったそうな…。そうであれば、立花軍が攻めて来ぬとも限らん。」

「はたしてそうでしょうか…。」

 上瀧志摩守が疑問を唱えた。

「先の戦で、当方同様に立花軍もぼろぼろのはず、とても軍を出す余裕などありますまい。」

「とにかくじゃ…。」

 犬塚弾正が話を締めくくった。

「立花軍が来るにせよ、来ぬにせよ。さっさと首をはねてほしいもんじゃ。首さえはねれば戦の危険も避けられようし、処刑時間まで一刻近くも待たんで済むというものよ。」


(二)

「立花は来るのじゃろうか?」

 賢兼の呟きに信勝が応えた。

「来ぬじゃろう。立花としてはな…。ただ、あの姫にとっては大切な家来らしいから、風盗賊を率いて現れるかもしれん。殿もどうやらそれを待っておいでのようじゃし…。」

「勝ち目も無いのにか…。」

「勝ち目があるとすれば、先の戦で使ったとかいう不思議の刀…。」

「ああ、雷を呼ぶとかいうあれか…。」

「その話が本当ならばじゃが…それ足すことの奇襲は十分考えられる。」

「うん…。」

賢兼が腕組みして何か考えだした。

何気なく周りを見渡した信勝はあることに気づいた。

「おい!煙か霧か出てきてないか?」

うっすらと足下が霞んでいる。

「むっ…!」

賢兼は周囲の臭いを嗅いだ。

「煙ではなさそうだ。霧か…。」

「こんな街中、こんな真昼間にか…。」

「そういや変じゃの…。」

うっすらと広がった霧は、次第に乳白色の濃いものへと変化した。

「おかしいぞ!明らかにおかしい!」


「これはどうしたことじゃ!」

政家が近侍の侍にどなり散らした。

「霧のようで…。」

「ばか!そんなことはわかっておるわ!こんな刻限に霧とはおかしくないかと聞いておる。」

「たしかに面妖な…。」

「ええい…面妖じゃから聞いておるというに!」

「静かにせい!」

隆信が一喝し、政家は縮みあがった。

「何か聞こえぬか?」

昌直に聞いた時、あたりは一間先も見えぬほどに霧が立ち込めていた。

地面に耳をつけて昌直は呟く。

「これは…掛け声…でっしゃろ。あと…車輪…かいな…。」

「あれは何だ!」

 柵の所の群衆と先手の兵から叫び声が上がった。

 霧の向こうにうっすらと山のような影が見える。

 それが…動いて…?ばかな!!

 えいとう…えいとう…

 地の底から聞こえるような掛け声も響きだした。

 先手の一人、小河信俊は我が目を疑った。

「ばかな…!あれは……船。…それも超巨大な…。こんな陸地に…。」


(三)

 霧の中から真っ黒な安宅船が現れた。それも通常の四倍はある巨大さ。船底に車輪をつけ、船首から伸びた太綱を一つ目の巨人が引っ張っている。千名を超える見物客は泡を吹いて倒れる者、船から逃げ惑う者など大変な騒ぎになった。

 めりめりめり

 巨人は柵を蹴破って進む。

「オウ、ティターン!」

 人々が逃げ惑う中、フロイスが興奮気味に叫んだ。

「今ばい!こん混乱に乗じて柵ん中へ!」

「えっ!」

「お誾が来たときんためばい!」

「はい!」

 統虎と宗運は柵の中へ紛れ込んだ。


 先手の武者たちも、とんだ非日常に遭遇し見物客同様に混乱した。巨人に立ち向かうどころか、見物客と一緒になって逃げ惑うしまつ。

「ええーい、情けない!わしに続け!槍衾を組め!」

 鹿江兼明隊が勇ましく立ちふさがるが、巨人が左手を一閃させ弾き飛ばした。

「取り囲んで矢を放て!」

 大村弾正の指令で無数の矢が巨人に向かって放たれた。

 ずしーん ずしーん

 巨人はそれを意にも解さぬ様子で歩みを止めない。

 そのとき

「火矢や、火矢を放たんかい!」

 木下昌直が叫んだ。

 指示に応えて、上瀧志摩守隊が火矢をつがえてひょうと放った。

 すると、火矢が当たった巨人はたちまちのうちに灰となった。

「やはり…陰陽術かいな。京の都で生まれ育ったわてを舐めるんやないで!」


「式神が見破られましたな…。」

 甲板で目を閉じ、印を組んだまま宮内次右衛門が言った。

 国兼は頷き、忠助に目で合図した。

 ど………ん!

 太鼓の音が鳴り響く。

「今度は何じゃい!何のまやかしや!」

 ど…ん!どんどんどんどんどん!

 龍造寺軍は黒船を遠巻きにする。

 すたつ…。

 甲板から飛び降りてくる三つの影

 船首、右側、左側

 三方向に分けて下りてきた。

 三名とも甲冑は着けず平服


  右に下りた小柄な武士は、腰の二刀をすらりと抜いた。

 脇差しより少し長い直刀

 アイヌの宝刀 戦巫女姉妹の魂が宿る「銀の神威」と「紅の古丹」である。

  左の長身の武士は、右手に徳利、左肩に無造作に槍を担いで千鳥足である。

 端正な顔を赤く染めて、ご機嫌な様子で周囲を眺めている。

  正面の力士のような大男は、子牛ほどもある不思議な武器を手にしている。

 仏の武具・伝説の独鈷杵

 仁王が持つと伝わるとびきり大きなそれは、屋久島の千年杉から削りだされており、当たると鋼鉄さえひん曲げる。


「狂っておるのか、あるいは馬鹿なのか?この人数にたった三人で…。」

 鹿江兼明がいぶかしがったが、その疑念は一瞬ですっ跳んだ。

 ごごごごごごご

 まるで、三方向に大旋風が起こったようであった。

 前方 人がまるで木の葉か何かのように次々と吹き飛び

 左側 槍が指すところたちどころに道が開け

 右側 吹き出す血が渦巻きのように宙を舞った。

「こやつらこそが真の化け物か…。」

 あってはならない心だが

 兼明の疑念は武への称賛に変わった。


「何者じゃ、あるは?」

 親泰は目を丸くした。

「おるに聞かれてん…。」

 一法師は迷惑そうに言った。

「金牛を助くる気ぃだろか?」

「そがんでしょうなぁ…。」

「よしっ!おるたちも突っ込むばい!」

「あげな化け物んごたる者たつにですか!」

「ばか!逆ばい…。金牛とは因縁あり…義を見てせざるは勇なきなり。助くるばい…金牛を!」

「お父上に叱られますばい!お言いつけは龍造寺と好を結ぶこと…。こいじゃ逆ですばってん。」

「知っか!」

親泰は刀を引き抜いて柵の中へ突っ込んでいく。

「ああ…若ん無茶苦茶がまた始まったばい…。」


(四)

国兼、三郎、猪三に続いて、誾千代、蝙蝠、蜊が飛び降りた。

「さあ、喜内ん穿った正面の道を!敵が混乱から抜けち、再び陣を整ゆるまでが勝負じゃっど。」

二丁の種子島を背にからった三郎を先頭に、誾千代たちは前へ前へ進んでいった。


「…ぐ…。ひ…め…さ…ま…。」

ずっと気を失っていた金牛は、この騒ぎで気付いた。

「…ろ…せ!はやく…ころせっ!!」

命を振り絞って発した言葉

「じゃかましいわ!ちょっと待ったらんかい…あの姫さんをおびき寄せるまではな…。」

昌直が怒鳴り返す。

「!」

「猿轡を噛ませ!」

舌を噛み切ろうとしたのを察して、昌直の指示のもと、介添えが猿轡をはめる。

声も出せない金牛の目から悔し涙が溢れた。

「しかし、この人数で何やっとんねん!小娘ひとり、はよ捕まえんかい。」


 そのとき、誾千代たちは中央の陣を突破し、処刑台目前の陣まで来ていた。遠目に鎖で繋がれた処刑台の金牛が見える。

「金牛!」

 うなだれた金牛を力づけようと、思わず誾千代が叫ぶ。

 だーん だーん

 左右から殺到しようとする敵を三郎が種子島で牽制する。

 うおーっと喜内が駆けまわり、周囲の敵をなぎ倒していく。

 残された船の周りでも大混乱が起きていた。

「いったいあやつらは何人いるのだ!」

「同じ顔の奴がまた降りて来たぞ!」

 船から次々に数十名の甚兵衛、喜内、半左衛門が飛び降り

 先ほど下りた三名と同じように暴れまわった。

「ただの式神じゃが…時間稼ぎにはなるじゃろう。」

 甲板で目を閉じたまま、次右衛門が呟いた。


観覧台の上では、かんかんになった隆信が昌直を呼びつけ指示をしていた。

「成松と百武隊を正面に回せ!誰かわからんが、誾千代を守護する輩を早々に討ち取り、すぐさま捕えよ!」

成松信勝と百武賢兼にとっては、正直、気の進まない任務ではあったが、隆信直々の指令ではしかたない。隊を正面に回して行く手を塞いだ。

精鋭二隊の前に押しとどめられ、さしもの喜内の足がぴたりと止まる。

「今までの敵とは比べようもない手練…。喜内ひとりでは突破は無理か…。」

国兼の呟きが聞こえたように、甚兵衛、半左衛門が駆け付ける。

甚兵衛は引きつけられるように百武隊へ

半左衛門はそれを見て成松隊へ向かう。

偶然にあやつられ

甚兵衛は賢兼と

半左衛門は信勝と

力量が拮抗する同士の壮絶な戦いとなった。

そして…左右の激闘に引っ張られるように再び正面の道は開く。


「金牛…!」

もはや十間ほどの距離となり、たまらず誾千代たちは駆けだした。

「待ったらんかい!」

立ち塞がったのは木下昌直率いる京・吉岡道場の剣客三十名である。

すらりと真剣を抜き放ち、いずれも油断のない構え

さしもの蝙蝠も、いつもの無鉄砲が影をひそめた。

きょろきょろと左右を見渡した誾千代は、蝙蝠に目くばせした。

応じた蝙蝠が広い背中を向けた。

「雷斬りの太刀!」

抜き放った刃から青い稲妻が走る。

大木の枝のように幾重にも分岐して走った雷

当たった剣客たちは身体を痙攣させて地面に転がる。

左右に振った方向に雷が走る。

逃げ惑う剣客たち

刃を振る誾千代の呼吸がみるみる荒くなる。

「!」

疲労した誾千代の目の前に突然昌直の顔

にたっと笑う。

「それ、凄い武器やけど、娘っ子が使いこなすにゃまだまだやな!」

どん!

一瞬の早業で誾千代に当て身を食らわした。

誾千代は息を失って、気が遠くなった。その場に崩れ落ちる。

「いっちょうあがりや…手間ぁとらしおって…。」


(五)

「させるかよ!」

ちゃっ

飛び込んできた蝙蝠に、昌直は仕込を抜いて刃を突きつけた。

「どうした…かかってこんかい!そのいかめしい隈取りは飾りか!」

脂汗を流す蝙蝠をあざ笑う。

「うぉおおおおおお!」

無謀にも両腕を振り上げかかっていこうとするその肩を

後ろからがしっと抑える者がいた。

長身の国兼がずいっと前に出た。

「なんや!命はいらんのかい爺さん!」

ニィ

不敵な笑み、白い歯を見せて笑った。

「じじいが、馬鹿にしくさって!」

珍しく激高した昌直は国兼に向けて真一文字に仕込を振るう。


ぱ…きっ…。


「!」

刃に向けて勢いよく突きだした国兼の右拳

鋼鉄の刃が根元からぽっきりと折れた。

「なんやて!」

手元を信じられないように見たのは一瞬だった。


ご…ん!!


続いて放たれた国兼の左拳は、昌直の顎を砕いた。

どさっ

宙に浮きあがった昌直は頭から地面に叩きつけられる。

ぐ…ん!!

突き刺さるような視線に、国兼は観覧台を見た。

立ち上がった隆信が火のような眼でこちらを睨んでいる。

ニィ

国兼は再び不敵に笑った。


はぁはぁはぁ

息を吹き返した誾千代がすざりながら処刑台へと向かう。

「き…ん…ぎゅう!!」

金牛の目から滝のように涙があふれた。

その前に藤七ら近衛衆が立ちふさがる。

這って進む誾千代の横に国兼が立った。

「立て!」

「!」

「おはん(お前)が助けるち言うたとじゃ…、敵の前で見苦しか様を見せるな。立ち上がれ!」

誾千代は気力を絞って立ち上がった。

「よかど…気を”はしっ”と持ってな。そいがそん武器を使いこなす唯一のこつじゃ。」

誾千代が頷く。

青い稲妻が徐々に勢いを取り戻しつつあった。


「殺せ!はやく…殺せよ!」

金牛が叫んだ。

自分が誾千代の囮なのは知っている。

そして、自分に近付けば近付くほど、誾千代が捕まる可能性は高くなる。

手足を斬り落とされ、治療もろくに受けていない自分の命はもう長くない。

今ならまだ…誾千代は逃げられる。


「父上…混乱を早く収めるため…もう処刑を実行されては…。」

隆信がぎょろっと一瞥し、切り出した政家は首をすくめた。

だが待てよ…ここで処刑すればあの娘…

隆信は一瞬で考えを変えた。

「お主の言うことにも一理ある。首斬り人!」

首斬り人が一礼し、すらりと大刀を抜き放った。

介添人の一人が、ひしゃくで刃に水を注ぐ。

金牛は首をうなだれ目を閉じた。


「き…ん…ぎゅ…う!」

誾千代の目が赤く光ったように見えた。

よろけながら、思いっきり雷斬りの太刀を一閃する。

青い稲妻が走り、目の前の近衛数名と首斬り人を呑み込んだ。

肉が焼け焦げる臭い

しゅうしゅうと白煙を上げる遺体が転がった。

介添人と近衛がひるんで遠ざかり、金牛への道が開けた。

「今じゃ!」

誾千代はよろよろと処刑台へ進んだ。


老兵のひとりが、勇ましくも処刑台へと駆けあがろうとした。

そこへ立ちふさがる四つの影

「ふん、伊賀者。ここから先へは行かせぬぞ…。」

しゅっ

老兵は懐から苦無を放った。

影は分散しまた集まる。

しゅしゅしゅ

老兵へ向けて手裏剣が飛ぶ。

当たったかと思われた老兵は丸太へ変化していた。

「ほう…やる!」

四つの影は後方へ逃げる老兵を追った。


(六)

「お前が斬れ!」

隆信が閲覧台の下の信胤に言った。

一瞬の躊躇を見抜いて更に言う。

「どうした!お前も熊の子なら、盗賊ごときの首なぞ、簡単にかき斬って見せよ!」

信胤は一礼し処刑台へ向かった。

気は進まない。

決まっている。

話したことは無いが、お誾の大事な仲間なのだ。

自ら手を下すなど…。

赤い仮面の下の心は揺れる。


「き…ん…ぎゅ…う!」


処刑台へにじり寄ってくるお誾の姿を間近にすると迷いは更に深くなる。

「どうした…はようせい!」

背中から父の声

あの日決めたはずだ。熊の子…龍造寺隆信の子として生きると…。

勢いよく処刑台に飛び乗った。

すらりと太刀を抜く。

介添人は雷を恐れて近づいて来ない。

縛られた金牛に近付き猿轡を外した。

「最後に…言いたいことがあれば…。」

「ね…え…よ。」

金牛は黙って首を垂れた。

汗がぽたぽたと滴る。

振りかざした刀ががくがく揺れた。

なぜ…何人も殺めてきたはずなのに…。

「き…ん…ぎゅ…う!」

耳に張り付く友の声

もう黙ってくれ…

耳をふさいで大声を出したくなる。

「はやくせぬか!」

背中からの父の声

だが手に力が入らない…。

私はどうしたら…。

「…て…よ。」

なに?

「か…ち…なよ。」

目の前から聞こえる弱々しい声

「人には…宿命ってもんがあるのさ。…むかし、異国に攫われてきたある女郎が言ったんだ。」

最後の力を振り絞って言っているようだ。

「自分の宿命と戦え…。それがどんなに厳しいもんでも…なすがままじゃあ口惜しいじゃないか。戦って勝てってね…。」

目を開けて近づいて来る誾千代を見てにこりと笑った。

「その女郎は病気で死んだが…周りから馬鹿だって言われても、最後まで故国に帰ることをあきらめなかった。あたいも、小さいころ廓を逃げ出し、仲間と一緒に必死に荒海を越えて、この新たな地獄にやってきたが…それを嘆かずに精一杯戦ったよ。」

そして信胤を見上げた。

「その仮面だ…あんたも相当なわけありなんだろう。だがね…その宿命から逃げちゃだめだ。戦いなよ。」

信胤は微かに首を横に振った。

それでも、お誾のあの姿を見て、出来るわけない…

「やんなよ!宿命と戦うんだ!あたいはもう長く無いんだ。この手足じゃね…。あたいのことは気にすんな。もう十分やったよ…。」

そして、誾千代に向かって精一杯の笑顔で叫んだ。

「姫様、ありがとうよ!楽しかった…。あんたのことを愛してるよ!」

「どうした信胤!」

「さあ、やんな!逃げんな!」


すぱ………っ


辺りの音は消え、時が止まったかのように思えた。

振り下ろされた刃

二間も飛び上がる首

赤く辺りを染める血

刀を振り下ろしたまま動かぬ赤き甲冑の武者

泣き叫ぶ蜊と蝙蝠

今だ捕えよと叫ぶ隆信

誾千代は…


うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ…


まばゆき白い光が、突っ伏して泣き叫ぶその姿を包む。

「いかん!太刀が暴走を始めたか!」

近衛と対峙しながら国兼が言った。

「猪三、鞘だ。鞘に刀を納めよ!」

大男が走ってきて蝙蝠の背中から鞘を取り

誾千代に近付こうとしたが、見えない力で弾かれた。

「こんままではこの辺一帯跡形もなく吹き飛んど!猪三、そいはお前しか出来んど!」

猪三は立ち上がり、なんとか近づこうとするが、また弾き返された。

「おぎん!」

走り込んできた影が猪三から鞘を奪い、誾千代に向けて走って行った。

「なんを無茶な!迂闊に近づっと溶けち消ゆっど…。」

「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

若侍は真っ赤に沸騰した身体から白煙を上げながら誾千代の手を掴み、白く輝く刃を鞘に戻していく。

「統虎!なんて無茶ばしよる!」

刀を納め切った統虎はふらりと倒れた。宗運が助け起こすとかろうじて息はあった。


(七)

「あの娘、捕えよ!」

隆信の号令一下、龍造寺軍が群がってくる。

気を失って倒れる誾千代を肩にかついだ国兼は船の方へ叫んだ。

「忠助!」

ひゅるるるる…

甲板の下田忠助が狼煙を上げる。

どどどどどどどどど

遠くから大地の響きが近づいて来る。

「…何だ?」

中軍で式神を相手に戦っていた兼明が音の方を見た。

黒い塊が徐々に大きくなる。

どどどどどどどどどどどどどどどどどどどど

「騎馬隊…?いや、…馬か!それも野生の…。なぜだ!」

何百頭もの馬が柵の中に走り込んできた。

誾千代を担いだ国兼

猪三、喜内、半左衛門、甚兵衛、三郎

船から飛び降りた次右衛門、忠助も

ついでに、統虎をかついだ宗運も

上手に裸馬に跨ると混乱に乗じて脱出しようとする隈部勢同様に

処刑場からの脱出を試みた。

ぎりぎりぎり

隆信は歯噛みをして見つめた。

「逃がすな!」

政家が声を張り上げる。

その声に振り返った国兼は猪三を呼んだ。

大男が大事そうに抱える巨大すぎる槍を片手でひょいと持つ。

途端に槍が青白く光った。

先ほどの雷斬りの太刀のように眩く

ニイ

国兼は隆信を見つめて笑った。

槍の穂先から隆信目がけ青白い光が走る。

江里口藤七が飛び付き、隆信はすんでのところで光を避けた。

光が当たった水之江城の天守の右半分が飴のように溶けた。


このわしを舐めよった!

「決して逃がすな!!」

起き上がった隆信は顔を真っ赤にして吼えた。

龍造寺全軍が慌てて追撃の態勢を整える。

そのとき、処刑場中央に置き捨てられた黒船から白煙が上がった。

「危ない!船から離れよ!」

鍋島直茂の叫びは少し遅かった。

ぐわぁああああん!!

大轟音と共に

周りにいる龍造寺兵を巻きこんで大船が爆発した。


「何なのだ?いったい何だったのだ…。」

腰を抜かした鹿江兼明の呟きが、その場の全員の気持ちを代弁していた。

























  




 








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